第9話 裏

「あの……初めまして……水無月、琥珀、です。……その、よ、よろしくお願いし、ます」


 周囲の視線にたじろぎながら、転校してきた女子生徒はモゴモゴと俯きがちに自己紹介を済ませる。辿々しく、自信無さげに震える声。体格や顔は昨日出会った魔法少女そのものであるにも関わらず、とても同一人物のようには見えない。彼女は本当に、俺の知るコハク本人なのか?


「席は、そうだな……窓際の方の後ろの席が空いているから、そこを使いなさい」


 そう言って担任は、俺の隣の机を指差す。

 彼女は小さな体を更に縮こまらせながら、おずおずと歩み寄り、真横の席にそっと腰掛けた。

 チラリと目をやれば、思いがけず視線がぶつかる。コハクは少し驚いたように肩を震わせ、引き攣った顔をかすかに緩めて笑ってみせた。あの快活さとは程遠い、不器用な微笑みだった。

 朝のホームルームが終わる。一時の非日常を経て、世界は、また麻痺しきった日常へと逆戻りしていく。


 通常、転校生といえば、初日は注目の的になるものだ。でもそれは、普通の人間である場合の常識であって、存在感の薄い魔法少女に対して通用するものではないのかもしれない。


「ね、あなた、昨日の通りすがりの魔法少女さんだよね」


 放課後、人もまばらな教室で、隣の彼女は遠慮がちにささやいた。


「名前、フウちゃんって言うんだね。……よろしくね」


 しまいかけの教科書に記載された氏名を覗き見て、コハクは曖昧な笑みを浮かべた。


「ああ、よろしく……。悪かったな、すぐに名乗らなくて」

「ううん、アタシだって、隠し事してたし。例えば……この性格、とかね!」


 誰もいなくなった教室で、コハクは羽を伸ばすように思いっきり伸びをした。


「でもよかった! まさか、たった一人の友達が同じクラスにいて、それも隣の席なんて。本当、ラッキーって感じ!」

「……それは、同感。こんな友達同士で会話をする機会なんて、もう訪れないものだと思ってた」


 魔法少女も、辛いことばかりではないのかもしれない。入れ替わってから初めて、ほんの少しだけ希望を持てた気がした。

 穏やかな夕日が、優しく静寂を包み込む。


「あの……コハクはさ、どうして、魔法少女に」


 その時、空気を裂くようにガラッとドアが開いて、一瞬体が固まってしまった。


「ヒッ」


 コハクの顔が一気に青ざめ、その手はわなわなと震え始める。


「……そんな目で見なくても、忘れ物を取りに来ただけなのだけれど」


 そこにいたのは、俺の姿をしたフウだった。呆れ顔でこちらを一瞥いちべつしながら、ゆっくりと俺たちの方へと向かってくる。

 そういえば、俺のロッカーは、今コハクが座っている席の大体真後ろだったかもしれない。


「もしかして、お邪魔だった?」

「そう思うなら、さっさと用事済ませて帰ったらどうだ? に」

「……誤解を招く表現はやめて」

「お前こそ、そのナヨナヨした喋り方を今すぐやめてくれないか」


 苛立ちの感情が先に来て、ついつい中身が漏れ出てしまう。側から見れば酷く不自然な会話だ。それこそ、普通ならコハクに不審だと思われても仕方がないような。


「……あ、近……近いぃ……男……お、とこ」


 しかし、俺は皮肉を口にすることに必死で、隣で起こっている異常を察知することが出来なかった。コハクが普通の状態ではないことに、気づいてあげられなかった。

 震えは、床や机にまで伝わり、段々と大きくなっていく。


「……コハク? どうした、大丈夫——」

『不味い! 避けろフウ!』


 言いかけていた言葉が、喉元で不意にき止められる。フライの珍しく感情的な叫びは、無情にも俺一人にしか届かない。


「——グッ、ゴブ……ぁ……」


 目の前にある俺の体から、やけに鋭い鉄の匂いが漂った。

 嘘のように真っ赤な剣は、確実に、その胸を貫いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る