第4話 飛

 ドロリ。濡れた足元から、細く長い影が音もなく這い出る。そいつは壊れかけの街灯に絡みつき、こちらを伺うように首をもたげた。

 瞬間、腹の底まで響くような轟音を立てて街灯が捻じ曲がる。呆気なくバキバキに砕かれ、化け物の内部で消化されていく無機物。雨に混じって、嫌な汗が一筋垂れたように錯覚してしまった。


「お、オイオイオイ、瞬殺だよ……。初っ端からこんなやつを相手にしろって? マジで言ってんの?」

『大丈夫さ、あいつをよく見てごらん。脇腹あたりに傷がある。再生不可能な、魔法少女がつけた傷……きっと昨日逃したシャドーだ。あれでも弱っている方だよ』

「……マジか」


 それに、と声は続けて、目の前に光の玉のような物が浮かび上がる。よく見れば、光は蝶のような形をしていて、指を差し出すとその上にひらりと止まった。


『僕も精一杯サポートしよう。君の、魔法少女としての門出が、これ以上ないものとなるように。さあ、僕の名前を呼んで』


 全身が、光のまゆに包まれていく感覚。お前の名前なんて知るか。そう思ったのに、脳内には戦うための情報が濁流のように押し寄せて。

 気がつけば、自然と口が動いていた。


「ッ変身フライ——!」


 蝶を両手で叩きつぶす。弾けるようにまばゆい光が、魔力の奔流ほんりゅうとなってあふれ出す。手のひらからわずかに、けれど確かに、自らの鼓動を感じたような気がした。

 全身を覆う繭は、スルスルと解けて手足に絡みつく。いつの間にか構成されたハイヒールを打ち鳴らすと、光のベールは爆発し、周囲の雨を一気に蒸発させた。

 白一色のヘッドドレス。少し低めに結われた、風になびく灰色のツインテール。体を覆う大量のリボンは、瞳と同じく淡い銀に輝いている。

 水溜りに映る自分は、やはり昨日見た美少女そのもので。この非現実的な現実を、今は受け入れるしかないのだと改めて悟った。


『戦い方は至ってシンプルだよ。君の思うがままに、ただあいつを蹴り飛ばせ』

「言われなくてもっ!」


 向かってきた触手を、下から思いっきり蹴り上げる。ズシンと衝撃が爪先に響いて、触手はそのまま雲を突き破り一瞬で空に消えた。


「うわ……すっご……」

『おっと、よそ見は禁物だ。まだまだ来るよ』


 想像以上の力に自分で引いているような暇はない。今はただひたすらに、蹴って、蹴って、蹴りまくるだけだ。

 絡みつこうと迫る触手を、回し蹴りで地面に叩きつけ、その上をひた走る。踏んだ側から灰になっていくシャドーを見下ろすのは、少し爽快な気分だった。


『よし、あの頭にある魔核さえ破壊すれば、完全に息の根を止められるはずだ。いけるかい?』

「当、然!」


 波打つシャドーを足蹴に高く飛び上がり、はるか上空から踵落としを放つ。ハイヒールが一層大きく輝いて、光の刃が化け物の脳天を真っ二つに裂いた。


「ハァ、ハァ……や、やった、これで……」


 雨は、すでに止んでいた。変身が、太陽光の下で雪のように解けていく。既にヒールのなくなった靴を踏み締め、俺は固く拳を握りしめた。


『おや、てっきり入れ替わりの原因はこのシャドーだと思っていたのだけれど……どうやら違ったみたいだ。ごめんね』

「……なんとなく、そうなんじゃないかって思った」


 原因が化け物の方でないのなら、残る可能性はもう、たった一つしかない。だがそれを、今更口に出してしまう勇気もない。

 足元の水溜りは相変わらず、受け入れがたい事実をまざまざと反射していた。

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