第5話 魔海ラジオ深夜の部。一方そのころ…

 ◆ ◆ ◆




 すっかり夜も更け、水面から差し込む穏やかな月明かりが頭上に揺らめく頃。


「さて皆さま、こんばんは。鳴竜妃ナイアの魔海ラジオ、深夜の部でございます」


 日中よりもだいぶ声量を優しく落として、真夜中の魔海ラジオの幕開けです。


 ラジオを始めたての頃は夕方の部で終わりで深夜の部は予定していませんでした。

 が、夜にお勤めの方など遅くまで起きていなくてはならない事情がおありの方から、是非にとお便りが届くようになりまして。

 リイリイを中心にラジオをお手伝いしてくださっている方々と相談して、最終的にアオさまにも了承を得て、この深夜の部は比較的最近スタートしました。


 ちなみに私の【さざなみの声】は声を届けたい相手や範囲をかなり事細かに選択できるため、夜間は「起きていてラジオを聴きたいと思ってくださっている方」をセレクトしてラジオをお届けしております。

 なお日中も聴きたくないと思った方は自動的に伝達対象から外せる仕様。静かに過ごしたい方の邪魔になってしまってはいけませんからね。


「まずはリクエスト曲のコーナーです。最初のリクエストは【触腕しょくわんあと十本欲しい】さんのお便りから。『魔海立アカデミー入学試験のため、このところ毎晩遅くまで勉強している僕です。苦手科目が多すぎて時間が足りず、ドリルを何冊も同時進行で解いています。魔海ラジオ深夜の部を聴きながら頑張っています!』……ありがとうございます! お勉強のお供にもなれているなんて嬉しいですね……!」


 私も前世の受験生時代、深夜ラジオを聴きながらお勉強に励んだものです。……励んでいました。ちゃんと。

 いえ、手を止めてラジオに聴き入ってた時間のほうが長かったなんてことは決して……ない、とは、言いませんけれども。

 ここ魔海では今度は私が、今度は受験生の励みになれているんだなと。

 そう思うと頬が緩むのを止められなくなってしまいますね。


「目標に向かって努力されているお姿、とても素敵だと思います。ですがとうか、こんをつめすぎないようになさってくださいね。……それでは【触腕あと十本欲しい】さんからのリクエスト。人魚族の歌手、レミさんの新曲です!」


 喋りながら、傍に用意しておいた蓄音貝の一つに手をかけて軽く叩きました。

 途端に蓄音貝の魔力が励起。巻きに沿ってクルクルと眩い光が走り出し、中に封じ込められていた音楽が流れ出します。


 私のスキル【漣の声】は水を媒介に遠くまで声を届ける力。そこに自分の声以外を乗せるにはちょっとコツが要りまして。

 普通の人には聞こえないくらいのかすかな声……あれです、猫のサイレントニャーというやつ。

 蓄音貝の魔力に同調しつつ、あれに近い感じで声なき声を出し続ければそこに音楽が代わりに乗って流れてくれるというわけです。

 魔海にも歌手の方がいて音楽を楽しむ文化があると知ったら、どうしてもリクエスト曲コーナーもやりたくて。そこから徹夜して考え抜いた末に生まれたやり方です!


「〜……、……」


 声を出してないようで実は出してる、このラインを維持するのが実はものすごく難しいのです。

 ゆえにリクエスト曲コーナーはそこそこ体力を消耗してしまいますけど、やりたかったことですし何より皆様がリクエストしてくださるのが嬉しくてたまりませんね。


 魔界ラジオを聴いてくださっている皆さんも、こうしてお便りを送ろうと思ってくださるほど楽しんでいただけているのだと思うと本当に幸せです。

 私を【鳴竜妃めいりゅうひ】にしてくださったアオさまや魔界の皆様に感謝しなくてはですね。


 読み上げる予定のお便りや蓄音貝を広げたテーブルの上には、花瓶に生けたピンクの薔薇。

 アオさまがくださったお花にチョンと指先で触れると、更にやる気が湧いてくる気がしました。




 ◆ ◆ ◆




 ……ところ変わって、魔海城最奥の竜王アオの自室にて。


「ほんっっっ……っとアオさまってば! そんな方だとは思わなかったでありますよ!」


 岩造りのゴツゴツとした壁と飾りも何もないシンプルな窓、机や椅子やベッドなど必要最低限の家具しか置かれていない無骨なその場にリイリイの呆れ声が響く。

 部屋の主であるアオはといえば、ベッドに腰掛けてしょんぼりと縮こまっていた。

 魔海を統べる竜王としての威厳などどうしたって微塵も感じられない、まるで姉に叱られている弟のような姿。

 ナイアの侍女でしかないリイリイは立場的には竜王をしょげさせるなどできるはずがないのだが、今この場は——というか、実はナイアが嫁いできた後からは——こういった力関係になっていた。


「以前まではただただ無口で厳しい怖い方なのかと思ってましたのに! まさか魔海一重度なシャイボーイだっただけだとは!」

「……ボーイって……僕はそんな歳じゃ」

「黙らっしゃい! せっかく! せっかくナイアさまのお好きなものを超今更ながら遠ッ回しに聞き出せたのに、用意した花束を直接お渡しするどころかろくに話すこともできず結局照れて逃亡するなど思春期ボーイ扱いで十分ではァ〜⁈」


 ビチビチと尾鰭を激しく振り回して激昂しているリイリイは、人間で言うのなら地団駄を踏んでいるような状態なのだろう。

 そんな彼女に、窓の外から恐る恐る声をかける者もいた。


「り、リイリイ……もう少しだな、その、手心というか……」

「コラッ! そうやってお祖父さまが甘やかすからアオさまが成長なさらないでありますよッ!」


 リイリイは恐ろしい速度で窓のほうへ振り向き、窓越しに嗜めようとしていた祖父イウピカに噛み付いた。

 せいぜい大型犬程度の大きさしかないリイリイに比べて、鯨より巨大な老齢の魔鮫イウピカはアオの部屋の中には到底入れない。


「聞けばアオさまがお小さい頃から、お祖父さまがあれこれ察して先に動いてしまってたそうではないですか! 可愛がりたくなるのは分かりますが、その結果がコレですよ!」

「こらリイリイ、竜王さまを鰭差してコレとか言わない!」

「大人ならば、自分の想いはしっかり言葉にして伝えるべきであります! 突然の婚姻で人間界からやってきて、魔海という全く違う環境に頑張って馴染もうとしてくださっているナイアさまにはなおのことッ!」

「だ、だからアオさまなりに頑張ってナイアさまのことを知ろうとしてだな……」

「えーえ、分かっております。だからリイも協力しておりますし、魔海の皆さますらもはや薄々察して後押ししてくださっている節もあるであります。ですよね、【魔海在住匿名希望】さん!」


 ごもっともすぎる説教がグサグサと心に刺さり、もはや涙目の竜王。——いや、【魔海在住匿名希望】。


「うっ……」

「うっ、じゃなーい!」


 べしん! と尾鰭で床をひと叩きし、リイリイは大きくため息を吐いた。

 それからすっかり萎縮してしまったアオのそばへと近付き、俯いたその顔を覗き込む。


「ねえアオさま。本当は、人間界にいらした頃のナイアさまのお声を聴いて好きになったのでありましょう? だから結婚を申し込んだのでありますよね?」


 竜王アオが人間界の聖女だったナイアを妻に迎えると聞いた時は、異種族婚が奨励されている世の中だからかとしかし思わなかった。

 しかし結婚式を終え、ナイアが魔海ラジオを始める直前。

 ナイアの侍女として任命されたリイリイはアオとイウピカから秘密裏に呼び出され、彼の心の内を知ることになる。


 人間界へと視察に赴いた際に聖女ナイアによる神の御言葉を伝える【漣の声】を聴いたアオは、瞬く間にその優しく明るい声と話し方に魅了された。

 喋ること、自分の想いを言葉にするのが苦手で険しい顔で黙り込んでしまいがちなアオにとって、皆の前で朗々と言葉を紡ぐナイアは憧れそのもの。


 彼女の話す言葉をずっと聴いていたい。できるなら一番側で。

 そう思った時にはもう、結婚の書類を人間界の教会へと送ってしまっていたという。


「で、結婚したはいいけど口下手がすぐどうにかなるわけがないゆえ、ナイアさまと仲良くなるのにどうしたらいいか分からなかったでありますよね。実際リイを含め、お祖父さま以外の者にはアオさまは怖い方と誤解されていたでありますし」

「……うん。それは僕が悪い」


 ようやく少しメンタルが浮上してきたのか、アオがぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。


「喋ろうと意識すると余計に表情が固まるし、せめて……詰まったりどもったりしないようにと心がけると、必要最低限の言葉しか出てこない。そのせいでイウピカには苦労かけたし、部下たちを無駄に怖がらせてしまった……。だから、このままではナイアのことも怖がらせてしまうかもと……それは嫌で……」


 今まさに鳴竜妃ナイアの魔界ラジオ・深夜の部が放送されている真っ最中。楽しそうにお便りを読み上げ、リクエスト曲を紹介するナイアの声がアオの耳にも響いている。

 彼女は怖がるどころかいつも朗らかに接してくれて、その度に恋心と憧れは増し、なかなか変われない自分の情けなさに歯噛みすることも増えた。

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