第4話 口数少なな旦那さま

 ◆ ◆ ◆



 魔界ラジオ、夕方の部を終えて。

 夕日を映したオレンジ色から徐々に深い紺色に変わっていく水面をテラスからひとり眺めていたら、ふいに後ろに誰かの気配。

 リイリイだろうかと振り返ってみると、予想に反してそこにいたのはアオさまでした。


「えっ……アオさま⁈ いつの間にお戻りになられたのですか⁈」

「……、……ついさっき」

「わ、私としたことがお出迎えをし損ねてしまうだなんて……! 申し訳ありません!」


 ああもう、ぼぅっとしすぎていました……!

 夕方の部のラジオを放送しながら、アオさま予定よりもお帰りが遅いようなと思ったりしていたはずなのに!

 頬を抑えて青くなったり赤くなったりしている私に、アオさまは右から左、左から右へと目を泳がせていらっしゃいます。

 ややあって、それはそれは小さな声で「別に、問題ないよ」と呟かれました。


「ですが」

「……君だって、仕事のあとだ。疲れてる、だろうし。だから……出迎えよりも、休んでいたほうが……」


 ……。

 お出迎えしたかったんですと伝えたくて開いた口が半端に止まって、そのまま間の抜けた顔で固まってしまいました。


 アオさまがこんなに一度に長く話されるの、結婚式のスピーチ以来ではないでしょうか。

 話し慣れていない感じで度々つっかえながらではありますが、そのことに感動してしまった私はすぐにはお返事ができませんでした。

 そうしていると、どんどんアオさまの目が伏せられていくのにはたと気が付いて——いけない!


「あっ……ありがとうございます、アオさま!」

「っ⁈」


 急いでお返事しなくてはと慌てたせいで、声のボリューム調節を大幅に間違えてしまいました。

 突然の大声にびくりと肩を跳ねさせたアオさまの手を取って、改めて「ありがとうございます」とゆっくりお礼を重ねます。


「私のことを気遣ってくださって、とても嬉しいです。けれど……お仕事のすぐあとであっても、アオさまのお出迎えはしたいので。これからは気を付けますね」

「……なん、で?」

「おかえりなさいって言いたいんです」


 ラジオをさせてくださいとお願いした時のようにマリンブルーの目を丸くして、きょとんとしたお顔のアオさま。

 涼やかで綺麗なお顔立ちが、そうしているとなんだか幼い子どものように可愛らしく見えます。

 背の高いアオさまをまっすぐに見上げて、私は微笑みました。


「アオさまは私にとって家族ですから。帰ってこられたら、一番におかえりなさいってお迎えしたくって。もちろんいってらっしゃいもですよ!」


 いってらっしゃいも、おかえりなさいも。

 前世で実家を離れ一人暮らしをしていた私自身が、死ぬ直前までずっと欲していた言葉でした。

 だから、今この世界で私にとって唯一の家族であるアオさまには絶対に言いたいのです。


「……ええと……」


 モニョモニョと何やら口篭られているアオさま。

 繋いだままの手と私の顔とを交互に見られるたびに毛先の透き通った紺色の髪がふわりと揺れて、まさに先ほど見上げていた宵闇に染まる水面のよう。

 リイリイは私のまっすぐで長い水色の髪を綺麗だとよく褒めてくれますが、アオさまのそんな髪もとても美しいと思うのです。

 ……と、思考が逸れてしまっていました。そうではなくて。


「コホン。ええと、なので……今更ですが改めて言わせてくださいね」

「改めて……?」

「おかえりなさい、アオさま」


 ぎゅっと手を握り締めてお伝えすると、アオさまは半端に口を開きなんとも言えない表情でフリーズされてしまいました。

 ……あ、いえよく見てみれば。

 お肌が青白いのでちょっと分かりづらかったですが……頬が微妙に上気してらっしゃる……かも……?


 なんて、つい顔を近付けてまじまじ覗き込んでしまったせいなのでしょうか。


「っただい、ま」


 かろうじて聞き取れるかどうかくらいのそんな微かな言葉が耳に触れたかと思うと、目の前で虹色の水泡が大量にパーン!と炸裂。

 咄嗟に目を瞑ってしまった私の横を、泡と共に猛烈な風が吹き抜けていきました。


 この事態のなんたるかを知っている私はそのことには驚きこそしませんが、突然のことすぎて危うく尻餅をつきかけてしまいます。

 一際大きな泡がポヨンと背後を支えてくれたので転ばずに済みましたが。


「あ……アオさまー!」


 泡にもたれたまま、テラスのはるか先、ドームの向こうへ泳ぎ去っていく巨大な影を振り返ります。

 ワニと恐竜を掛け合わせたような頭に鰭状の脚、魚にしては屈強すぎる身体。前世の知識で例えるなら、モササウルス……でしたでしょうか?

 それに似ていて、且つ下手な大型トラックよりもはるかに大きなそれはアオさまの竜王としての真のお姿。


 いつもの人間に近いお姿も本当であって仮の姿というわけではないそうなのですが、竜のお姿のほうがさまざまな能力が高く常に全力を出せる状態なのだと以前イウピカさまにお聞きしたことがあります。

 察するに、いつものお姿は省エネなエコモードというところなのでしょう。


「もう暗くなりますので泳ぐ速度には気を付けてくださいね! 魔海ラジオ夕方の部でもお伝えしましたが、シーサーペント同士の追突事故がお城の近くで起きたばかりですよー!」


 ただいまと行ったすぐそばからまた出て行かれてしまったアオさまへ声をかけます。

 ぐんぐん遠ざかっていってしまわれますが、どれだけ急速に距離が開いても声を届けられる【さざなみの声】はこういう時も実に便利ですね!


(それにしてもアオさま……どうされたのでしょうか)


 ひとり首を傾げましたが、長いこと周りの方々とまともに話されていなかったアオさまからすれば「おかえりなさい」「ただいま」の真正面からのやり取りは慣れなくて恥ずかしかったのかもしれません。

 悪いことをしてしまったかもとは思いつつ、でも微かな声で返してくださった「ただいま」が嬉しくもありました。

 飛び出していきつつも私が転ばないように咄嗟に泡で支えてくださったり、アオさまはやはり優しいお方ですね。


「……あら?」


 胸の奥がホワホワ暖かくなりながらお城の中へ戻ろうとして、ふと。

 テラスドアの近くに設置されている白い椅子の上に、何か置いてあるのに気が付きました。

 淡い水色のレースペーパーに包まれ青いリボンがつけられたそれは、近寄ってみれば懐かしくも見慣れていたもので。


「これは……花束?」


 可愛らしいピンクの薔薇が控えめに束ねられた花束。

 少なくとも私が夕方の部のためテラスに出た時にはなかったものですし、リイリイがお家へ帰るのを見送った時もなかったはず。

 ……と、いうことは。


「アオさま……?」


 つい、先ほどアオさまが泳ぎ去って行った方向をもう一度振り返ってしまいました。

 すっかり真っ暗になってしまい、私の目ではもうドームの向こうの海の様子は分かりませんが。


 薔薇の仲間は魔界にも存在していますが、この薔薇はどう見ても人間界のものです。私がかつて聖女としてお勤めしていた教会にも同じ品種の薔薇がありました。

 お城へのお戻りがいつもより遅かったのはアオさま、もしかして……。


『皆がそうとは限りませんが、人間の女性はお花が好きな方が多いかなと思いますよ!』


 先ほどの魔界ラジオ夕方の部で【魔海在住匿名希望】さんへお返事した自分の声が、頭の中で反響しました。

 まさか、アオさま……!


「夕方の部のラジオも聴いていてくださったんですね⁈ だから人間である竜妃わたしも、もしかしてお花好きかなとわざわざお土産を用意してくださったと! ということは、視察も危険なことなく平穏に終わられたのですね! よかったー!」


 先ほどは視察が危なくなかったかなども聞けませんでしたからね!

 ばんざーい!

 と、両手を挙げていたら。


「うーーーーん! 伝わらないものでありますねえぇ!」


 いつの間にかテラスの隅にいたリイリイがのたうち回りながら叫んで、鰭で頭を抱えていたのでした。

 何をしているのか聞いたところ忘れ物を取りに来ただけとのことで。

 曖昧な笑い方をしながらリイリイはすぐにまた帰ってしまったのですが、伝わらないとは何の話だったのでしょうね……?


 はてと首を捻りつつ、私は深夜の部の前に仮眠を取ることにしたのでした。

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