第2話 私が魔王なんて、嘘でしょ?

 沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上する。

 頭が酷く重い。とても疲れた日の、翌朝に似ている。

 まず意識したのは匂い。上手く言えないけど、バニラエッセンスみたいな甘い香り。

 次に光。これはよく解る、朝日の感じだ。

 ああ、早く学校に行かなくちゃ……。


「……うーん……」


 気だるさを振り払うようにして、目を開ける。すると見えたのは、どこかのホテルみたいな真っ白で綺麗な天井。

 ……あれ? うちの天井ってこんなだったっけ……?


「アイラ様! お目覚めになられたのですね!」


 突然そんな声が聞こえてきて、反射的に顔を横に動かす。そして目に入ってきたものに、私は思わず固まった。


「え……」


 そこにいたのは一人の人間。でも普通の人間と違うのは身長がゆうに二メートルくらいはある事と……何より……。


「う……牛人間……?」


 そう、その人の頭は、牛そのものだったのだ。それも乳牛じゃない、バッファローとかちょっと厳つい系の。


「ああ、こうしてまたアイラ様にお目にかかる事が叶うとは……このダンタルク、喜びに胸がはち切れそうでございます!」


 牛人間は何だかよく解らない事を言って、おいおいと泣いている。……え、えーと、映画の撮影か何かなのかな?


「あ、あの……」


 どうしていいか解らなくて、とりあえず体を起こして牛人間に声をかけてみる。すると牛人間は即座に姿勢を正して、礼儀正しい口調で言った。


「いかがなさいましたか、アイラ様」

「あの……」

「はい」


 期待を込めた眼差しで、こっちに熱い視線を送る牛人間。それに何だか申し訳ない気持ちになりながら、それでも私は言った。


「あの……あなた、誰ですか……?」

「……………………は?」


 瞬間、牛人間が石のようにびしり、と固まった。かと思うと、すぐに物凄い勢いで身を乗り出してくる。


「ななな何を仰いますアイラ様!? ワタクシです! あなたの右腕たるダンタルクです!」

「そ、そんな事言われても、私、頭が牛の知り合いとかいないです!」

「アイラ様、何を!?」

「そ、それに私、アイラじゃありません! 愛奈です!」

「そんなはずはありません! あなたは確かにアイラ様のはず!」


 手で体を庇うようにして必死に訴えるけど、牛人間はそう言って聞き入れてくれない。こ、これ、どうなってるの!? 私、どうすればいいの!?


「……もしやまだ、記憶が蘇ってらっしゃらないのですか……?」


 私が困り果てていると、牛人間が突然そう言って動きを止めた。そしてさっきまでの勢いが嘘のように、静かに私から身を離す。


「あ、あの……?」

「失礼致しました。このダンタルク、久々にアイラ様にお目にかかれた喜びに、少々我を忘れていたようです」


 そう姿勢を正して、牛人間が言う。私は相変わらず何が何だか解らないまま、ただ牛人間を見つめるしか出来なかった。


「単刀直入に言いますと。あなたはこの世界の魔王、アイラ・シュテルン様の生まれ変わりなのです」

「ま、魔王?」

「はい。アイラ様は人間共に虐げられし同胞を救うべく立ち上がった、まさに我々の救世主なのです!」


 戸惑う私に、拳を握り締め牛人間が力説する。な、何だか漫画みたいな事言ってるけど……。


「かつてアイラ様は憎き人間側の勇者と戦い、相討ちになられました。我々は待ちました。アイラ様が、再びこの世界に蘇るのを」

「え、えーと……」

「しかしいつまで経ってもアイラ様が復活する気配はなく。そこで部下の魔導士に手を尽くさせたところ、魂がこことは別の世界に存在する事が判明したのです」


 次々と述べられる言葉はあまりにも非現実的すぎて、何だかあまり上手く脳内処理出来ない。手の込んだドッキリだと言われた方が、まだすんなり飲み込める。


(……でも)


 そこで不意に思い出す。ここに目覚める前に見た、あの光景を。

 裂けた空の向こうの、逆さまの世界。それに吸い込まれる、私と翔ちゃん。

 何だか夢のような気がしてたけど、もしあれが夢じゃなくて、実際に起きた出来事だったとしたら……?


「……あの、失礼します!」

「ア、アイラ様!?」


 確かめるには、もうこれしかない。私はガバッとベッドの上に立ち上がると、牛人間の首の辺りをペタペタと触った。

 首元にあるのは、短く生えた毛ばかり。継ぎ目らしきものは、どこにもない。

 何より……触れた場所には、ちゃんとした肌の温もりがあって。


「アイラ様、一体どうなされたのです!?」

「マスクや特殊メイクじゃない……つまり……つまり……」


 突き付けられた現実。つまりこの人の頭は本当に牛で、これは撮影でもドッキリでもなくて。

 つまり。つまり、という事は。


「私……違う世界に連れて来られちゃったって事……?」


 呆然と口にした言葉は。ほんの少し、震えて揺らいでいた。

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