CHAT

 午後十時。佐藤由香里は愛用のノートパソコンをテーブルの上に持ってきた。

 電源を入れ、ブラウザを起動させて、いつものサイトを表示させる。

 先日、高校の同窓会に出席した時に、教えてもらったサイト。同じクラスだった人達が数人あつまってチャットを楽しんでいるという。

 懐かしさからチャットを覗いた由香里は、たちまち夢中になって夜になるとパソコンの電源を入れるようになった。

 そして今日も由香里はキーボードを叩く。


 佐藤:こんばんは

 工藤:佐藤さんこんばんわー


 由香里がチャットに入ると、工藤がいつものように挨拶をしてきた。

 クラスの中では明るい人気者だった工藤。由香里はいつも人の輪の中にいた姿を思い出していた。


 佐藤:工藤君だけ?

 工藤:今日は桜井と遠野が来るらしいよ


 由香里は、桜井の長い髪といつもうつむき気味だった顔を頭の中で思い描いた。高校三年間同じクラスで、一番の親友だった桜井。引っ込み思案で、いつも由香里の後ろにいた桜井。真っ赤な顔をして遠野の事が好きだといった桜井。そんな桜井を見て私に任せてといった由香里。


 工藤:そういえば、桜井と遠野って結婚するんだって?

 佐藤:そうそう。この間の同窓会の時に言ってた


 久しぶりに会った二人は、高校の時と雰囲気があまり変わっていなかった。物静かで落ち着いた遠野と、その少し後ろに佇む桜井。

 二人がはにかみながら言った台詞。


「今度結婚するんだ」

「そうなんだ、おめでとう」


 よどみなく言えた自分に由香里は驚いていた。もっと言いよどんだり、絶句するような気がしたのに。


 工藤:びっくりだよなー。もう結婚する奴が出てくるんだ

 佐藤:もう卒業して大分経つからね


 時間が解決してくれたのか、それとも年をとってそういうものが鈍ったのか。由香里がぼんやりと考えていると、チャットルームの入室者数が四人になった。


 遠野:こんばんは

 工藤:おー、こんばんは。結婚おめでとう!

 桜井:皆さんこんばんは

 佐藤:こんばんは

 遠野:ありがと


 チャットが一気ににぎやかになった。取り留めの無い会話が心地いい。


 工藤:遠野、たまには帰ってこいよ

 遠野:こんどの盆にでも帰るよ


 そういえばこの二人は親友だったんだっけ。由香里は高校生だった時の事を思い出していた。

 いつも見ている視線の先にいた二人。


 工藤:そういやそろそろ盆だよな

 佐藤:そうだねえ

 工藤:という事で怖い話コーナー

 遠野:怖い話?

 桜井:えー


 工藤の思いつきでチャットがおかしな方向へ向かいだした。


 工藤:それじゃまず……遠野なんかない?

 遠野:そうだなー、くねくねとかは?

 桜井:なにそれ?


 それぞれが適当に怖い話をしていく。チャットではやり辛いはずなのだが、皆気にしていないようだ。由香里も小耳にはさんだ怖い話を披露する。


 佐藤:で、浴槽のヘリと手の間で一気に

 工藤:かかか勘弁してくれー!!

 遠野:ちょっと……それは

 桜井:ふーん


 少し男性陣にはきつかったようだ。ふふん、と由香里はよく分からないが何かを仕返しした気分になた。


 佐藤:最後は工藤君ね

 工藤:まかしとけ!

 遠野:自信ありそうだな

 工藤:おうよ! こないだ見つけたサイトなんだけど、こいつは怖いぜー


 高校時代そのままの工藤を見て、由香里はキーボードから指を離してふっと笑った。調子に乗りやすいあの頃のまま。自分はどうだろう、変わったのか、変わってないのか。


 工藤:https://kakakomikasi.web.fc2.com/index.html


 ふと画面を見ると、工藤が書き込んだURLが見えた。一体どんなサイトだろうか。由香里はもう一つブラウザを開き、URLをブラウザのアドレス欄にコピーアンドペーストして移動のボタンを押してみた。


「……何これ?」


 思わず呟いた由香里の視線の先には、意味不明の言葉の羅列が表示されていた。


「かかこ……みしみ?」


 よく見ると、所々単語になっている部分もあるが、文として意味が通っていない。

 薄気味悪い何かを感じた由香里は、そのサイトが表示されているブラウザを閉じた。


 遠野:何だよこれ

 桜井:気分悪い……


 チャットの雰囲気が一気にどんよりとした物になった。由香里も何か表現しづらい重い物を感じて、側に置いておいたお茶を一口飲む。いつもより苦い気がする。


 工藤:どう? なかなか怖いっしょ

 遠野:怖いというか不気味というか

 桜井:ごめん、なんか気分悪くなったから寝るね

 佐藤:大丈夫?


 この日は結局、桜井が不調を訴えて落ちた後、遠野もいなくなり、残された二人もなんとなく会話が続かずにお開きになった。




 あれから三日が過ぎ、また夜がきた。

 由香里はノートパソコンに電源を入れる。心なしかパソコンが重くなったような気がする。

 チャットにはすでに二人の先客がいた。


 工藤:心当たりは探したのか?

 遠野:行きそうな所は全部

 佐藤:どうしたの?


 いつもとは違う雰囲気に、由香里が尋ねてみると、桜井と連絡が取れなくなったという。

 一昨日の夜、電話しても一向に出ない。そこで桜井の家に電話してみると、三日前の朝出て行ったきり、職場にも現れずどこかに消えてしまったという。


 工藤:何か変わった様子はなかったのか?

 遠野:三日前の朝電話したら、気分悪いって言ってたけど

 佐藤:警察に連絡した方がいいんじゃない

 遠野:桜井の両親が警察行ったけど


 ただならぬ雰囲気にチャットで会話を楽しむどころではなくなってしまった。由香里は二人と、何かわかったら知らせるという約束で携帯の番号を交換した。

 パソコンの電源を切ると、由香里は桜井の家に電話してみた。久しぶりに聞く桜井の母親の声は少し疲れているように聞こえた。


「久しぶりね由香里ちゃん、元気だった?」

「はい、それで祐子の事なんですが……」

「……うん、まだ、帰ってこないの。でも由香里ちゃんは心配しないで、きっと、帰ってくるから……」


 桜井の母親の声を聞きながら、由香里は得体の知れない悪寒を感じていた。何か、嫌な感覚。

 電話を終えた時にはすっかり疲労していた。ただ電話をしただけなのに、体がだるくて気を抜くとしゃがみこみそうになる。いろいろと考えたい事があったが、由香里は早く寝る事にした。




 朝起きると由香里は風邪を引いていた。引出しの奥から体温計を引っ張り出す。37.8度、道理で体がだるいはずだ。

 由香里は会社に休むと連絡した後、ただひたすら眠った。夢の中で由香里は遠野の背中を追っている。工藤と二人でいる遠野を追いかけた。桜井と二人でいる遠野を追いかけた。そしていつの間にか遠野はいなくなっていた。

 耳障りな音が由香里を夢から現実に引き戻す。もそもそと手を伸ばして鳴り続ける携帯を掴む。


「……もしもし」

「あ、佐藤? 遠野だけど」


 由香里は跳ね起きた。


「え? あれ? ここは?」

「あれ? 佐藤、だよね」

「あ、そうそう! えーと、どうしたの?」


 由香里は枕もとに置いてあった水を飲んで落ち着くと、携帯をしっかりと手に持った。


「工藤から電話なかった?」

「いや、なかったけど」


 由香里の言葉に、遠野はしばらく黙った後口を開いた。


「工藤の携帯がつながらなくなった」

「え?」

「昼前に電話した時はちゃんとつながったんだけど……」


 由香里は時計を確認した。すでに午後三時を過ぎている。


「どういうこと?」

「いや、俺にもわからない。ちょうど今日から盆休みでそっちに帰るから、工藤の家に行ってみる」

「あ、うん」

「ついたらまた電話するから」

「わかった」


 由香里は携帯を切った後、時計をじっと見つめた。桜井と工藤、立て続けに連絡が取れなくなるなんて何かあったのだろうか。ぼんやりした頭で考えていると、また睡魔が襲ってきて由香里は眠りに落ちていった。




 由香里が目を覚ますと夜の十時になっていた。とりあえずテレビをつけてニュースを眺める。

 しばらくすると、携帯の着信音が鳴り出した。すぐさま由香里は携帯を掴んだ。


「もしもし」

「……佐藤か?」


 やはり遠野だった。由香里はとりあえずどうなったか聞いてみる事にした。


「工藤君は?」

「佐藤、落ち着いて聞いてくれ」


 遠野の声が少し震えている。由香里は何も言う事ができずに黙ってしまった。


「工藤……死んでた」

「えっ」

「今、工藤の家に警察が入ってる」


 由香里は寝起きの頭をフル回転させて状況を掴もうとした。


「じゃ、じゃあ、工藤君は電話した後死んだの?」


 由香里の言葉に、遠野はしばらく黙った後、一言一言噛みしめるように言った。


「工藤は……骨になってた」

「骨……?」


 由香里は思考を進めようとするが、どこにも引っかかる事無く空回りするだけだった。


「まだ、ちゃんと検死をしないとはっきりした事はいえないけど、死後半年は経ってるんじゃないかって……」

「半……年?」


 ますます由香里の思考は空回りした。一体何がどうなっているのか。


「え? じゃあ、チャットの」

「わからない。偽物なのかも。でも昼に電話した時の声は確かに……」


 遠野と話しながら、由香里はテレビから聞き覚えのある単語が聞こえてきた。

 由香里がテレビを見ると、四角い画面に懐かしいあの場所が写っている。


「……こちら現場です。今日夕方頃、県立御岳高校の体育倉庫で、若い女性が首を吊っているのが発見されました。女性は桜井祐子さん(24)で家族から捜索願が……」


 由香里はニュースを見ながら足の力が抜けていくのを感じた。


「遠野君、ニュースで、祐子が……」

「えっ?」


 喉の奥で何かが邪魔をしているようで、声がうまく出せない。


「祐子が、高校で、首……吊ったって」

「え? どういう事? 祐子が」

「祐子が高校で首を吊っているの!」


 引っかかっていた何かが取れたような大声が出てしまった。


「……今から学校行って来る!」


 遠野は乱暴に携帯を切った。由香里は返事する事もできず、通話が切れた携帯を握り締めたままぼんやりと前方を見る事しかできなかった。

 由香里が我に返ると、時計の針は午前一時をさしていた。部屋を見回すと、パソコンが見える。

 いつの間にか電源が入っていて、いつの間にかいつものチャットが画面に表示されている。


 工藤:ごめんね


 入室者は、一人。


 工藤:寂しかったんだ。ごめん。


 何もしないのにメッセージが映し出される。


 工藤:一人はもう嫌なんだ

 桜井:いや……帰して……いやあ


 入室者は、二人。


 工藤:あのサイト、皆と一緒になるために俺が作ったんだ

 桜井:助けて……お願い

 遠野:佐藤! 逃げろ! 早く!


 入室者は、三人。


 工藤:ダメだよ、俺に逆らったって苦しいだけだよ

 桜井:ううう由香里もこっちにおおおいでよ

 遠野:あのサイトをををもう一回みみみみみみみみみみみみみみみみ


 由香里は立ち上がると、ドアに駆け寄った。必死でノブを掴み、手前に引っ張る。


「え……?」


 開いたドアの向こう、由香里の眼前には、白が広がっていた。廊下や壁や天井があったはずの場所を全て覆う白。

 あわててドアを閉める由香里。しかし閉めたドアも白くなっていく。ドアを掴む手も、周りの白に溶けるように白くなっていった。

 振り返ると、一面白の中パソコンのディスプレイだけが、四角く切り取られたようになっている。


 工藤:うん、また皆で喋ろうよ


 由香里は叫び声を上げようとした。しかしもう声は出なくなっている。涙も出ない。震えるはずの体もない。

 全てが白く染まる中、ただ、四角い画面だけが浮いたように


 佐藤:いやああああああああ!!


 入室者、四人。




 今日もネットの片隅では、チャットで会話の花が咲いている。


 風祭:こんばんは〜

 宮迫:こんばんは

 桜井:はじめまして

 風祭:あら、はじめまして

 佐藤:逃げて!

 宮迫:え?

 佐藤:なんちゃって、皆さんはじめまして。

 佐藤:夏にぴったりの納涼サイトがあるんですよ

 佐藤:https://kakakomikasi.web.fc2.com/index.html

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