残像

 太陽は地平線の向こうに沈み、夜が空を覆い始める。

 一人の女子高生が、町外れの道を走っていた。

 走りながら後ろを確認する。

「はあっ、はあっ……まだ、ついてくる」

 女子高生より十メートルほど後ろには、虚ろな目をした男が酔っているような足で追ってきていた。

 昼と夜の境にいるせいか、男の輪郭はぼんやりとしている。


 学校からの下校途中、遠くに見えた廃ビル。

 「なにかいる」と以前から噂のあるいわくつきの建物。

 どんなものか少し近くで見てみよう。最初はただの好奇心だった。

 夕日に照らされる廃ビルを目指して歩いていたら、いつの間にか背後に男が酔ったようにふらふらと歩いているのに気づいた。

 不気味に思った少女は、少し足を速める。男の足も速くなったように思えた。

 知らず知らずのうちに駆け出す。男は一定の距離をつかず離れず……。


 空は暗く、月は輝きだす。

 走り続けた少女は、いつのまにか廃ビルのすぐそばに来ていた。

 入り口には「立ち入り禁止」という張り紙。

 息を切らせた少女が、背後に男の気配を感じた。何か決意をこめたように、ひとつ息をのみこんで、ビルの扉に手をかける。

 扉は特に抵抗することなく開き、少女を中へ迎え入れた。


 中はわずかな月明かりを覗く全ては黒く塗りつぶされていた。

 少女は内部でほのかに反射する月の欠片をたよりに歩き出す。

 背後で扉の開く気配がする。

 少し足を速めて、近くの上り階段へ向かう。

 出来るだけ足音を立てないよう、出来るだけ急いで階段を上る。

 階段を上りきると、少しだけ明るい通路があった。

 一息ついた少女が、通路の先をじっと見つめる。

 ようやく暗闇に目が慣れてきた少女は、通路の先にどこかへと通じるドアを見つけた。

 そのドアに向かって、足音をたてないよう静かに歩く。

 あそこに隠れてやり過ごして……そんなことを考えていた時。


「誰だ!」


 あわてたような、あせったような男の声が、通路の先から叩きつけられる。

 驚いた少女が声のほうを見ると、こちらも驚いたような雰囲気の男が二人。

 大柄な男と小柄な男の影が、どこかから差し込む月の光に浮かび上がる。


「なんだ、女か」

「どうします兄貴、薬のありかを知られたんじゃ……」

「バカ野郎! 余計なこというんじゃねえ!」


 大柄な影の怒声に、小柄な影がさらに小さくなった。


「まあいいや、嬢ちゃん、ちょっとこっちへ来な」


 大柄な影がゆらり、とこちらに向かって歩き出した。

 少女はこわばったような動きで後ずさりを一歩、二歩。

 三歩目の途中で背中が何かにぶつかる。


「!」

「何だ、てめえ」


 悲鳴をあげそうになった少女が振り向くと、そこに黒い影があった。

 黒い帽子に黒いスーツ、黒い靴、右手には黒のアタッシュケース。黒に紛れた人影は、月の薄明かりにかすかに照らされている。

 四十代の印象に残らないような男の顔が帽子の下で無表情を保っていた。


「あ、兄貴、なんかあいつヤバそうですよ!」


 大柄な男は右手の手袋を取った。銀色をした右手が変形して、刃になる。

 低い作動音がして銀色が鈍く輝きだす。


「兄貴の電磁ブレードはハンパじゃないぞこら」


 小柄な男がつばを飛ばしながら虚勢をはる。

 その様子をじっと見ていた黒い人影は、表情を変えずに口を開いた。


「ここから離れなさい」

「なんだあ? てめえは今からぶった切ら、れ……?」


 大柄な男の声がどこかに迷い込むように途切れる。違和感を感じた男が視線をおろした先で、銀色に輝く男の右手がぶくぶくと泡立つように形を変えていく。


「な、なんだこ」

「あ、兄貴、お、俺も」


 小柄な男は足から始まった変化が胴体にまで到達している。

 黒い人影が静かに見守る中、二人の男は戸惑いと混乱の中、ぶくぶくと音を立てながら二つの肉塊へと変わり果てた。


「予想よりも速い」


 黒い影はそう呟くと、腰を抜かしたように座り込む少女へと近づく。

 少女は凍りついたような表情で、微動だにせず固まっている。


「侵食に対して耐性があるようですね」

「……え、何? 何なの?」


 黒い影の声で解凍されたかのように少女が騒ぎ出した。


「こここれなんなの?」

「侵食です。あなたも早くここから離れなさい」


 影は少女の手をとり、ゆっくりと立ち上がらせる。


「え? 侵食?」


 戸惑う少女に一瞥もくれずに、影は光のない暗闇へと歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 あわてて影を追いかける少女。

 影は少女の言葉に足を止めて、無表情の顔を向ける。


「あなたは、何故ここに?」

「えっ?」


 黒い帽子の下の影の目が、少女をまっすぐに貫く。


「ここは第三特区……立ち入り禁止区域になっていたはずです」

「あの、変な人に追いかけられて、それで……」


 影の目線が、少女の背後へと移動する。

 それに気づいた少女がふりむくと、視線の先に、輪郭のぼやけた男がいた。


「原形を保っているとはな。成程……狩りのつもりか」

「えっ」


 戸惑う少女に向かって、輪郭のぼやけた何かがゆっくりと歩き出す。


「三、いや四か。失礼!」


 影は一言呟くと、左手で少女を抱えて走り出した。

 影は近くのドアを開き中に滑り込む。ちょっとした会議に使われていたような小さな部屋。

 その中央に少女を下ろすと、影はスーツの内ポケットから鋭くとがったナイフのようなものを取り出した。

 少女が呆然と見つめる中、影は部屋の四隅の床に向かってナイフを投げつける。


「臨む兵、闘う者、皆 陣烈れて前に在り……」


 影が小さく呟くと、まとわりつくような部屋の空気が軽くなった。


「え、あの、今何を……」


 影は持っていた黒いケースから、鈍い銀色をした金属製の短冊のようなものを取り出す。


「境界を結び、ヤツの世界から私の世界を独立させました。さて……」


 影は少女に向き直る。


「あなたは、さっきのモノはどう見えました」

「ええと、なんだかぼやけてたように」

「あれをぼやけた程度ですか、結構。周りに何か見えましたか?」

「いえ、何も……」

「ますます結構」


 影はスーツのポケットから、紙で出来たお札のようなものを取り出し、ドアの周囲に貼り付けていく。


「あの、どういう」

「見えないということは、ヤツの干渉を受けていないということです」

「逆に何か妙なモノ、この世のものとは思えないものが見えたら、それは干渉を受けているということです」

「見えるモノには近づかないように。侵食されますよ」


 影がそこまで言ったところで、ドアが大きな音と共に歪んだ。


「ひっ」

「来ましたか。まあそれはそれとして」


 影は座り込む少女の前にかがんだ。


「両手を前に出してください」


 ドアがけたたましい音を出す中、少女が恐る恐る手を前に出す。


「拍手を一つ、うってみてください」

「は、はい」


 控えめな拍手が一つ。


「もっと強めに」


 乾いた音が部屋に響く。同時にドアが静かになった。


「いい音です。やつらはその音を苦手としているので、それで自衛をお願いします」


 それだけ言うと、影は少女に背を向け、ドアに向けて立った。

 ドアはまた狂ったように衝撃を受け歪んでいる。


「さて、ようこそわが世界へ……」


 ノブが弾け飛び、機能を失ったドアがきしみながら開く。

 ぼやけた何かは、言葉にならない音を叫びながら部屋に足を踏み入れた。

 ドア周辺に貼られた札が黒焦げになって床に散らばる。


「三消滅、残り一とひとつ!」


 影は右手に持っていた四枚の金属のプレートを何かに投げつける。

 一つは何かの左上をかすり、何かが弾ける音がした。

 三つは何かに突き刺さる。

 ぼやけた何かは悲鳴のような何かをあげた。


「倒しきれないか……申し訳ありませんが、拍手を二回お願いします」

「え? は、はい」


 部屋に響く乾いた音ふたつ。


「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄と祓い給う……」


 影の声に、一瞬部屋が明るくなり、ぼんやりとした何かを覆っていた曖昧な何かは溶けるように消える。

 中から現れた三十代ほどの男性は、支えていた糸が切れたように床に倒れた。


「ありがとうございます。おかげで始末できました」

「は、はあ」


 座り込んだまま唖然と前方を見つめる少女。

 影は、倒れた男性に近づき、かがみ込んだ。


「死後三日、か」


 影は男性から離れると少女の手を取って立ち上がらせた。


「さて、先ほどのお礼に、外まで送りますよ」

「えっ、はい、ありがとう」


 しっかりとした足取りの影のあとを、少女はおっかなびっくり歩き、壊れたドアから部屋の外に出た。

 外に出ると、少女の周囲を何か不快感が取り囲んだように思えた。

 少女は影の背中にまとわりつくように歩く。

 通路を歩いていると、どこかからぐちゅぐちゅと不快な音がする。

 少女が影の背中ごしに音の方向を見ると、二つの塊がうごめいているように見えた。


「……?」

「見て気持ちいいものではありませんよ」


 影は音の方を見もせずに歩く。少女は離れないように後をついていく。


「あれは先ほどの二人組です」

「え」


 少女の脳裏に、大柄な男と小柄な男のシルエットが浮かぶ。


「死んで……ないのですか」

「死んでいます。侵食され続けているだけです」

「えっ、さっきの部屋のあの人を倒したんじゃ」

「あれは枝葉、いや端末です。本体はこのビルの屋上に」


 二人は暗く月の光があまり届かない階段をおりる。


「侵食されると……ああなるの?」

「あれは特殊です」

「そう、なの?」

「元人間に侵食されたのならば、死にはしますが原形を保つことが出来ます。しかし……」


 階段の踊り場に、ささやかな月のあかり。


「ここにいるヤツは、人間よりも、もっともっと古い。古い何かの残像です」


 踊り場を歩く影は月の光を吸い込むように黒く。


「ヤツは、侵食したものを自分に無理矢理置き換えようとします。結果、何者にもなれない塊に変わる」


 二人は階段をおり、一階へと戻ってきた。薄暗い中、月の光だけが淡く灯る。

 少女は影の背中に向かって言葉をかける。


「あの、おじさんはどうしてここに」


 影は振り向かず、前を見たまま、歩を緩めることなく。


「……五年前、私の住んでいた所に、ここにいるヤツが現れたのです」


 影は歩く通路の先にある、立ち入り禁止の張り紙がある扉を静かに見つめる。


「ヤツに侵食された物質は、原形を保てず、不定形に変化していく……私の家族も皆肉の塊になって死んでいきました」

「あ……」


 少女の脳裏に、男たちの末路が再生された。


「歪んでゆく家族が、肉の塊になっていく家族の断末魔が私をここへ」

「おじさん……」

「あなたも早くここから……」


 突然影は右手で少女を突き飛ばす。少女は後ろに尻もちをついた。


「痛っ、何……」


 少女が見上げた先で、かばうように差し出された影の左手がぶくぶくと泡立つように形を変えていた。


「おじさん!」

「その扉から外へ! 急いで!」


 影の声に少女は立ち上がり力強く駆け出す。扉を開き外の世界へと。

 ビルの外へ逃れた少女が振り向くと、開いた扉に立ちふさがる影の姿。


「おじさん!」


 少女は扉に向かって両の手を勢い良く合わせる。


 ぱぁん!


 乾いた音がビルを揺らしたように見えた。

 影はゆっくりと振り向く。


「ありがとうございます。助かりました」


 影の言葉に合わせたかのように、沸騰していた左手が弾け飛んだ。

 少女の目に影の左手の傷口が映る。少女の顔に戸惑いと驚きが浮かぶ。


「おじ……さん?」


 影は少女の視線を受け止めたまま静かに呟く。


「先程言った通りです。私の家族は皆殺されました。優しかった妻、十歳だった娘……そして」


 破れた服から覗く銀色の骨格、血管のようなコード。


「そして、私」


 影は無表情のまま失った手首から先を眺めた。


「絶望の中、自らの断末魔を聞きながら絶命するはずだった男の記憶をデータ化して移植された存在……」


 影の顔に初めて表情が浮かぶ。何かを嘲笑するように。


「本人は彼方へ去り、残像だけが残りました。金属が思い出す死者の記憶……私もまた、亡霊なのです」


 しばらく時が止まったかのように誰も動かない。

 影から表情が消えた。


「さあ、早くここから去りなさい」

「おじさん、どうするの……?」


 少女は扉の向こうで背を向けている影を見つめる。


「私はこの先へ」


 影の視線が前方の黒で満たされた空間を貫く。


「大丈夫、なの?」

「大丈夫ではありません。しかしそんな事は問題ではないのです」


 少女は扉に歩いて近づき、影の横顔をじっと見つめる。少女は口を開いた。


「おじさん。名前、なんていうの?」

「名前……ですか。生きていた頃はハザマという名前でした」

「ハザマさん……は、どういう人だったの?」

「記憶によると、結構激しい性格の人だったようです」


 少女は不思議そうに影の顔を見た。


「おんなじ人のはずなのに違うのね」

「そもそも私は人間ではありません」


 影は真面目な顔をして答える。


「ああ、うん、そういえばそうだよね」


 少女は何かに納得している。影は暗い通路へと足を向ける。


「これからこの先とその周囲は少々危険になります。もう行きなさい。そして死人の事は忘れるのです」


 少女は影の背中を見つめる。黒い背中。


「では……」


 影は帽子をかぶりなおし、暗闇へと歩を進める。


「忘れないよ」


 影の足が一瞬止まる。


「ハザマさんはよく知らないからしょうがないけど、おじさんの事は忘れないよ」

「……出来るだけここから遠くに離れることです。可能な限り急いで」

「うん、じゃあ……」


 少女の駆け出す足音がする。

 影は音もなく闇に向かって歩きだす。


「妙な疑問だ。私はハザマなのか、それとも……」


 影の記憶領域から一つのデータが再生された。


  “おじさんの事は忘れないよ”


 影の表情に緩やかな笑みが浮かぶ。


 ――そうか、私はそこにいたのか。




 太陽が一日の始まりを照らす。

 高級住宅街の一角、リビングの壁に朝のニュースが四角く映っている。


「ほら、ぼーっとしてると遅刻するわよ」


 母親と思しき女性の声に、ソファでぼんやりしていた少女が顔をあげる。


「なーに?」

「なーにじゃないでしょ。まったく、何も連絡しないであんなに遅くなるなんて」

「だからそれはもう謝ったでしょ」

「あなたねえ」


 泥沼の説教の気配を感じた少女は素早くソファから立ち上がり、リビングから出て行こうとした。


「次のニュースです。昨夜未明に崩壊した第三特区のビルについて、地方政府のコメントが発表されました」


 少女は足を止め、画面の中の無機質なアナウンサーをただ見つめる。


「かねてからの再開発の予定を繰り上げ、昨夜より工事を開始したとの事です。周知の徹底が不十分で、付近の住民の皆様に迷惑を……」

「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない。じゃあいってきます」

「え? ちょっと待ちなさい」


 母親の声を背中に受けながら少女は玄関のドアを開け、朝の世界を歩きだした。

 どこまでも続く青い空に真っ白な雲がいくつも浮かんでいた

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