雨降り
雨が降っている。
朝から降りだした雨は、夕方になっても降り続けた。
そして夜になった今も降っている。
ざあざあとかすれたような音がする。
アパートの窓についた雨粒が、部屋の明かりを反射して鈍く光る。
テレビのニュースでは、大雨警報という言葉が繰り返し流れてくる。
ざあざあとかすれたような音がする。
部屋の中に置かれたテーブルの上に水滴が落ちる。
ゆっくりと見上げると、天井にしみがあり、そこから水滴が落ちてきていた。
雨漏り、古いアパートなのである程度はしようがない。
ニュースを見る。どこかで誰かが雨にかすんだまましゃべっている。
ぼんやりと画面をながめていた横を水滴が通り過ぎた。
敷きっぱなしの布団の上に水滴が落ちる。
古本の漫画しか入っていない本棚に水滴が落ちる。
ニュースはいつの間にか終わり、画面は黒く変色している。
暗い部屋の中、雨粒が畳に落ちる音だけが響いている。
このままでは眠ることもできない。
屋根を直さないと。
玄関に行き、傘を手に取る。
暗い扉を開き、部屋の外へむかう。
テレビの黒い画面が大雨洪水警報と呟いた。
部屋を出て、すぐ横の簡素な階段を下りる。
雨が体にまとわりつく。
傘は穴だらけだ、合羽をはおる。
一階の部屋の前に、アパートの大家の部屋の前に立つ。
屋根を直さないと。
扉をささやかにノックする。
一度、二度。
ごそごそと扉の向こうで音がして、嫌そうな音をだして開いた。
しかめ面の老婆がそこに立っている。
「去ね」
老婆はそれだけ言うと、扉を閉めた。
雨に濡れた階段をのぼり、屋根に向かう。
アパートの屋根は上にあった。
叩きつけるような雨が視界をさえぎる。
夜を映したような黒い色の雨が周りを取り囲んだ。
自分の部屋の上あたりを探す。
大きな穴があった。これがきっと雨漏りの原因だろう。
ベニヤ板と釘を取り出す。
身体に雨が打ちつけられる。
傘は穴だらけだ。合羽をはおる。
大きな穴のそばにしゃがみこむ。足元にはミミズによく似たなにかがのたくっている。
雨だと思っていたものはミミズだったのか。
ちょうど下にある自分の部屋から、避難勧告、避難勧告とテレビが呟いている。
屋根を直したら避難しよう。
しゃがみこんだ身体に、空から降ってきたミミズがまとわりつく。
こいつらは穴から入ってくる。穴をふさがなければならない。
耳栓で耳を、鼻栓で鼻をふさぐ。
口に入ってくるミミズをまとめて吐き出す。
目はこの雨ではどうせ役に立たない。閉じたままにする。
足元に一際大きな穴が開いている。穴からは雨が入ってくる。
ふさがなければならない。
ベニヤ板を当てて、釘で打ちつける。
ゆがんだ屋根にベニヤ板がめりこむ。
これでひとまずは大丈夫なはずだ。
気が付けば雨は黒から白に変わっていた。
ゆっくりと白い雨が空から降りてくる。
白い何かが屋根を覆う。
足元に落ちたそれをつまんでみると、カブトムシかカナブンの幼虫によく似ていた。
白くころころと転がるそれは、穴のあいた傘を通り抜けてくる。
かりかりと音がする。
白い幼虫は、ベニヤ板をかりかりとかじっている。
せっかく修理したものをかじられてはたまらない。
ハンマーを叩きつける。
白い雨が止まらない。
かりかりと音がする。
まとわり付いてくる幼虫は、かりかりと足をかじってくる。
ハンマーを叩きつける。
白い雨はあたりを覆う。
「去ね」
どこかから老婆の声がする。
「去ね」
「去ね」
老婆は白い雨の中、ハンマーを持って立っている。
かりかりと音がする。
耳のすぐ横でかりかりと音がする。
白い雨に埋まっている。
老婆の骨がかりかりと音をたてる。
振り上げられたハンマーはかりかりと減っていき。
振り下ろされたハンマーは、屋根を音にした。
アパートのゴミ捨て場にゴミが散らばっている。
ゴミ捨て場にゴミがあるのは当たり前だが、もうちょっと綺麗に使えないものかねぇ。
そんなことを呟きながら、自分が大家をしているアパートを見上げる。
ボロな分安い、その分住民も安いのばっかり。
はあ、とため息と付いてゴミ捨て場の掃除を続ける。
カラスや野良猫や野良犬がめちゃくちゃにしたであろうゴミ捨て場。
生ゴミはきちんと縛ってから捨てないと。回覧板をまわそうかね。
やれやれ、年寄りをあんまり働かせるもんじゃないよ、誰にむけるでもない愚痴をゴミ捨て場にはき捨てる。
背後からドアの開く音がする。
安い階段のきしむ音もする。
振り返ると、201号室の青年が、スーツ姿で階段を降りたところだった。
「おや、早いんだね、おはよう」
「おはようございます。今日はちょっと朝から会議がありまして」
201号室の青年はさわやかに笑顔を見せながら言う。
安い住人達の中で、この子だけはまともだった。むしろなぜこんな所に住んでいるのか聞いてみたいところだ。
礼儀正しく親切で。昨日なんて……。
「そうそう、昨日は悪かったね、屋根の修理なんて頼んじゃって」
「いえ、自分の住んでいるところですから」
正直、自分でもずうずうしい頼みだと思ったのに、嫌な顔ひとつせずに引き受けるなんてねえ。
何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
「あ、そうだ、僕がやったのはあくまで応急処置なんで、きちんとした業者に直してもらった方がいいですよ」
……いやだねえ、年をとるとひねくれちゃって。なんでもかんでも疑う癖は直した方がいいかね。
「あー、でも助かったよ、しばらく晴れだったのに、今日の午後から雨だって天気予報で言うから焦っちゃってね」
「僕も自分の部屋が雨漏りするなんて嫌ですから」
このアパートの他の連中に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいね。
「しかしあんた、高いところも平気なんだねえ。あたしは足がすくんじゃったよ」
「慣れればそうでもないですよ。でも危ないですから無理はしないでくださいね」
本当に素直ないい子だねえ。何か裏があるんじゃないか。
そんなことを考えていると、青年は腕時計をちらりとみた。
「じゃあ、僕はそろそろバスが来るんで」
「ああ、いってらっしゃい」
「去ね」
背後から老婆の声がする。
雨が降っている。
「去ね」
老婆の声は地面を這い回り、雨と共に流れていった。
昨日の夜から降りだした雨は、もうずっとやむことなく降っている。
朝から太陽は雲の向こうでかすんだまま出てこない。
いつも通る道は雨に覆われてもう見えなくなっていた。
身体も雨に覆われている。
傘は穴だらけだ。合羽をはおる。
雨がぱらぱらと音をたてる。
稲の穂が叩きつけるように降りだす。
茶色に変色した空から弾丸のように落ちてくる。
傘が穴だらけになった。
地面にも大量の穴が開いた。
身体にもたくさんの穴ができた。
中身が漏れる。
中が。
そとへ。
でていく
穴の開いた眼から外を覗く。
空は暗い雲に隠されて見えない。
半分埋まったテレビからは、大雨注意報という叫びが聞こえる。
たくさんの雨がぽつりぽつりと落ちてくる。
空からは雲が落ちてくる。
空が水になって落ちてくる。
空が落ちてくる。
まわりすべて水になる。
沈む沈む水に沈む。
身体にあいた穴から水が中に入る。
中も水に沈みこむ。
雲が全部落ちた空はゆらゆらと晴れていた。
ゆらゆらと揺れる揺れる。
歪んだ太陽が空に沈む。
黒く変色した空が落ちてきた。
雨が降っている。
夜から降りだした雨は、朝になっても降り続けた。
そして夕方になった今も降っている。
ざあざあとかすれたような音がする。
アパートの窓についた雨粒が、部屋の明かりを反射して鈍く光る。
テレビのニュースは、大雨警報を嘲笑している。
ざあざあとかすれたような音がする。
部屋の中に置かれたテーブルの上に水滴が落ちる。
ゆっくりと見上げると、黒くにごった空があった。
雨が、降っている。
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