遥かな旅路

「これより我々は人工冬眠に入る。次に諸君と逢うのは目的地到着の150年後だ」


 厳しい顔に髭を生やした船長の塩田が淡々と喋っている。

 宇宙船『星空』は太陽系外惑星の探査のため、3日前に地球を出発した。

 塩田、林田、山本、菊田、加賀見の乗組員5名は、これから5個の人工冬眠装置に入り、長い時を過ごす事になる。

 加賀見は、卵型の装置の中に入って体を横たえた。ハッチが閉まり、小さな窓から外を見る。


「150年後……か」


 それだけ呟き、加賀見は眠りについた。




 耳障りなサイレン、赤く点滅する光。加賀見はぼんやりと目を覚ました。蘇生直後でうまく体が動かない。

 しばらく呆然とした後、自分が何処にいるかを思い出し、外に出ようとハッチを開けるボタンを押した。

 何かが引っかかっているようで、ギギギと不安になる音を立てるだけで一向に開こうとしない。

 加賀見は両手両足でハッチを押し上げる。ようやく這い出る事の出来る隙間を開け、体をねじ込むようにして外に出た。

 人工冬眠装置のある部屋に赤い光が舞い、サイレンが鳴りつづける。異様な臭いが部屋に充満している。

 何か問題が起きたことは間違いない。加賀見は自分の冬眠装置を見た。あちこちへこみ、傷がついている。これでうまく開かなかったのか。

 加賀見は他の乗組員の装置を確かめた。

 船長が入っていた装置は、無残に壊されていたが、ハッチは開いてはいない。亀裂から中を覗くと、塩田の腐乱死体がみえた。冷凍からの蘇生措置をせずに長い時間放置されていたらしい。

 他の装置は2つまで無理矢理開けられていた。山本と菊田どちらも死体の損壊がひどい。こちらも蘇生装置が働いた様子は無かった。

 残りの一つは正常に開かれ、中にいた人間はいなくなっている。

 加賀見はその装置を眺める。ここにいたのは、確か宇宙船のメンテナンス担当の林田という奴だったはずだ。

 ここにいないという事は、林田が原因か、あるいはそれを知っている可能性が高い。加賀見は、とりあえず船内の状況を把握できる指令室に向かった。

 赤いランプが彩る銀色の廊下を走り、加賀見は指令室に辿り着いた。軽く走っただけなのに汗が出て息が乱れる。目を覚ましたばかりだからか、それとも不安のためか。

 指紋認証システムに手を当て、ドアを開く。開いたドアの向こうには、頭部を黒い物で覆った人がうずくまっていた。


「があああああ!」


 その誰かは叫び声を上げて加賀見に襲いかかってきた。突然の事に抵抗できず、加賀見は仰向けに倒された。


「うわあああ!」


 必死で抵抗しようとする加賀見。ひとしきり暴れた後、相手が動いていない事に気付いた。


「なんだ……?」


 上に乗った誰かを横にどかして起き上がった加賀見は、相手の顔をじっと見た。

 伸ばすに任せた長髪、いつから剃っていないのか顔半分を覆う髭、その隙間から覗く顔は確かに林田だった。


「林田、おい林田!」


 加賀見が揺さぶるも何の反応も無い。


「林田……?」


 加賀見は林田の鼻と口に手を当て、首筋の脈を計った。


「死んでる……? 何故?」


 加賀見は林田の体を床に横たえると、指令室の中に入り端末の前に座る。一体この船に何があったのか。

 加賀見が端末を操作していると、林田のレポートが見つかった。そのレポートによると、乗組員が人工冬眠装置に入ってから70年後、林田の装置に何らかの欠陥があったのか、途中で人工冬眠が中断したらしい。林田は再び人工冬眠しようとしたが、装置は完全に機能を停止していて不可能。誰かを起こして交代で装置を使う事を考えたらしいが、装置は完全に自動化されていて非常時でもない限り途中で起こす事は出来なかった。レポートには、何度もその非常時……危機的状況を起こそうとしては断念している様子が書かれていた。仕方なく林田は一人船内で何年も過ごす事になったらしい。

 レポートの最初は愚痴や不安を書いているだけだったが、4年もすると文章が破綻し始めて意味が読み取り辛くなっている。レポートの最後の日付は、乗組員が人工冬眠に入ってから74年と3ヵ月後、林田が目覚めてから約4年経っていた。加賀見は現在の日付を確かめる。最後のレポートの日付から半年が経っている。

 さらに端末を調べると、装置に異常が起きた時間が記録されていた。船長の塩田は半年前、山本は2ヶ月前、菊田は1ヶ月前、そして加賀見の装置は2日前に異常のマークがついている。

 どうやら、孤独と不安で狂気に捕らわれた林田が、暴走してしまったのが事件の真相らしい。

 加賀見は、自分の蘇生装置が壊れる事無く働いてくれた事に感謝した。

 これからどうするか……もはや惑星探査の続行は不可能、これは間違いない。という事は、このまま目的地に向かって航行を続ける事にもはや意味は無い。


「帰るしかないか……」


 加賀見は非常時に備えられたマニュアルに従い、端末を操作して目的地を地球に変更した。


「これで、終了……っと」


 端末の前の椅子に背中を預けて、加賀見はため息をついた。

 ふと視界の端に林田が見える。加賀見は襲いかかってきた時の林田を思い出していた。

 飛びついてきて、そのまま動かなくなった林田……加賀見は自分の手をじっとみてみる。そういえば、林田の体を掴んだ時、異様に細かったような気がする。

 加賀見は弾かれたように椅子から立ち上がると、ある場所を目指して歩き出した。

 弱々しい力、細い体……そして5年という時間。

 加賀見はその部屋のドアを開ける。中は乱雑に散らかり、足の踏み場も無いような有様だった。

 加賀見はその中に踏み込むと、隅から隅まで調べあげた。


「無い……全部無くなっている」


 加賀見は全て理解した。林田の死因は栄養失調……餓死だ。水と食料が貯蔵してあった部屋には、もう何も残されていなかった。




 加賀見は指令室に戻り、モニターに外の様子……暗闇を写してそれをじっと眺めていた。

 地球を出発して75年程たっている。今から帰るのも75年かかるだろう。人工冬眠装置は全て壊れている。水と食料はもう残っていない。

 加賀見は林田のおかれた状況を身をもって理解していた。

 ……なるほど、十分だ。おかしくなるには十分だ。人工冬眠装置を壊したのは誰かに助けてもらいたかったのだろうか、それとも誰かに逢いたかったのか……そこまで考えて加賀見は山本と菊田の死体を思い出した。


 そうか、空腹に耐え切れなかったのか。


 加賀見は笑った。一人で笑った。モニターに写る、どこまでも広がる暗闇に笑った。

 涙を流しながら加賀見は笑った。

 眠ったまま死んだ乗組員を羨ましく思った。

 最後に人に出会えた林田を、心から羨ましく思った。

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