災厄の地にて

 はるかはるかな空の向こう。そのまた向こうの天の御座。

 そこでは神様が、難しい顔をしてうなっていました。


「うーん、うーん、困ったのう」


 はるかはるかな雲の下、地上でなんだかよくないことが起こりそうなのです。


「地上に誰か行ってもらって何とかしてもらおうかの」


 神様は誰にまかせるか、星の数を数えながら考えます。


「うーん、ゴリラは目立ちすぎるし、鷲はこのあいだ逃げられたし、猫はいう事聞かないし、犬は散歩中だし……そうだ、あいつにまかせよう」


 神様はさっそくその動物を呼び寄せることにしました。



 神様の声に応えてやって来たのは、つぶらな瞳に小さな耳、ふわふわとした尻尾をもつリスでした。

 リスは神様の前で、自分のふわふわの自分の尻尾から萎れた葉っぱを一枚取り出すと、器用にくるくると筒状に丸めて口にくわえ、小さな指先から火を出して筒の先端につけました。


「わしが教えた火の奇跡をそんな事に使っておるのか」

「おかげ様で助かっていますよ」


 リスはかわいい鼻から煙を立ち上らせながら答えます。


「その葉っぱの煙はそんなにうまいのか」

「これをうまいとか言う奴は、ゴミ食べたら感動のあまり死ぬんじゃないですかね」


 神様はなんだか渋い顔をしてリスを見ています。


「何でそんなものを吸っているのだ」

「そうですねえ……癖、ですかね。ところで何かあったんですか?」

「おお、そうじゃ、地上でまた困ったことが起きそうでの。何とかしてくれ」


 リスはため息と一緒に煙を吐き出すと、くわえていた葉っぱを両手でぐしゃぐしゃともんで頬袋に放り込みました。


「……じゃあ、行ってきます」

「うむ、頼んだぞ」


 リスは淡く光ったかと思うと、ふっとそこから消えました。


「よしよし行ったか。それじゃあさっきの続きといくかの、1000548025521352221、1000548025521352222……」


 神様は嬉々として星の数を数えるのでした。




 赤黒く染まる空、渦巻く灰色の雲、地平線に近づきつつある太陽。


「ずいぶんと汚い空になったな」


 リスは、器用に筒状にした葉っぱをくわえて空を見上げる。

 ある時、世界は一夜で全てが変わった。

 山も、海も、空も、風も。それまでの何もかもを否定し始めた世界。


「やれやれ、人間はいるかな?」


 リスは四足で跳ねるように走り出す。

 その黒くつぶらな瞳に映るのは、草がまばらに生えているだけの大地。


「ん?」


 太陽もそろそろ眠りにつき、世界から光が消えつつある。リスの目線の先には、ぼんやりと明るく輝いて見える何か。


「照明……? 人工物か」


 リスは光のある方向に向かって走っていった。




 あちこちにヒビが入ってはいるが、それは紛れもなく人の手による建造物――ビルだった。

 それらが立ち並び、窓からはところどころ明かりが漏れる。


「都市が残っているとはねえ。ミサイルが突然信仰に目ざめたのかな」


 あちこちに穴の開いたアスファルトの道路わきでリスは煙を燻らせていた。


「さて、と」


 リスはふわふわの尻尾をまさぐると、銀色をした長方形の板っぽい物を取り出してその表面をながめる。


「電波あり……通信が復活してる。うん? こいつはローカルだけじゃないな……他に生き残ってる都市もあるのか」


 リスの黒い瞳がプレートの表面を流れるように動く光を見つめた。


「世界各地に点在する都市の間でネットワークが成立した……か。なるほどね、こいつの所為か」


 くわえていた筒状の葉っぱをそのままもぐもぐと咀嚼したリスは、プレートに向けて言葉を発した。


「特異点の検索」


 プレートの表面に光が走る。


「多いな。一番でかいのは……やっぱりあそこか。一番最初にぶっ放した所だしなあ、いろいろ残っていても不思議じゃないか」


 流れるように走る光をつぶらな瞳が追いかける。


「まあ、遠すぎるから無しだ。悔い改めている事を期待して、今回は近場っと」


 黒い瞳が一つの光に止まる。


「この近くにも一つあるな。よし、善は急げだ」




「おらぁ、そいつをよこせ!」

「……やめてください!」


 ビルとビルの間になっているところで、二つの影が騒がしく動いていた。

 血走った目をした男が、少女の持っている何かを奪おうと乱暴に手を伸ばす。

 少女は取られまいと身体を丸めた。男が拳を握り締めたその時。


「取り込み中すまないが、ちょっといいかな」


 どこかから声がした。

 意表をつかれた男と少女がきょろきょろと辺りを見回す。


「こっちだこっち」


 二人が声のしたほうを見ると、小さな動物が小さな筒のようなものをくわえて煙を吐いていた。


「……なんだぁ?」

「ああ、あんたに用はないんでどっか行ってくれ」


 男は小さな動物に向かって蹴りを放った。小さな動物はその足を駆け上がり背中から肩に登り、そこから男の顔にむかって煙を吹きかけた。


「……! ……!」


 顔をおさえて倒れた男は、地面でのた打ち回る。

 あっけにとられる少女に、小さな動物が声をかけた。


「ちょっと向こうで話でもしようか」




 元公園だったらしい場所、そこのベンチに少女は座っていた。


「あの、あなたは……?」

「俺かい? 俺はリス、神の使いさ」

「はあ……」

「まあこんなのが喋ってるってことで納得してくれ」


 釈然としない表情で少女は頷いた。


「それで話なんだが、最近その端末にメール来ただろう?」

「え……はい」


 少女は大事そうに持っていた携帯端末を操作しはじめた。


「おっと待った、中を見たら契約が成立しちまう」

「えっ?」

「ちょっと失礼」


 リスは少女の手に飛び乗ると、プレートを端末の端子につなげた。


「あの……?」

「このメールはね、ネットワークを通して悪意を伝染させるって代物さ」

「悪意?」

「そうそう、世界全てを結ぶネット、そいつを通して増殖した悪意がとうとう地上をこんなんにしちまった」

「はあ」

「んで、ズタズタになったネットが最近ようやく復活したんで、もう一度って考えたんだろうな。芸のない野郎だ……ビンゴ」


 リスは少女の手から飛び降りて、地面に立った。


「すまないが、その端末を画面上にしてここにおいてくれ」

「え、はい」


 少女が端末を地面に置き、リスの方を見る。


「これで?」

「OK、少し下がっててくれ。悪意様のお出ましだ」


 リスの声と同時に、端末の上の空間に火花が散った。

 そこから現れたのは、黒い鱗の様な肌、山羊のような頭に赤い翼をもつ異形の物体。


『我を召喚するとは何者』

「よう、はじめまして。神の使いさ」


 物体はリスを見ると口の端を歪めて笑った。


『天使でもない者が我をどうにかできるとでも?』

「天使は今出張中でね」

『たわけめ、浅慮な考えで我を呼び出した事を後悔……!』


 どこかから声が聞こえてくる。力強く、静かで迷いのない声が。


『貴様! これは……!』

「天国からダウンロードした、力ある者が唱える言葉のストリーミング再生さ」


 声がする。周囲を覆う暗い何かを打ち払う声が。

 異形の物の姿にノイズのようなものが走る。


『貴様ッ! 我を、我をッ』

「楽しんでもらえたようで何より。地獄に戻ったら、いいねボタンを押しておいてくれ」

『貴様ぁぁぁ……』


 異形の物体はかき消すように、夜の闇にまぎれていった。


「やれやれ」


 リスは地面にある端末を持ち上げて、よろよろと少女の足元に歩いた。


「面倒に巻き込んじまってすまなかったな」

「あ、はい」


 少女が端末を受け取る。


「あの……」

「じゃあな」


 少女が見ている中、リスは淡い光に包まれて消えていった。




「神様ー、何とかしてきましたよ」


 神様は、星の数を数えながらリスの報告を上の空で聞き流しました。

 リスは筒状の葉っぱをくわえ、ため息と煙を吐き出すのでした。

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