月に吠える

 人類は宇宙へと旅立った。

 地球から巣立ち、太陽系を置き去りにして、さらに外の世界へと。

 広大な宇宙に散らばる人類。人々は惑星系ごとに一つの集団をつくり、法と自治を行った。

 それぞれの集団はそれぞれのルールで動き、時には取引をして足りないものを補い合い、時には協力して宇宙規模の災害に立ち向かい、そして、時には争い――。



 最前線にほど近い惑星トリフィ。その宇宙港に船が着陸する。

 次々と降りてくる乗客達。その中に一人の男がいた。

 卑屈そうな目にぼさぼさの頭、自嘲的に歪んだ唇、顎には無精髭。

 男はふらふらと入国管理局というプレートをつけたカウンターに歩く。

 カウンター向こうのいかにも役人という男にカードを渡した。


「ようこそ、惑星トリフィへ。えーと、名前はロバート・クライブでいいのかな?」

「うん正解」

「今回の訪問の目的は?」

「んー、観光?」

「観光! この星に見所があったとは初耳。ここ泥の海しかないよ」

「それを見に来たの」

「変わってるねえ。わざわざこんなところへ……はい、カード返すよ」

「おすすめのスポットがあったら教えてくれない?」

「ないね、零、ついでに皆無だ。ああそうそう、ここは他と違って色々と下品なところだからね、気をつけて」

「ありがとう、愛してるよ」

「どういたしまして良い旅を。はい次の方」


 男は宇宙港の建物から外に出た。

 眼前に広がるのは港と船と、地平線まで続く泥の海。

 男はふらふらとあてもなく歩き出す。人が集まる場所に差し掛かった時、飛び出してきた誰かとぶつかった。


「痛っ、どこ見て歩いてんだ!」

「ああ、ごめんね」

「ごめんねじゃすまねーよ!」


 男の胸倉を掴んだ誰かがわめき散らす。


「本当に申し訳ない」

「うるせえ! 謝るなら地べたに這いつくばって謝れ!」


 胸倉の拘束から乱暴に開放された男は、両膝を地面につけた。


「これで……」

「よしなよ」


 いつの間にか男の背後に少年が立っていた。

 少年はまだ幼さの残る顔を、鼻息の荒い誰かに向ける。


「お客さんに逃げられたら商売上がったりなんだよ」

「てめえの客か?」

「そうだよ」

「ちっ」


 誰かは舌打ち一つして大きな足音を立てながら歩いていった。


「いやあ、助かったよ」


 男は膝を手で払いながら少年に向き合う。

 少年はその瞳に少し軽蔑の色を浮かべた。


「おっさん、プライドはないの?」

「プライド……ねえ」


 男の唇の端が少し歪む。


「おじさんのプライドはそこにはないんだ」

「ふーん。ところで、この星でどこかに移動するなら船がいるんだ。あてはある?」

「ないねえ」

「じゃあこれも何かの縁だ。俺の船に乗りなよ。料金はまけないけどな」

「そういうことならお願いしようかな」


 男と少年は港の一角にある船に向けて歩いていった。



 日は地平線に沈みかけて空を赤く染めている。

 見渡す限りの泥の海、その上を船が一隻走っていた。


「それでどこに行くんだい? と言っても島が何個かあるだけだけどな」

「この座標に向かってくれ」


 男が胸ポケットから取り出した端末の画像にはいくつかの数字。


「ここ? ここには何もないよ」

「いいのいいの」


 少年は釈然としない表情で、航法システムに数字を打ち込む。

 男は空を見上げる。大きく丸い月が視線の先に浮かんでいる。

 その様子を見た少年が男に話しかける。


「そういえば、満月の夜にだけ現れる島って噂話があるんだけど。ひょっとしておっさんそれ探しに?」

「ん? ああそうそう。財宝があるかもしれないってロマンを感じるじゃないの」

「全然。ロマンじゃ飯を食えない」

「現実的だねえ」


 男はごろんと横になって空を眺める。

 泥の海を走る船から見える空は、雲が重く垂れ込めてよどんでいるように見えた。





「ここが座標の位置だけど、本当に何もないぜ」


 少年の言葉に起き上がった男が周囲を見回す。360度どこを向いても泥の海。


「着いた? じゃあしばらくここで待つとしようか」

「おっさん……島がどこに出るか知ってるみたいだな」

「知ってるよ」


 少年が男をじっと見つめる。男は月明かりに照らされながら、空に向かって話し出した。


「ちょっと昔、すげえ戦艦をもっとすげえ事にしようって話があってな」

「すげえ戦艦が出来たけど制御に失敗して、まあ、事故が起きて」

「処分しようって話になったんで、それが嫌なバカ艦長が近場の星に逃げて、泥の海に沈めたって伝説だ」


 少年は驚いたような表情で男を見る。


「あんた……」

「定期的に、まあ満月の夜に浮上するって約束をな……ほらきた」


 男の言葉の先に、泥の海がゆっくりと持ち上がり、巨大な船の形をとった。


「近くに寄せてもらったらアレに移るから、そのまま港に戻っていいよ」


 少年が生唾をのみこんでうなずいた。





 戦艦のなだらかなカーブを描く甲板の上に男が足を踏み入れた。


『生体認証確認。シン・クロウ艦長、お帰りなさい』


 どこかから無機質な声がする。


「ああ、ただいま。元気にしてたかい?」

『燃料の補給とメンテナンスが必要です』

「そいつはすまなかった。お土産を忘れちゃって……」


 シンが言い終わる前に、空から何かが降りてきた。

 後ろに着地した人間は、レーザー・ガンをシンに向ける。


「やれやれ、ようやく確保しましたよ」

「よう、サボりかい?」


 振り向いたシンの目に映っているのは、入国管理局にいた役人。


『生体認証確認。アラタ・カガ副艦長、お帰りなさい』

「あなたが顔も名前も声も変えていたせいで確認に手間取りました。時間外労働ですよ」

「そいつは悪かったな。一人で残業かい? 冷たい職場だねえ」

「……」

「まあそりゃあそうだよな。人間の一部を使った生体部品を利用した兵器なんて世間に知れたら大変だしなあ」

「おかげで捜索には苦労しました。艦は逃げ回るし、機密保持のため人員の追加は出来ない。大変ですよ」


 アラタの顔に自嘲的な笑みが浮かんだ。


「さて、艦長、こいつは軍が回収します。生体部品の耐用年数がとっくに過ぎている。いつ壊れてもおかしくない」

「壊れる……か。カガ君」

「何です?」

「俺はプライドを守る場所を間違えたんだ。間違いは修正しないとな」

「……艦長、何を」


 アラタの背中に冷たい物が流れる。シンに向けて構えるレーザー・ガンに力をこめる。


「艦長、それ以上何もしないでください。その場に伏せて」

「やなこった」


 シンは懐に手を入れてアラタに向かって駆け出した。


「艦長!」


 レーザー・ガンが光の筋を放つ。シンの腹部に何ヶ所か穴が開く。だらりと懐から出てきた手には何も無く。


「艦長、あなたは……」

「ふふ、俺は知っていたんだ……彼女がサンプルに選ばれた事も、結果どうなるかも」


 シンの身体がゆっくりと傾き甲板へと倒れ横たわる。


「国のため、軍のため、戦いに勝つため……そんなのに酔っていないで、彼女を連れて逃げればよかったんだ」


 仰向けになったシンの頭上には大きく明るい月の光。


「……今更、ですね。もうすぐ軍が宇宙から降下してきます。あなたの傷も治療できるでしょう」


 シンの顔に穏やかな笑顔が浮かんだ。


「……自爆シークエンス起動」

『了解、艦長権限による自爆シークエンス開始します』


 無機質な声がカウントダウンを開始する。


「艦長! 何を考えて……これはもう彼女じゃない! 命をかけるような価値は」

「俺にはあるんだよ! はははは!」


 月明かりの下、大声で笑った拍子に腹部から大量の出血。シンの顔からは赤みが消えはじめる。


「艦長……」

「もう行け。ここから先は俺達二人の新婚旅行だ」


 しばしの逡巡。アラタはレーザー・ガンを腰のベルトにあるホルダーに収めた。


「分かりました……艦長、良い旅を」

「ありがとう、愛してるぜ」


 背中にあるジェットパックに点火したアラタの体は、見る見るうちに黒い空にまぎれていった。


「あいつは、あれで情に、深いん……だよな」

『バイタルサイン低下。適切な処置が必要です』

「そろそろか……一緒に、行こうか……スカーレット」

『ええ、シン』



 泥の海に大きな爆発。泥の惑星に波が伝って、やがて静まり返る。

 それを見ていたのは夜の闇に浮かぶ月。

 ただ、それだけだった。

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