イキョウ
鍵崎佐吉
カミアルキ
唯一合格した地方の大学に進学して、その近くにあったこのショッピングモールの総菜コーナーでバイトを始めて三か月ほどが経った。時給はちょうど千円、もうちょっと良い条件のところを探したいがこの田舎ではバイトできる場所も限られている。ちょうど大学も夏休みで暇なのでバイトの掛け持ちでもしようかと思っていたところ、パートのおばさんたちが妙な話を持ち掛けてきた。
「ねえ杉浦さん、カミアルキやってみない? 今年はちょっと人手が足りなそうなのよ」
「……えっと、そのカミアルキってなんですか?」
「あ、そうよね。カミアルキっていうのは、まあこの辺のお祭りみたいなものね。若い人が参加してくれるととても助かるんだけれど」
「えー、でも私そういうしきたりとかよくわからないし」
「そんなに難しく考えなくてもいいのよ。言われた通りのことをしてれば一晩で終わるわ。それにお給料だって貰えるし」
「へえ、どのくらい貰えるんですか?」
「だいたい時給八千円くらいかしらね」
時給八千円! このクソ田舎では考えられないほどの高給バイトだ。もはや私の中に迷いはなかった。
「それ、やります」
「あら、そう? じゃあ担当の人に伝えておくわね。ありがとう」
「ちなみにそれ、どこでやるんですか?」
「ここよ」
「……え?」
「このショッピングモールでやるの。ほら、外でやると暑いでしょ?」
「えーと、そうですね……?」
ショッピングモールでやるお祭りなんて聞いたこともない。いったい何が行われるのか、さっぱり見当がつかなかった。
そしてついにやってきたカミアルキ当日。ネットで調べてもみてもそれらしき行事については何も情報がなかった。とりあえず言われた通り午後六時にショッピングモールに行くと、既に客の姿はなくその代わりに入口の前に人だかりができている。やや年配の人間が多いように思えるが、中には同年代らしき若者の姿も見受けられる。私が少し離れた所からその人の群れを眺めていると、こちらに気づいたらしい一人の男が歩み寄ってくる。スーツを着た三十代くらいのその男はどうも祭りの場には相応しくないように思えた。
「もしかして君が杉浦さん?」
「あ、はい」
「どうも、今回のカミアルキを監督する草薙と言います。杉浦さんはカミアルキ初めてだよね?」
「はい。その、実は何をするのかよくわかってなくて」
「はは、大丈夫。そんなに難しいことはしないし、こっちでちゃんと指示を出すから」
「はあ、よろしくお願いします」
「……うん、人も集まって来たしそろそろ準備を始めようか」
そう言って草薙さんは人だかりに向かって呼びかける。
「じゃあ皆さん、そろそろ中に入って着替えましょう」
「着替え?」
「はい、こちらで用意してる衣装に着替えてもらいます。女性は一階奥の婦人服コーナーに集合してくださいね」
草薙さんはそう言い残すと足早にショッピングモールの中に消えていく。他の人たちもそれに倣うようにぞろぞろと建物の中に飲み込まれていく。まだいくらか戸惑いはあったが、私も大人しく彼らに続くことにした。
「えっと、これを着るんですか?」
「そうよ。ちゃちゃっとやっちゃうからじっとしててね」
用意されていたのは巫女さんが着るような赤と白の袴だった。常連らしき地元のおばさんたちは手慣れた様子でそれを他の参加者に着せていく。格好からしてわりとガチのお祭りなのかな、と思いつつもやはりショッピングモールの中にいるという違和感は拭えない。でもこれはこれで非日常感があって意外と楽しいかな、という気がしてくる。
「あなた、今回初参加よね?」
「あ、はい。そうです」
「じゃあカミアルキのことは他所の人には話さないこと。もちろんSNSもだめよ」
「え……それは、どうしてですか?」
「大した理由じゃないんだけどね。カミアルキっていうのはこの土地の人間だけでやらないといけないの。見物客なんかがくると面倒なのよ」
「はあ」
いまいち釈然としないがあえて逆らう意味もない。そもそもこれから何をするのかまだ私もわかっていないのだ。とはいえやはり時給八千円の魅力には抗えない。ここまできたらもう大抵のことはやってやろうという気持ちになっている。全員の着替えが済むと今度は皆で三階のフードコートに移動する。私も何回か利用したことがある場所だが、そこには異様な光景が広がっていた。
所狭しと並べられていたテーブルと椅子は全て片付けられて、代わりに灯りのついた燭台が無数に並べられている。その燭台にしめ縄のようなものが結びつけられてフードコートはまるで迷路のようになってしまっている。私がその光景に唖然としていると不意に後ろから声が聞こえる。
「驚きました? これがカミアルキの舞台なんですよ」
声の主は草薙さんだった。一緒に現れた男の人たちも皆袴に着替えているのに草薙さんだけは相変わらずスーツ姿のままだ。私の疑問を察したのか草薙さんは少し苦笑いを浮かべる。
「自分だけ浮いちゃってますよね。でも監督者はこっちの方がいいんですよ。着替えると呑まれちゃうので」
それは祭りの雰囲気に呑まれてしまう、ということだろうか。気にはなったが真意を問う気にはなれなかった。草薙さんは集まった人たちをフードコートのそれぞれの店舗へと振り分けていく。どうやら数人単位に分かれてそこで何かしらの作業をするようだ。
「じゃあ杉浦さんは丼太郎をお願いします」
草薙さんがそう言うと人だかりの中から「おお」という謎の歓声が上がる。丼太郎はどこにでもある海鮮丼チェーン店だ。いったい何が「おお」なのか私にはさっぱりわからない。すると私に着付けをしてくれたおばさんが小声で耳打ちをしてくる。
「丼太郎はカミアルキの花形なのよ。初めてなのについてるわね」
そう言われても私は曖昧な笑みを返すことしかできない。なるべく軽い役割の方が良かったのだがどうもそういうわけにはいかなそうだ。とりあえずは指示された通りしめ縄の迷路を通って丼太郎へとたどり着く。厨房は綺麗に片付けられており、食材らしきものも見当たらない。何かを調理するわけではないらしい。しばらくすると手に何か黒い物を持った草薙さんが丼太郎にやってくる。それは何というのか、相撲をとるときに審判の人が持ってるうちわみたいなやつだった。
「さあ、そろそろ始まりますよ」
「えっと、草薙さんはここにいるんですか?」
「はい。丼太郎はトリですからね」
すると急にショッピングモールの照明が消えて、あたりは燭台の灯りに照らされる。こうしてみると灯りの消えたフードコートはまるで祭りの夜店みたいだ。これから何が始まるのか、身構える私の元にどこからか笛の音が聞こえてくる。
「来ましたね」
そう言った草薙さんの視線の先、エスカレーターから上がってきたのは動物のお面らしきものをつけた男の人たちだった。彼らは列をなしたままゆったりとした歩調で迷路の中へと入っていく。
「……これ、何をしてるんですか?」
「これがカミアルキですよ。神が歩く、とか、神が在る気がする、とか由来は諸説ありますけどね」
「えっと、具体的には何を?」
「彼らを神様に見立てて色々なおもてなしをして、一年の安全と豊穣をお祈りする。そういうお祭りです」
ようやくカミアルキとやらの実態が少し掴めたところで、あらためてずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。
「じゃあなんでショッピングモールでやってるんですか?」
「まあ主に熱中症対策ですかね。あとは——」
「そらここいらで一番栄えとるのはここやからやのう」
不意にしわがれた男の声が聞こえて私はぎょっとする。いつのまにか丼太郎の前に猿の面をつけた男が一人立っていた。当然だがその表情は読み取れず、薄暗さも相まって少し不気味な感じがする。
「あれ、ノゾキ様。もういらっしゃったんですか」
「そらもうだいたい見終わったしな。ここで待たせてもらうわ」
「えっと、ノゾキ……様?」
「おう。わしが千里眼のノゾキや。以後よろしゅう」
「はあ」
「ノゾキ様は未来を見通す力を持った神様で、厄除けのご利益があるんですよ」
「いやぁ、やっぱり若い子はええな。もう覇気が違うわ、覇気が。ハキだけに」
「ちょっと、杉浦さんは今回が初めてなんですから、あまり変なことしないでくださいよ」
「え? 私、何かされてるんですか?」
「いやぁ、何もあらへんあらへん。あー、せやな、せっかくやしカミアルキのこと教えたるわ」
「はあ」
「さっきもゆうたけどカミアルキはこの地で一番栄えとる場所でやるのが習わしや。前は駅前の商店街でやっとったけど、今はもう寂れてしもうたからな。わしらの力も資本主義の原理には逆らえんっちゅうことや」
「それでもこの町がどうにかやっていけているのはカミアルキのおかげですよ。去年の大雨の時なんてノゾキ様がいなければどうなっていたか」
「まあわしらもここがなくなると困るしな。持ちつ持たれつや」
二人の会話を聞きながら私は考える。これはこの猿面の人がノゾキという神様を演じているのだろうか、それとも本当にそこに神様がいるのだろうか。これが神が在る気がする、カミアルキということなのかもしれない。そう考えると時給八千円という規格外の報酬も納得できる。しかしそうであるなら何者にもなれない私に与えられた役割はいったい何なのだろうか。悶々とする私に向かって草薙さんが声をかける。
「じゃあそろそろこっちも始めましょうか」
「えっと、何を?」
「そう難しいことではないですよ。言われた通りにお願いしますね」
いつのまにか丼太郎の前にはたくさんの人が集まっている。草薙さんが手にしたうちわみたいなやつを振り上げると、それに呼応するように大きな歓声があがる。観衆を煽るようにうちわを振り回していた草薙さんだったが、不意にピタリと動きを止める。すると一瞬のうちにフードコートは静まり返り息苦しいほどの静寂が訪れる。
次の瞬間、草薙さんの怒号が世界の全てを飲み込んだ。
「はああああああ!」
「「よいしょ!!!」」
「そおおおおおれ!」
「「わっしょい!!!」」
「さん、はい! いっせーのーせ!」
「「ことほぎまつりてカミアルキ!!! やしろもいできてとおければ!!!」」
「ほいっ!」
「「あーすかのきーざしーは!!! ハーレ、カーケ、どっちらけ!!!」」
「最初はグー!」
「「じゃんけんぽん!!!」」
ほとんど条件反射だった。気が付けば私は水戸黄門よろしく開いた手のひらを思い切り目の前に突き出していた。一瞬の沈黙の後、観衆から悲喜交々の叫びがあがる。
「はーい、あいこは失格でーす。勝った人だけ残ってくださーい」
草薙さんは打って変わって落ち着いた様子でそう呼びかけている。わからない。何もわからない。でも、なんか楽しい。
「はーい、じゃあ次行きますよー。杉浦さん、いいですか?」
「あ、はい」
「それじゃあ——」
「——そおおおおおれ!」
同じことを繰り返すこと三度、もはや私の前には誰も立っていなかった。どよめく観衆に向かって草薙さんが告げる。
「えー、此度のカミアルキにおきましては勝者なし、つきましてはカナエコボシもなしということになります。えー、これは規定によりますとヨミガサネの弐にあたりまして、したがってクヅマキ様とイリコビト様の両名による承認の後、再度選定を行ってカナエコボシを授与するとされていますが、先ほど確認いたしましたところ、クヅマキ様から勝者なしでよしとのお言葉をいただきましたので、えー、これによってサキヨソイの五を適用しまして、此度のカミアルキにおきましては依然として勝者なし、カナエコボシは翌年に持ち越しということになります。どうか皆さま、ご理解のほどよろしくお願いいたします」
草薙さんが話し終えるとどういうわけか観衆から拍手が鳴り響く。どうやら私が祝われているらしい。とりあえず曖昧な笑みを浮かべながら私は草薙さんに小声で問いかける。
「私、何かやっちゃいました?」
「いえ、よくあることですよ。お気になさらず」
すると私より少し年上くらいのお姉さんがどこからか小さな盃を運んでくる。皆が見守る中でそれは私に手渡された。
「さ、ぐいっとどうぞ」
「え、でも、私まだ十九なので……」
「あはは、大丈夫。それお酒じゃないから」
お酒じゃないならいったい何なのだろうか。よくわからないが今更断れる雰囲気でもないので私は思い切ってそれを飲むことにする。麦茶みたいな匂いなのに少し甘くて、今まで飲んだどの飲み物とも違う。
「これ、なんですか?」
「カナエコボシよ。今年はあなただけね、おめでとう」
「えーと、ありがとうございます?」
結局よくわからないが、まあめでたいのならそれでいいか。多分祭りっていうのはそういうものだろう。私がそれを飲み終えるのを確認してから草薙さんが声を張る。
「これにて今年度のカミアルキを終了させていただきます。それでは皆様——」
「「——お帰り下さいませ!」」
片付けや着替えを終えてショッピングモールが元通りになったころにはもう夜の十一時になっていた。最後に皆が草薙さんの元に集まって一人ずつ茶封筒を受け取っていく。
「はい、杉浦さん。色々とお疲れさまでした。良ければ来年もお願いしますね」
「まあ、はい、考えておきます」
封筒の中にはきっかり四万円入っていた。いったい何に使おう、と考えたが結局この田舎ではここくらいしかお金を使う場所は無いのだ。これが資本主義の原理というやつなのかな、と思いながら私は夜道を独り帰っていった。
あれから特に変わったこともなく夏休みを過ごしていたのだが、一つだけ以前とは違うことがある。ふとした瞬間、周りに誰もいないはずなのに視線を感じることがあるのだ。特に日常生活に支障があるわけではないが、やっぱりなんとなく落ち着かない。そこでパートのおばさんたちに相談してみると、平然とした様子でこう返って来た。
「だって杉浦さん、カミアルキのトリをやったんだもの。ノゾキ様が見守ってくださっているのよ。あの方、若い子にちょっかい出すの好きだからねぇ」
それは果たして喜んでいいのかどうか、やっぱり私にはわからない。けれどここに来てしまった以上、きっと慣れていくしかないのだろう。私は誰かの視線を感じながら今日もショッピングモールに向かう。カミアルキはまだ終わってくれそうにない。
イキョウ 鍵崎佐吉 @gizagiza
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