成りたい

筒晴

成りたい

 竜王戦出場がかかったこの舞台、心と体が震えていた。


 竜王戦のアマチュア四枠。県大会勝者たちにより全国大会が行われ、そのトップ四名のみが出場を許される。狭き門であると同時に、一般人が竜王戦に出場できるチャンスでもあるのだ。

 今、全国大会の初戦が始まろうとしていた。私の対戦相手はアマチュア将棋界でも名のある人物だ。強い相手だが負けるわけにはいかない。私は県の代表としてここにいる。そして何より、自分自身を信じている。緊張と恐れはあれど、私は意外にも落ち着いていた。

 試合予定の座席に座り、対戦開始の合図を待つ。今日、この場所で人生が変わるかもしれない。そんな期待とは裏腹に、私は初戦で敗退を記した。


 後日、新聞には全国大会の記事が掲載されていた。敗退後も会場に残っていた私は結果を知っている。優勝者は私を負かしたあの相手ではなかった。私を打ち負かした相手は二回戦で負けていた。情熱注いでやり続けて、全国大会にも出場できた。それでいいじゃないかと、自分自身を慰める。

 私にとって将棋は誇りだ。始めたての頃は年下にも勝てず、何度も負けた。常人なら辞めるレベルで負けていたと思う。それでも諦めずに戦術を勉強し、様々な相手と対戦した。そうするうちに少しずつだが強くなっていった。

 そんな私がアマチュア全国大会だ。十分な出世だと言える。「全く敵わなかったよ」と飲み会のネタにするのもいいだろう。結局、私は歩兵に過ぎなかったのだ。金になれる歩兵なんてごくごくわずかな存在なんだと。そう、言い聞かせた。

 

 そうこうして大会から一週間ほど経ったある日、新聞でとある記事の写真を見つけた。芥川賞と直木賞の受賞者発表だった。私は特に本を読むタイプではない。しかし目に留まるには十分だった。なぜならそこには学生時代の友人が映っていたからである。

 少し疎遠になっていたため別の友人を介して聞いたところ、記事は本当らしい。その知らせを聞いた私は何とも言えない感情になった。もちろん嬉しくもあった。あの時一緒に笑いあっていたあいつ。今はこんなすごいやつになっていたのかと。素直に関心していた。それと同時に私は自分が情けなくなった。

 私は今年で二十九歳である。自分は歩兵のままなのに、身近な人物が金に成っていたのだ。なぜ私ではなかったのかと、自問自答しても答えは出てこなかった。そんな風に自分を見つめ返していたさなか、ふと私は学生時代を思い出していた。



 彼は変な奴だった。受賞した彼だ。高校に入ってすぐの頃、私と彼は同じ部活動に入った。正直に言うと、最初は彼のことがあまり好きではなかった。

 空気は読まないし、話しかけても「今小説書いてるから、後にして」と言う。実際周りからの評判もいいものではなかった。時々よくわからないことを言うし、彼のクラスでも浮いた存在だった。

 そんな彼と仲良くなったのは二年に上がった頃である。クラス替えで彼と同じクラスになることになった。正直ハズレくじを引いた気分だった。仲が良いわけではないが部活動は一緒という微妙な立ち位置である。喋りかけない訳にもいかず、クラスではちょこちょこ話すようになった。

 一ヵ月ほど経ち、ある程度喋るようになったが結局のところ話が合わない。仲が良いとは言えなかっただろう。いつものように彼に話しかけると意外な返答が返ってきた。


 「俺、喋りにくい?」


 突然だった。実際喋りにくいのでどう返答していいかわからない。また、コイツはこんなことを考えるタイプだったのかと驚いた。何を言おうか迷っていると彼の方から喋りかけてきた。


 「無理して話しかけなくていいよ」


 驚いたと同時に、彼の優しさを少し知れたような気分になった。今までよくわからないと思っていたやつは、ちょっとだけ優しい奴だという事がわかった。空気を読めないやつは空気を壊したいと思っているわけではないらしい。

 その会話以降、彼と喋るのは苦ではなくなった。これを境に私と彼は仲良くなった。



 今思えばだが、私と彼が仲良くなれたのは彼が歩み寄ろうとしたからだ。拒絶されるかもしれないというリスクをはらんでいたのにも関わらず、彼は私に質問した。危険を冒してでも、私に嘘をつこうとはしなかった。

 彼は高校を卒業した後も小説を書き続けたのだろう。あのまっすぐな情熱を注ぎ続けたのだとわかる。

 いろいろ考えた後、改めて彼が金に成った理由を実感した。歩兵が金に成るための条件はとてもシンプルだ。金に成るには進み続けるしかない。周囲の味方から離れ、危険を伴ってでも一歩外へ踏み込まなければ、歩兵は一生歩兵のままだ。金に成った彼を見て、最初は嫉妬することしかできなかった。それは私が進むことを諦めていたからだ。

 何度負けても辞めずに、果てには全国大会に出場した。私の得意分野は諦めない事である。何度だってやってやろう。


 かくして敗退のショックから立ち直った私は「成る」ために、今年の全国大会へと駒を進めた。

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成りたい 筒晴 @issotutui

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