ニレンの作るセカイ

<past>//おれは、結晶人ほだしとというヒトを忘れていた。


「まるで宝石……いいや、これこそが《結晶世界》か」、そう口からこぼれ出るように響かせたのは、誰の喉の楽器でもなくおれの喉の楽器だった。十六の時に初めて戦場へ出て、ただただ逃げ回って、ニレンの作った結晶に護られて、ニレンと神アレスの決闘を遠くから観たおれだ。


 ニレンという男が戦場を駆け回れば、そこは幻想的な戦場へと変わる。人間もケモノも怪物も機械も草木も、何もかもが結晶の中に閉じ込められて芸術作品の完成だ。そこでニレンと同じく戦場を駆け回っていたおれは何も生まなかったどころか、己の名と誇りに泥を塗りたくってしまった。


 結晶に愛されて生まれた男、それがニレン。結晶に憎まれて生まれた男、それがアザミだ。


 新しい年を迎えてもニレンの名は尽きない。新しい聖戦が始まればニレンの名はさらに活気づく。ボケた爺さんでも婆さんでもニレンの名だけは憶えている、それくらいにニレンニレンと世の中はボケていた……いや、ニレンは忘却の神を殺している、そういうわけで人間は脳機能の衰えという概念が消えていることだろう。







<クリティアス帝国皇帝は、神を討ち堕天使を討ち悪魔リヴァイアサンまでも討ち取った英雄ニレンを讃え、結晶人初となるサードネームとラストネームを与えることにした。>という記事を目にしたおれは、その英雄とやらに視点を移動させた。


「一部の海が帝国領となってから、長々と続いていた不漁という言葉はわずか三か月で死語になり、今日で海水魚養殖場が運転開始した。お前の所業で逃げ隠れの生活をしていた魚は自由に泳ぐ権利を取り戻した、そのついでに人間や結晶人の餌となる運命から逃げられなくなった」


 とおれは話す、もちろん会話の相手は英雄ニレン様だ。


「生物は完全な平穏状態を維持できない。ぼくが出陣するまで、リヴァイアサンにより支配されていた海は平穏だった。少なくともリヴァイアサンは人間から海を護っていた」


「それでもお前は魚から感謝されているぞ。海を見て来いよ、海洋哺乳類の海豚イルカや鯨がお出迎えしてくれるぞ、それか亀が迎えに来るかもしれん。間接的とはいえ亀を助けたお前は浦島太郎だ。もうそろそろ結晶人の平均寿命にも到達するし、いいお歳の爺さんだ」


 リヴァイアサンが消えた未来は戦争の他に娯楽も増えるはずだ。これからは禁止されていた川釣りも一部の川で解禁されるし養殖漁業が増えるだけじゃなく、大量の水を使った新たな事業も展開できるようになる。


「《リヴァイアサン》万人の万人に対する闘争。海中の人工国家たるリヴァイアサンは海洋生物の集合意識だったけれど、海の自然権は解き放たれた」


 今日のニレンも相変わらず変人だ。そんなこと言って誰が分かるというのだ。


「そのリヴァイアサンが負けちまったからな、五千海里はお前のものだ」


「ぼくのものにはならないし、五千海里の中に神生国の島国があるよ」


「小さい島国を落とすなんざ余裕だろ、なんたって海戦リヴァイアサンはお前ひとりで勝ち旗上げたも同然なんだからよ」


 かつて十万もの結晶人が犠牲となった戦に再侵攻して、ニレンは誰一人として欠けさせなかった。海の支配者を相手に完全勝利きめるなんざ、神様も尻尾巻いて逃げちまう。


「海には謎が多いんだよ、母なる海の前に母なる泉があるように……セカイは広いんだ。神が最初の人間アダムを創ったように、人間たちは結晶人を創ってみせた。光もあれば闇もある、そうやってセカイは枝分かれしている」


 ニレン、頭がおかしくなるくらい頭を使いすぎたようだな。単純な思考回路を構築していれば頭がおかしくなることはまずない。海は海、泉は泉、人間は人間、そういう単純な考え方でなければ今以上に頭はおかしくなるぞ。


「お前は枝分かれしていそうな名前だよな。最初の結晶人の名前はニレンだったらしいし、お前は最初の結晶人の名を受け継いだ希望の結晶人であり、進化の果ての最後の世代として現在を生きているんだ」


「ぼくだけじゃない、アザミも第五世代の希望の結晶人だろ」


「はっ……笑えねぇ冗談はよせよ。英雄ニレン・ユーサー・ペンドラゴン殿」


 結晶人でサードネームとラストネームを持つことを許されたのは、現代までで第五世代のニレンだけだ。他の結晶人は戦場での功績がない限り名前の後に世代の数字と製造番号が付けられている。番無しネームドを超えて人間らしい名前になったのはニレンが初めてということになる。


「いい名前だろ?」


 とニレンは珍しく調子の良い質問をしてくる。機嫌が良いのかは表情で読み取れない、しかし声のトーン的にはフラットじゃないから期限付きで機嫌が良いのだろう。


「ユーサーは変だな。サードネームだけ変えた方がいい」


「いいや、良い名前だよ」


「名前ってのは案外重要だろ。『ヒトに付けられる名は体を表し、前は精神の行く先を表す。親は子の名前を考えるのに人生を懸ける』って、お前が言ったことだろ」


「そうだったね。サードネームとラストネームを貰うのに十八年と十一ヶ月かかったよ。自分で考えたサードネームとラストネームだけどね」


 ほう、自分で考えたのか。ユーサー・ペンドラゴンねぇ、どこかで聞いたような名前だな、特にユーサーの部分が引っかかるんだよな。


「結晶人ごときが随分と立派な名前を付けたもんだ」


「名前というよりは言の葉に近いかな」


「ことのは? なんだそりゃ」


 名前に言葉を乗せたってことか。ユーサー、そしてペンドラゴン、この二つの意味は何だったっけ? ユーサーあなたペンドラゴン筆と龍って意味だったか? 名前にしちゃ変な意味だな。


「結晶人の子たちは、みんなぼくのことを強いとか頭いいとか凄いとか言って褒めるけど、ぼくはただ故人たちの遺志を受け継ぎながら、自分の言の葉を創っただけなんだよ。名前も同じように、ユーサーにもペンドラゴンにも己で考えた意味を持たせた」


 そうか。そこまでは教えてくれるけど、どうせ名前の意味までは教えてくれないんだろ。


「で、名前の意味は?」


「自分の言の葉を信じて、もっと自分の言葉を持ってほしい。きっかけになってほしいって意味かな。ぼくの言葉からヒントを得て、その得られたヒントから自分の言の葉を創ってほしい」


 それがユーサーとペンドラゴンの意味か。だせぇしありえねぇな。


「言語に閃きがあるのか? 言の葉と言葉って何が違う?」


「結晶人に言葉を教えたのは人間たちだ。最初は何をするのも人間たちの手を借りていたんだ。けれど、新しい世代が増えるごとに人間たちの手を借りず第一世代の年長の子が第二世代の年少の子にご飯をあげるとか勉強を教えるとか、一人で立てるようになったら一人で食べて一人で学ぶとか、そういう風になっていった。扱える言葉も増えて、歴史書も積み重なって、みんなは言の葉を忘れていった」


「悪い言の葉は忘れた方が良いだろ。今を生きてこそ幸福を味わえるんだよ」


「そう、結晶人は幸福だ。大舞台は戦場紙切れで出来ていて、ぼくたちは兵士墨汁なんだよ。そこでぼくたちに戦争の歴史を教えるのは人間たちだった。『神生国のエンルル人は酷い奴だ』とか『神々は何も考えていない穢れた連中だ』とか、そう言いながら戦争をするのは当たり前だと教えてくる。聖戦があるからこのセカイは生きていられるんだ」


 それは言葉ではなく戯言だ。聖戦の価値というのは人間たちにしか分からない。結晶人が戦う理由なんて無いも同然だ。


「そりゃあ聖戦は勝たなきゃ生きていられない」


「上にそんなことを言う人間がいると、ぼくたちは嫌でもその人間の言うことを信じなければならなくなる。そうなったら自分の言の葉を忘れていくんだ」


「なら、忘れないようにするにはどうする……」


「生き続けるんだ。誰かを犠牲にしてでも生き続けるしかない」


 戦争で死なないためには敵を討つ。人間を殺すのは正しくないだろうけど、お前に正しさはある。戦場で生き残ってきたように、名無しの誰かを犠牲にして忘れないようにするしかない。


「帝国はまともだぞ。戦争が無ければの話だがな」


「もしも、土地を守護する神が土地を穢しているならば、アザミはどうする……」


「そんなこと……結晶の土地は子孫繁栄、神の土地の生き物は少ない気がするから、うん、つまり分からねぇな」


「それが聖戦を続けなくてはならない理由だ」


「理由……分からないことがか? それとも生物の繁栄が?」


 まともな統治、まともな暮らし、それらはセカイが干渉するわけでもなく、ただの歴史として流れてゆく。セカイが干渉するのは時間であり命だ。生き物は生き物を食べる、土地から命をいただく、そういう当たり前のことが出来なくなったら生物は死んでしまう。そこで神様は呼吸を忘れても食事を忘れても死ねないわけだ。神は元々が排他的なものなのか、それともそうなってしまったのか。


「つまり、神であっても地獄を見なくちゃいけないような神がいる、それがこのセカイの神々ハリストス。いつになっても聖戦は終わらないどころか終わっては困るんだよ」


「命ってのは無駄に増えても困るんじゃねぇの?」


「生命って無駄に増えるのかい? 独りぼっちの神が無駄に人間を創造した? 人間が無駄に結晶人を創造した? アザミにとっての無駄ってなんだい……」


 うーん、何もかも無駄ではないな。おれが生まれたのは運が悪かっただけで、人間の実験に使われたこともあったし、おれとニレンが生まれたことで第六世代の創造は不可能だと分かったし、思いのほかこんなおれでも無駄になっていないからな。


「そう言われてみれば無駄はないな。無理に社会貢献する必要ないし、ひとりで生きていられるならひとりでいいし――結局無駄って言葉は何が無駄なんだろうな、もしかして無駄って言葉が無駄なのか?」


 とおれが言うとニレンは笑った。あまり笑わないニレンが「あははっ」、と声を出して笑った。こいつが今誰なのか判らなかった。


「アザミ、この話を忘れたとしても、いつの日か思い出してくれ」


「おれだぞ? 忘れるはずねぇだろ」


 そうだ、おれが忘れるはずない。お前たちを忘れるはずないんだ。


「なら質問するけど、アザミは鄙葉梓錬獅子王ひばのしれんのししおうという結晶人を知っているかい……」


「聞いたこともないね。つかそれ名前か? 何時代の結晶人だよ」


「分からないならいいんだ。深淵は覗かなくともいずれ知る」


「おれが深淵を覗かなくても、深淵はこちらを覗いてくるってか?」


「そう、戦は人間と結晶人の絆だ。容易く断てぬ聖戦記、だがいつの日か断たねば約束すら果たせぬ。〝聖戦の、獅子の剣、永久とこしなえ〟」


 いつもニレンは何かを伝えようとしていた、しかし回りくどくて意味が分からなくて、おれはイライラとするばかりだった。


</past>//どうしておれは忘れてしまうんだ……

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