無力
今日は雨だ。
<morning> //おれは……昨日のことを思い出したくもなくなった。
朝は知らない匂いに起こされて、目を開けようとすれば開けられないほどの酷い目やにが邪魔をしてきて、歩いたのは懐かしい結晶人男子寮。そして行き着いた先の洗面室でおれを映す鏡と向き合い、最後に口の中から吐き出した血の塊と向き合う。
痛いどころではない傷だったろうが、すでに傷は塞がっている。肉体的な傷は簡単に塞がってくれるのに無駄な傷は目に見えないどころか塞がりもしない。
「そうか……」
と、おれの朝の挨拶が『クソ』ではないことが最悪な現実を突きつけた。そのことに加えて、僅かに残る頬の痛みと口内を転がる鉄の味は目覚しにいいが、今までで一番寝覚めが悪いのは確かだ。これが現実、優しさの詰まりに詰まったおれの生きている現実セカイだ。
「……おれはまた生き残ったのか」
あれだけ息まいたおれは結局逃げて、ニレンに一発殴られて、さっきまでぐっすりおねんねして、今は味わったことのない喪失感で死後硬直している様だ。
ああ、おれは見事に負けた。負けただけなら気にしなかった、しかしニレンはおれから大切なものを奪っていった。
(取り戻さねば、絶対に取り戻さねばならん――獅子の意志を、士師の振る舞いを)
何を考えている……おれですら分からないからこのカラダにニレンが憑いたのだろう。
吐き気がする。
胃が悪いのではない、たぶんこれは感情だ。怒りか? そうだ、これは怒りだ。強者が弱者から奪うだけの単純な遊びで、弱者であり続けるおれはまともな衣類も食事も住居も与えられない。自然権を持っているのにこんなにも窮屈な大自然に放り出されるとは思わなかった。
「なぁケント」とおれは洗面室付近の廊下を歩く者に声をかけた。
「お? よくおれと気付いたな。お前は起きたら何も言わず出て行くと思った」とケントは何もなかったかのような寝ぼけ顔で覗いてきた。
「おれをこんな場所に捨てたのは誰だ」
「捨てた? 運んで来たのはニレンだ。お前と喧嘩するなんてニレンくらいしかいないだろ」
喧嘩だと? アホ抜かすな、喧嘩にすらなってねぇだろ。強者のあいつはいつもいつも弱者のおれを手のひらの上で転がす、おれが失敗作の役立たずだからと
「ニレン・ユーサー・ペンドラゴンか……ところで誰だそいつは。本名か?」
「かなりご機嫌斜めだな、何があったのか察しは付く。それはいいとして、ラウンジに来い」
そこに行けば元黄金期の奴らが集まっているんだろ。昨日何があったのかと情報を求めては真偽の判断すらつかずに食い尽くすんだろ。あの場にいたおれですら知りたくなる情報だ、ニレンの臭いがべっとりと塗りたくられたご馳走を目の前にしては我慢できないよな。
「お前は目を背けないでくれ――おれはお前に懸けている」
ケントはそう言うと引っ込んだが、歩き出す気配はしなかった。しかし一歩二歩と迷いのない足音が聞こえ始めれば、ケントはおれたちから目を背けたのだと分かった。
(付いて来られないなら最初から関わるんじゃねぇよ)
おれは口の中を洗い、顔を洗うついでに出た胃液で腹の中まで綺麗になった。
もう何も出ない、おれは誰よりも空っぽだ。
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