獅子のこども
「おれは何を言われるのですかな。お聞かせください、大英雄ニレン殿」
「大したことは言わない。今日ここに呼んだのは試験の実施日を大雑把に伝えようと思っただけだからね」
「それだけかよ」
「うん。試験は祭りの後になるか……祭りの最終日になると思う。それまで自由にするといい」
この野郎、試験結果が分かりきっているからって<後の祭り>みたいなニュアンスを含ませやがったな……たまには面白いことを言うじゃねぇか。
「試験会場はこの訓練場でいいのか?」
「いいや、試験会場は君に探してもらうことになる」
何言ってんだこいつ、頭おかしいんじゃねぇの。今さら斬新な試験なんて無駄なんだよ、豚でも猿でも分かるように試験会場にエサを置いとけよ。
「ああ、わかったわかった。試験が何であれ、おれの負け犬っぷりを鑑賞してくれたまへ」
試験だか何だか知らんが任せとけ、試験会場が分からなかったら行かなきゃいいだけの話だ。他人に迷惑をかけるような試験と、不合格と分かっていながら試験を受ける迷惑なおれは社会から爪弾きにされても文句すら言えない。
人間社会あるある――試験を合格した有能な者には良き企業で金稼ぎの奴隷になってもらい、試験を不合格になった無能な者には衣食住とある程度の娯楽さえ与えとけば変な考えを起こさないだろう。とても安易でとても生きやすくなる社会評価決定の試験が人間社会。結晶人社会もそれに乗っ取り、最高評価が五で最低評価が一だとしたら、おれはアウトカーストの評価無しになる。社会の牛や豚で過ごすくらいなら、おれは社会の無能な結晶人で過ごすね。
とおれはニレンに背を向け、手をヒラヒラさせてさよならさせてもらおうとする。しかし、またもやしつこいニレンは、
「アザミは犬ではない――自分を見失わないでほしい」そう言ってくるものだから、おれは振り返って中指を立ててしまった。
「あ? 犬じゃなかったらなんだよ。蝙蝠か? 豚か? それとも猿か?」
「なんだと思う……」
訊いているのはおれなのに『自分で答えを見つけろ』だとさ、嬉しいねぇ。大英雄が試験前の力試しを直々にしてくれるなんて思いもしない、地獄で仏に会うとはよく言うが仏さんも地獄にいるなんて考えたくもなかった。と、考えたくもないから自分で助かろうではないか。
己を動物に例えると、前述の動物が違うなら<人間>だろうぜ。結晶人でもヒトでもいられないなら、おれには人間がお似合いだ。
「さぁね。お前から<人間>って言葉以外が出たら喜んでやるよ」
「じゃあ喜びなよ――君は獅子だ。プライドを捨てたと言うより、捨てせざるを得なかった獅子のこどもだ」
わぁお、やったぜ、おれは獅子の子だとさ。今のテンションなら自ら谷に落ちて足を挫くどころか命を落としてしまうだろう。そうなれば獅子の親はおれよりも喜んでくれるだろうよ。
「はっ……どちらにせよ捨てたのなら、それはもう獅子の器じゃないし生物でもない。ただの『敗者』って言葉だ」
「『獅子は我が子を千尋の谷へ落とす』とはよく言うけど、実際に落とすのは我が子ではないんだ。我が子ではないけど我が子に足りていない部分を千尋の谷へ落とすんだよ」
「そういうお前の詭弁はよしてくれよ……聞き飽きておれの猫耳が今にも腐り落ちそうなんだ」
「ならあまりしつこく言わない。けど、一度プライドを谷に落とされたら探しに行けばいいし、自ら捨てたならその場所に拾いに行けばいいだけだ」
言われなくとも分かっている。分かりたくもない現実も知りたくもなかった現実も、ガキでいられないおれには何もかも分かっている。
「――ああ、わかってるよ! もうガキ扱いすんな。おれの精神と肉体についてはおれが一番よく知っている」
おれには分かっている。おれの全てを捨てた場所も、捨てた理由も、自分自身については何もかも分かっている。もう取り戻せないってことも。
「そうか、じゃあ……『アザミ』を観させてもらうよ」
こうしてニレンはニレンであるが故に、おれを訓練場に残しどこかに消えてしまった。追えるような実体ある背中を見せてくれれば、おれは獅子の親父の背中を追いかけていただろう。未来すら過去にしてしまう脚と水すらも噛み砕き、噛んだら放さない鋭い牙があれば、今のおれは『おれ』でいられたのだろう。
「はぁ」と音が聞こえた。おれしか残っていない訓練場ではおれのため息が一番大きな音で間違いない。この酒臭そうなため息は周囲に迷惑をかけそうだし、ずっと続けていると自分のカラダが痩せ細ってしまいそうだ……止められるなら止めているわけだが。
(酒に酔い谷へと落ちていれば、無理して今を生きる必要なんてないのだろうけど)
「はぁ。参ったな、死ぬのも一苦労だ」
ああ、そうだ。おれは獅子の子などではない……おれは親もいないヘンテコな失敗作だ。生き物の愛情を知ることもなくおれは生まれ育ち、生き物を愛することもなく死んでいくヘンテコな失敗作だ。それもこのセカイの真理であるから、おれには分からないことなのだろう。
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