成功作と失敗作

 ここまで来るのに聖戦記や結晶人の製法や結晶質やらと、様々なことを長い歴史と同じくらい語ってしまったから、そろそろおれが失敗作と呼ばれる理由を聖戦記と同じくらいの長さで話すとしよう……いや、それだと終わらないから少し短く話すとしよう。


(聖戦記に記される戦場は結晶人の大舞台だ。その長い歴史書の中、十六歳のおれは大舞台で初めて逃げ回った結晶人――いやもちろん最初は戦おうとしたさ、しかし自分の能力の低さは自分だけじゃなく周りの結晶人からも太鼓判を押されるほどだ。第五世代として生まれたおれなのに、結晶の力は爆薬が詰まってない爆弾を投げつけるようなモノで、敵は驚くことしかしてくれなかった。それで、戦えないと分かったおれは戦場でひとりだけマラソン選手になっていたのだ。焼かれた生き物の臭いや誰かの血液を服に染み付かせ、同士が殺される場面を目撃し、怒りや悲しみの感情が己の裡に溢れても、走って走って走り続けて、おれは生きるためだけに戦場を駆け回っていた。そんな時、どうしてかニレンが前線に現れて、おれの最初の大舞台は最後の大舞台へと置き換わり、<聖戦アレス>の表題は帝国の勝利で幕を下ろした)


 結晶人の失敗作――【非結晶体】、唯一その結晶質を持って生まれたのがおれだ。おれの結晶は硝子ガラスよりも脆く、使い物にならないくらい透き通っていて不純物だらけ、これじゃあ戦場でも公共でも役にたたない資源だ。


 そんな第五世代の失敗作でも利点はちゃんとある。例えば、脳みそ以外は人間共よりハイスペックな点だ……つまりは、体力や頑強な肉体は人間より上で正常な結晶人と同じくらい、しかし結晶質を評価に入れるとなると結晶人の中じゃ失敗作扱いされる。


 失敗作があれば成功作もあるのが世の常。ということでおれと同じ第五世代のニレンは成功作を超えてしまったらしく、今では奴隷のようにこき使われている可哀想な奴なのだ。


 奇跡から生まれた成功作と失敗作……これ以上語ってもいいが、もう十分に分かっただろう。


 第五世代の誕生は帝国の歴史に名を刻んだが、おれだけは名を刻むまでもなかった。ふたり生まれたはずなのにおれは生まれていない子扱いだ。酷い話だぜ、勝手に造っておきながらおれを人間の赤子と同じように川へ流したり、谷へ落としたりするなんて。人間が関われば人間的な倫理観をわきまえない思考回路になっていくなんて酷い話だ。


 聖戦記に記される歴史は歓喜で記されるものか悲哀で記されるものかは、帝国か神生国かで変わってくる。そこで結晶人の歴史というのは悲哀でしか記されないのだ――おれは記される価値もない負け犬であって、遠吠えをしても反応してくれる相手はいない。

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