獅子の子落とし
〝獅子の子落とし〟などという事を実行する両親がいたら、その親たちはおれを育てはしなかっただろうな。しかしそれでもいいわけだ、結晶人一同は『親があっても子は育つ』ということを理解しているから。親がいたところで自分を谷底に突き落とすような親なら、親は大したことのない生き物で、関わっていたら成長することも出来ない。結晶人に谷は必要ない、親も必要ない、結晶人の子は自由に成長する。おれの成長はどこの谷に落ちたのだか、と考えても分からんがそういうことだ。
今まで落とされることは数知れず、這い上がることは人頼み。物理的には穴に落とされるたび助けてもらったが、精神的な話をすると、残念なことにおれは落ちたこともなければ這い上がったこともない。正確には、這い上がろうとしたが一ミリも這い上がれない場所に立っていて、這い上がれる壁もなければ空もない真っ暗な場所からのスタートだった。おれに親はいないが、親に谷へと突き落とされた気分で日々試練に臨んでいる。
自分で言うのもなんだが、おれが宿している結晶のキャパシティは相当なものだ。結晶人のための結晶の能力試験があったら確実に不合格にされ、それを知った両親はおれを殺す目的で谷に放り投げただろう。人工子宮から産み落とされて幸運だったわけなのだが、谷に放り投げられていた方が幾分幸運だったのかもしれない。
いやいや、生きているだけで十分。能力なんてものは生きる能力が一番大事さ。
とはいえ、生きる能力があるからその先に試験があるのも事実。
試験を受けるための前提条件は<生きる能力がある>とした場合だ。そこで、試験の目的というのが<能力を測定する>以外のことを指すものだったら、おれは今以上に晴れの気分を味わえるが、そうならないのが試験という言葉らしい。立派な結晶人の入学試験があったら、第五世代のおれは試験免除で入学、というか生まれてから自分で生命維持できた時点で卒業しているはず……ま、現実の試験は違うらしい。
――ということで、結晶の力を持って生まれるのが結晶人だ。
結晶、そう、定番で言うところ『ダイヤモンドを生成する』なんかが一番しっくりくる言葉の例えだ。化学式の話や元素周期表の話をしたいわけでもないので、『結晶人はダイヤモンドやルビーやサファイアや石英のような鉱物を生みだせる』と試験に書いておけばマルかバツは貰えるはずだ。正解が欲しいなら、『結晶人は鉱物を生成できて、その鉱物を自在に操れる。何よりも重要なことは、結晶人の最大の舞台というのが戦場であるから、戦場では己に適する形の武器を生成して戦う』そう書けばいい。
その結晶人であるおれは、訓練施設の出入り口付近で入るか入らないか迷っている。迷う必要のないところで迷うのがおれという失敗作だ。どうせ失敗するのだから、ずるずる引きずらないでさっさと失敗してしまえばいいのだが、正直な話、自分自身を再確認するのが恐ろしくて一歩踏み出すに至れない。
というのも、この場所に来ると昔のことをよく思い出すからだ。
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