第11話 二人の復讐

 夜風と共に空を進み、マクレスは予定通り、ポートリア港を見下ろす小高い丘に辿り着いた。

 眼下には最低限の明かりと荷物を運ぶ男たち、そして、黒竜侯の姿もある。幸いなことに彼らはまだ、こちらの動きには気付いていないようだ。


「さて、陸軍の包囲は終わったかな?」

 チェリフィアを下ろし、樫の葉にしがみついたコライトに目を向けたマクレスは、辺りをはばかるように囁いた。

 陸軍の包囲完了と同時に、マクレスがそれを宣言し、彼らを捕縛する。

 それが作戦の流れなのだが、肝心の包囲網が整っていないことには始まらない。

「マクレス様、陸軍の皆様なら既に準備が完了しておりました」

「四方向に分かれて確認してきたので間違いないですよっ」

 すると、彼の囁きに、偵察に出ていたアントとキャサラが小さな声で答えた。

 草の間から顔を覗かせた二人は、まっすぐにマクレスを見つめ現状を報告する。

 どうやら、声を上げる準備は整ったようだ。


「さて、覚悟はいいかい? 二人とも」

「ああ」

「もちろんです、マクレス様」

 小人に礼を告げ、覚悟を問うたマクレスは、頷く二人に笑みを見せると、不意に手のひらを空にかざした。

 そして、空に輝く満月を見上げ、願いを語る。

「光の精霊、眼下で悪事を働く彼らを照らして。闇を晴らすように煌々と」

「……!」

 すると、マクレスの願いに応えるように、月明かりがまるで、スポットライトのようにポートリア港周辺を照らし出した。

 突然の出来事に、彼らは何事かと惑っている。

 そんな姿を見下ろしながら、マクレスはよく通る声で叫んだ。

「全員、その場を動くな!」

「!」

「この場は包囲させてもらいました。さあ、年貢の納め時ですよ、黒竜侯」

 勝ち誇った笑みに怒りを合わせ叫ぶと、予定通り陸軍のメンバーが森の中から姿を現した。

 銃剣を構えた彼らは、徐々に包囲網を狭め、黒竜侯たちに迫る。


「……ベルグリアっ!」

 その姿に気付いた黒竜侯は、地の底から響くような低い声で唸った。

 今宵は、近年稀にみる大きな取引だ。

 その大仕事を台無しにせんとする憎き仇敵の登場に、激しい怒りが滲む。

「軍になど構うな! 船を出せ!」

 ぎりりと奥歯を噛み締め、黒竜侯は足をすくめる男たちに叫んだ。

 軍より恐ろしい竜の一声に、男たちは慌てて踵を返したが、それをマクレスが許すわけもなく。

「させない! 水の精霊! 彼らを拒んで! そして風の精霊と木の葉の精霊、彼らと踊るんだ。彼らが疲れ果てるほど情熱的にね」

「……っ」

 精霊への願いを語るマクレスの声に合わせ、穏やかだった川は突然うねりを上げ、風と葉が舞うように男たちを取り囲んだ。

 予想だにしない事態に、彼らは慌てふためき、黒竜侯の目つきが一層の険しさを帯びる。

 だが、ここまですれば捕縛は時間の問題だろう。


 と、そのとき。

「マクレス様! 危ないです!」

 惜しげもなく魔法を駆使し、男たちを翻弄するマクレスの姿を傍で見ていたチェリフィアは、視界の端を過った暗い色に、慌てて彼を引っ張った。

 途端、鋭い何かが頬をかすめ、わずかに血が滲む。

「今のは……っ」

「風の精霊、汝らは刃。Voler飛べ! 奴らを切り裂くんだ!」

 それを叫んだのは、月光が降り注ぐ輪の端にいた男だった。

 細い杖をこちらに向ける男は、フードを被り、只ならない雰囲気が伺える。

 だが、それをしっかり確認する前に、飛んできたのは無数の鎌風で――。

「きゃあっ」

「おわっ」

 目に視えないすさまじい風に、チェリフィアは思わず目をつむると、両耳を覆うようにして立ち竦んだ。

 分からないけれど、風の音は暗くて、怖い。

 幸い、マクレスがくれた髪飾りに宿る精霊たちと、彼の魔力が自分を守ってくれているようだったけれど、初めて見る恐ろしい風に、震えが止まらなかった。


「風の精霊! 凪いでくれ! きみたちはそんな乱暴じゃないはずだ!」

 すると、そんな彼女の隣で、マクレスが慌てて精霊たちを宥めた。

 すぐに風は凪ぎ、場は静けさを取り戻したものの、こんなことができるのは魔法族をはじめとする、身の内に魔力を宿した種族のみ。

 まさか、この場に人ならざるものがいるなんて、流石に予想外だった。

「チェリフィア、怪我はないかい?」

 理解できない状況に混乱したまま、暴力を具現化したような風に震えていると、風を宥めたマクレスが抱きしめてくれた。

 鋭い表情をした彼は、魔法の出処を探るように視線を上げているが、チェリフィアを包む手は、いつものように優しい。

「マクレス様、あそこです! あのフードを被った方! 今の魔法はあの方の仕業です!」

 こんな状況でも自分を想ってくれる彼の手に、心を落ち着かせたチェリフィアは、先程見えた黒血のような暗い色を見つけると、マクレスにその存在を提示した。

 フードを被った男の素性は知れないが、チェリフィアが言うのなら、間違いないだろう。

「ありがとう。助かるよ、チェリフィア。では木々と蔓の精霊たちよ。俺の魔力をあげる。縄となりてあの男を捕縛するんだ」


 怯えながらも、懸命に声を上げるチェリフィアに笑みを零したマクレスは、彼女を抱いたまま願った。

 途端、魔力の結晶である淡い緑色の光が溢れ、近くの木や蔓に力を貸す。

 闇にあってなお、はっきりと分かる光に、様子を窺っていた男は口元を歪め、

「……緑葉の一族か」

「?」

「なれば分が悪いのはこちらだ。引くとしよう」

 誰にともなく呟いた男は、捕縛を試みる木々や蔓を寸でのところで避け切ると、突然、姿を消した。もしかしたら風に願い、この場から逃げたのかもしれない。

 捕縛する対象を見失った木々は戻り、チェリフィアとマクレスは、ただ茫然と、男が消えた場所を見つめていた。



「今のは、一体……?」

「分からない。もしかしたら、北の帝国の裏にいると噂される魔法一族かもね。武器の輸出がきちんと成されるか見張っていた、というところだろう」

「……っ。今のところ、彼の色は見えません。でも……」

 突然の攻防に心が追いつかないまま、周囲を警戒するマクレスに、チェリフィアは同じく辺りを見回して言った。

 父の色も恐ろしいが、あの男の色もまた、本能的な恐怖を感じるような末恐ろしいものだった。

 叶うことならもう二度と……。

「大丈夫だよ、チェリフィア。俺が傍にいる。いつだって何度でも守るから」

 腰に手を回し、傍に寄り添いながら、マクレスは怯える彼女に語り掛けた。

 彼女を怖がらせる事態が本当に起こるとは思いもしなかったが、どこで何があろうと、彼女は自分のすべてをかけて守るべき存在だ。

 決して、傷つけさせはしない。


「むぐぐーっ!」

 男が消えたことで、陸軍による捕縛は順調に続いた。

 手持ちの銃や剣で抵抗を試みる者もいたようだが、手練れの軍人には敵わない。

 逃げ出そうとした挙句、締め上げられる男たちを寄り添いながら見つめていると、不意に背後から苦しそうな声が上がった。

「……?」

 驚いて二人で振り返ると、そこにいたのはでっかい柏餅…ならぬ葉に包まったコライト。

 どうやら先程の攻撃の際、魔力を宿した葉が盾となって彼を守ってくれたものの、そのまま身動きが取れなくなっていたようだ。

「ぷはーっ、死ぬっ」

「まったく、何をやっているんだい?」

「俺じゃねぇ! この葉っぱ! こいつに絞め殺されるかと思った!」

 樫の葉に語り掛けて拘束を解いた途端、コライトは文句と共に葉を突きまくった。

 正直、こうでもしなければ、あの鎌風に切り刻まれていただろうが、そこはえて触れないでおこう。

 穴が開きそうな勢いで葉を突く彼をため息と共に見つめていたマクレスは、やがて、一つ咳払いをして言った。

「さて、軍の捕縛も終わったころだろう。下に降りてみようか」



「……ベルグリアっ!」

 港に降りると、黒竜侯をはじめとする全員がばくに就いていた。

 後ろ手で手錠をかけられ、荒縄を締められた黒竜侯は恨めしげにマクレスを見上げ唸る。

 そんな彼に、マクレスはできるだけ淡々と告げた。

「敵国に武器を輸出するのは国家反逆罪に当たります。もう言い逃れはできませんよ、黒竜侯」

「ぐ……貴様を甘く見たのは間違いだったか……!」

「違う。あなたの間違いは、娘を大切にしなかったことです」

「……!?」

 牙をむいた竜の如くこちらを睨みつける黒竜侯に、マクレスははっきりと宣言した。

 途端彼は、理解しかねると言った顔で隣に立つ娘を見上げる。

「ご存じなかったでしょう。チェリフィアが共感覚の持ち主だということを。彼女の色を見る力が、今回あなた達の密輸を知るきっかけとなりました。もっと娘を大切にしなくては」

「……!」

 優しく彼女を抱き寄せ、それを告げるマクレスに、黒竜侯の顔が一層険しさを帯びた。

 これまで娘などいないも同然で過ごしてきた彼は、口元を引き結ぶチェリフィアを憎らしげに見つめ、その名を呟く。


「……初めて、私に色を向けてくださいましたね。お父様」

 自分の名前を呼ぶ父の声は、闇夜に落ちた影のように暗い色をしていた。

 だけど、自分に興味のない父はこれまでチェリフィアに対し、色を……つまり感情を向けたことがなかった。

 子供のころはもちろん、社交界デビューしたいと願い、勇気を振り絞って声を掛けたときも、父はただ「好きにしろ」と、透明な声で呟いただけ。

 父が自分に感情を向けることは一生ない、そう思っていた。それが、復讐と相成った今、初めて自分に向けられるなんて……。


「あなたにとって、私が不要な存在であることは分かっていました。だからもう、私はあなたを父だとは思わない。十九年間、お世話になりました」

「……っ」


 皮肉な状況に小さく笑みを浮かべ、チェリフィアは黒竜侯に別れを告げた。

 黒竜侯の娘はもういない。彼はもう、父だった誰か。

 これから先は大好きな彼と共に、公爵夫人として素敵な人生を歩むんだ。


「じゃあコライト、後は任せたよ」

「おう」


 黒竜侯に背を向け、チェリフィアは陸軍に後を託すマクレスと共に、一歩を踏み出した。

 こうして、二人の復讐は無事、終幕となった。

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