第12話 きみとだから

 黒竜侯とバントコート侯爵逮捕のニュースは、すぐに国中へと広まった。

 前々から黒い噂の絶えなかった黒竜侯はもちろんのこと、人のい貴族とうたわれていたバントコート侯爵の逮捕に誰もが驚き、国は騒然としている。


 そして、二人の暗躍と同時に広まったのは、武器密輸を阻止したマクレス・ベルグリア公爵とその妻チェリフィアの能力――。

“人ならざる力をもって竜を討伐した”と書き立てた新聞に、多くの国民たちが驚愕の色を示したのは言うまでもなかった。



「準備はいいかい、チェリフィア」

「はい。マクレス様」


 黒竜侯逮捕の翌々日。

 朝から慌ただしく準備を整え、正装に身を包んだ二人は今、王宮へと出向いていた。

 二人を呼び出したのは、マクレスの大伯父でもある国王陛下その人で、先の件での詳細を聞きたいとの仰せだった。

「大伯父様に直接お会いするのは四年ぶり……かな。当主になった際、挨拶に出向いて以来だ」

「そうなのですね。それに本日は陛下だけでなく、王妃様も同席なさるとか……」

「うん。大伯母様に会えるのも楽しみだ」

 美しい絵画や調度品が飾られた廊下を、マクレスは笑顔で進んで行った。

 その途中、すれ違った貴族や使用人たちは皆、声を潜めて何かを囁き、こちらを見ている。

 彼らの色は決して、暗いものばかりではなかったけれど、やはり、魔法や共感覚などと言われて、すぐに肯定してくれるような人は少ないのだろう。

 マクレスは気にしていないようだが、自然目に入る色に、チェリフィアの心は複雑だ。

「……大丈夫だよ、チェリフィア」

 すると、陛下が待つ謁見の間へ向かいながら、ほんのわずかに俯く彼女を見つめ、マクレスは優しく囁いた。

 マクレスと違い、初めて陛下に謁見するという彼女は、おそらく今とても緊張していることだろう。

 それに加え、無責任な新聞メディアが報じた自分たちの能力に、様々な想いを口にする人々の色がつきまとい、心が覚束なくなっているのかもしれない。

 だけど、こうしてチェリフィアの能力を肯定する夫が傍にいることを、伝えたいと思った。



「――よく来てくれた、二人とも」

 さりげなく手を繋いでくれる彼のぬくもりに心を落ち着かせ、謁見の間へ到着したチェリフィアは、マクレスと共に中へ足を踏み入れた。

 深紅と白金を基調とした室内は荘厳で、息を呑むほどに美しい。

 そんな部屋の中央に据えられた玉座には、白髪交じりの茶髪に柔和な顔立ちをした国王陛下と、淡いカーキ色の髪をした王妃様が並び、彼らはやって来た二人を笑顔で出迎えている。

「大変ご無沙汰しております、大伯父様、大伯母様」

「随分立派になったの、マクレス。此度の件はお嬢さん共々よくやってくれた。おかげで欧州に灯りつつあった幾つかの火種を鎮火できたと、欧州国際連盟も褒めていたぞ」

「光栄です。ですが、今回の件は、チェリフィアがいたからこそ成し得たものでした。決して俺だけの功績ではなく、彼女と共に成し得た出来事です」

 目尻に皺を寄せ微笑む国王に、マクレスは笑顔で断言した。

 流石、国王を一貫して大伯父様と呼ぶ辺り、彼らは親しいようだが、初めて対面した陛下に、チェリフィアはどきどきした様子で話を聞いている。


「緊張しなくて大丈夫よ、チェリフィアちゃん。もっとリラックスなさいな」

 すると、そんなチェリフィアに、様子を見守っていたらしい王妃が優しく声を掛けてきた。

 マクレスの祖父の実姉である王妃は、彼とよく似たエメラルドの瞳を向け咲笑う。

「私たちは家族。これからもっと仲良くしましょう。女の子の孫は初めてだから、今日会えてとても嬉しいのよ」

「あ、ありがとうございます。此度はご尊顔を拝することが叶い、至極光栄です」

「ふふ、堅いわねぇ」

 国際情勢の話をする国王とマクレスの横で、王妃はチェリフィアと他愛のない会話に興じた。

 随分と緊張し、上気した様子だったチェリフィアも、屈託のない王妃の笑顔と言葉に、次第に打ち解けたようで、場にかわいらしい笑みが零れてくる。

 夏の日差しが差し込む中、謁見の間は穏やかな空気に包まれた――。



「さて、本題に入ろうかの」

 しばらくの談笑ののち、咳払いと共に表情を改めた国王は、一枚の書状を取り出した。そして、こちらをじっと見つめるマクレスに、あることを任命する。


「マクレスよ。此度の功績を讃え、おぬしを対人的環境大臣に任命したい」

「対人的……?」

「む……風紀大臣の方がよいかの? わしにはどうも名づけのセンスがないようじゃ……。つまり、この国の人々を真に見つめ、綻びかけた対人関係や個性に対する偏見を改善することで、心が自由に生きる環境を作る大臣じゃ」

「……!」

「それはおぬし……いや、個性と向き合い続けたおぬしたちには適任じゃろう? どうかこれからもその能力を用いて、国民たちの悲しみの種を取り除くため、尽力してほしい」

 聞き覚えのない役職に惑う二人を見つめ、国王は一気にそれを説明した。

 つまり、黒竜侯のように人々を困らせる人間や、人と違うことに悩みを持つ人々の声を聞き、対処する専門の役職を設けたいとのことらしいが、上手い言葉が浮かばなかったようだ。

 横で小さく肩を震わせる王妃と、毅然とした態度を貫く国王を交互に見つめ、状況を理解したマクレスは、チェリフィアと一度目を合わせた後で言った。


「大変光栄です、大伯父様。その役目、謹んでお受けいたします」



 幾つかの説明を受け謁見の間を後にすると、時刻は昼を回っていた。

 今日は報告だけのつもりだったのだが、まさか大臣就任の話が出されるなんて、思ってもみなかった。

「おめでとうございます、マクレス様っ!」

「……!」

 すると、実感が湧かず、どこか覚束ない表情を見せるマクレスに、チェリフィアは両手を大きく広げると、つい抱きついて笑った。

 彼の大臣就任がよほど嬉しいのか、横からぎゅっと抱きしめる彼女は、見たこともないくらい屈託なく笑っている。


「……あっ。やだ私ったらつい、も、申し訳ございません」

 と、子供みたいな笑顔でマクレスを抱きしめていた彼女は、しばらくして、我に返ったように頬を染め呟いた。

 今まで隠してきた能力が父の暗躍阻止だけでなく、マクレスの新たな道を切り開く助けになったことに、嬉しさを募らせていたのは事実だが、ついはしたなくも大胆なことをしてしまった。

「いいや」

 しかし、慌てて離れようとするチェリフィアをマクレスは強く抱きしめた。そして、白銀に輝く長い髪を撫でながら、優しく願いを告げる。

「俺も嬉しいよ。この結果はきみとだから得られたことだ。ありがとうチェリフィア。どうかこれからも、俺の一番傍で色を見ていてほしい」

「……!」

 願いを語るマクレスに、チェリフィアは大きく頷いた。

 彼が望むなら、いつまでも傍にいて、その役に立ちたい。

 心に描き続けてきた思いに曇りはなかった。


「……それに、たとえどんな場面でも、俺に遠慮する必要はないよ」

 すると、人気のない廊下で頷く彼女を抱きしめていたマクレスは、続けざまに口を開いた。

「きみは世界一大切な俺の妻。どんな些細なことだって共有したい。だから、俺の前ではきみの身も心も、そのすべてを曝け出してほしいんだ」

「……っ」

 耳元で告げられた甘い囁きに、チェリフィアは思わず腕の中で身じろぎした。

 最初に彼を抱きしめたのは自分だけれど、言葉を聞くうちに、とても落ち着かなくなる。

 どうしてそんな気持ちになるのかは分からなかったけれど、穴があったら埋まりたい気分だ。


「あっ、これはその……別に、へ、変な意味じゃないよ。きみとその…………じゃなくて、と、とにかく、心を隠す必要なんてないんだ。だから……」

 と、耳まで真っ赤にして瞳を潤ませる彼女に、マクレスはやがて、何かに気付いた顔で弁解し出した。

 すっかり自分たちの世界に入り込んでしまったが、ここはまだ王宮…それも、謁見の間の目の前だ。

 誰かに見られる前に立ち去らなければ、恥を見るに違いない。


「初々しいな」

 そう思った途端。

 不意に扉が軋む音がして、隙間から国王と王妃が顔を覗かせた。扉越しにしっかりやり取りを聞いていたらしい二人は、微笑ましげにこちらを見つめている。

「お、大伯父様!?」

「いやいや……ひとつ、伝え忘れたことがあっての。マクレスの新大臣就任を祝して、来週パーティを催そうと思う。主役として、挨拶を頼むよ」

「わっ、分かりました……!」

「うむ。それと、初々しさをいつまでも大切にの。かわいらしい限りじゃ」

 おおらかな笑みでそれを告げた国王は、どぎまぎした様子のマクレスに頷くと、静かに扉を閉めた。

 声が消えた王宮の廊下は静かで、今のところ人の姿は見られない。

 だけど、今のやり取りを、他でもない国王と王妃に聞かれていた事実に、二人とも林檎のような顔をしている。


「か、帰ろうか」

「そうですね、マクレス様……」

 目も合わせられないような沈黙が続く中、しばらくして意を決したマクレスは、そっと手を差し出した。

 温かい彼の手に、チェリフィアの細い指が重なり、一歩前に進む。


 黒竜侯が拡げ続けた泥闇から、新緑のような貴公子に救われた白薔薇。

 彼女の未来は、窓から差し込む光のように、どこまでも明るく輝いている。

 彼と手を繋ぎ、頬を染めながらも未来に思いを馳せたチェリフィアは、この幸福がいつまでも続くことを願い、王宮を後にした。

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