第10話 ポートリア港へ

 作戦決行の日がやって来た。

 満月の光が淡く照らす今宵、黒竜侯とバントコート侯爵は、ドナレア川のポートリア港から商品と称し、武器を北の帝国に輸出する。

 その現場を取り抑えるのが、今回の任務だ。


「……おせーな……」

 頭の中で何度も作戦を反復し、付近の森でマクレスたちを待つコライトは、肩をすくめ呟いた。

 既に陸軍のメンバーは、奴らが船を出すポートリア港を囲むように森の中で待機しており、その距離を徐々に縮めている。にもかかわらず、肝心の二人が現れないなんて、一体どういうことなのだろう。

「……っ」

 と、心の中で文句を呟いた瞬間、不意に頭上で柔らかい風が吹いた。

 驚いて顔を上げると、コライトの頭上……森の木々を縫うように、チェリフィアをお姫様抱っこしたマクレスが、空を渡っている。

 現実離れした光景に、口が開いた。


「お待たせ」

 スタンと地に足を着けたマクレスは、コライトに笑みを向けると、いつも通りの口調で挨拶を告げた。

 なんだか平然としているけれど、今の登場は普通じゃない。

「……な、なにが“お待たせ”だ。派手な登場だな、おい」

 顎が外れるほどの勢いで口を開けていたコライトは、しばらくして声を取り戻すと、思わず荒い口調で言い出した。

 彼が魔法族の血を引いていて、精霊の力を借りられることは知っていたけれど、大事な作戦を前に心が乱れるようなことやめてほしい。

 そう思って半眼で告げると、マクレスは苦笑を浮かべ、

「仕方ないだろう。本当は予定通り馬で来ようと思ったんだけれど、チェリフィアが乗馬したことないっていうんだ。なら風の精霊に頼むほうが安全だと思って」

「あーなるほど。横乗りで怖がらせるくらいなら、自分が抱いて来ようってか? 過保護な旦那様ですねぇ~」

 相変わらずチェリフィアを溺愛した様子のマクレスを見つめ、コライトはため息と共に野次を入れた。

 本当なら心臓が止まりそうだった分の文句を言ってやりたいものだが、今はそんな場合ではない。

「……とにかく、作戦を始めるぞ。出航前に現場を押さえなきゃ意味ねぇんだ」



「出航は今から約一時間後、そろそろ侯爵たちも集まっているだろうね」

 諦めたように肩を竦め、地図を取り出したコライトに、マクレスは腕を組むと、この先にあるポートリア港を見据えて呟いた。

 目的地に合わせ、夜に出航する貿易船は少なくないので、おそらくは自分たち以外誰も、この輸出を不審になど思っていないだろう。

 だが、今まさに暗躍しようと動く黒竜侯の存在に、自然表情が険しくなる。

「必ず、捕まえないと……」

「ああ。だからこそ、気付かれねぇように距離を詰めて、ポートリア港を見下ろす場所から奴らを追い詰めんだろ? ここから歩いて二十分はかかるってのにお前らは……」

「そのことなら心配いらないよ。精霊に頼めば現場までは数分だ。ただ、侯爵たちと鉢合うのはまずいから、今小人たちに偵察に行ってもらってる」

 オイルランプの光が淡く照らす地図を睨みつけ、マクレスはぶつぶつ言い出したコライトにそれを説明した。

 小さな体躯で俊敏さが特徴の小人たちは、非魔法族に対する警戒心が高く、偵察にはうってつけだ。今頃、港の様子を窺い、すぐにでも知らせをくれるだろう。

 マクレスにとっても悲願である作戦の決行に、抜かりはなかった。


「マクレス様、ご報告します!」

 すると、きびきびと話すマクレスの元に、ユイアが駆け足で現れた。

 どうやら小人たちの中でもとりわけ足の速い彼女が伝令役として選ばれたようだ。

「現在、ノアルージュ侯爵、及びバントコート侯爵指揮の下、荷物を船に運び始める様子が窺えました。拿捕だほすべき人間は既に港に集結していると思われます」

「分かった。他の三人は引き続き見張ってくれているんだね?」

「ええ。問題があれば精霊に伝言を託すかと」

「ありがとう。ユイアも見張りに戻ってくれ。俺たちもすぐに現場に向かうよ」

「はい」

「……というわけだ。準備に取り掛かろう」

 手早く報告を済ませ、去って行くユイアを見送ったマクレスは、颯爽と振り返った。

 そして、またしても開いた口が塞がらないコライトをよそに、チェリフィアを真正面から見つめ、微笑む。

「チェリフィア、今からきみに俺の魔力エレメントをあげるよ。目をつむって」

「はい」

 彼女の頬に触れたマクレスは、そう言うと、彼女の唇にそっと口づけた。

 途端、淡い緑色の光がチェリフィアを包み、馴染んでいく。もし何かがあれば、この力が彼女を守ってくれるだろう。相手は黒竜侯だ。万全を期すに越したことはない。


「……こんなとこでイチャつくんじゃねーよ。調子狂うなー」

 と、口づけ合う二人をしっかり見つめ、コライトはわざとらしく声を上げた。

 どうやら、作戦を狂わせているわけではないものの、予想外の手段ばかりを用いてくるマクレスに、内心思うところがあるようだ。

「それは心外だな。俺はただ俺が持てる全力を出しているだけだよ。今回は、相手が武器を持っている可能性も否定できないしね」

「ほー。それで、嫁さんにゃご丁寧に魔力エレメントまであげているのに、親友の俺にゃなんもなしか? 薄情な奴だなあ」

「おや、きみも俺の口づけがほしいのかい?」

 拗ねた子供のように唇を尖らせ、揶揄からかい混じりに告げるコライトに、マクレスは悪戯っぽく笑って言った。

 すると、思わぬ発言にコライトは顔を背け、

「死んでもゴメンだ」

「フフ、俺も嫌だよ。……でも、そうだね。じゃあきみには木の葉の盾を贈ろうか」

 彼の答えに頷きながら、ふと考えを改めたマクレスは、近くにあった樫の葉に手を当てた。

 そして、魔力を与えながら願い、徐々にその形を変化させていく。

 淡く光を帯びた葉は、やがて大きく膨らみ――。


「これでよし」

「でか」

 マクレスの願いに応えた樫の葉は、二メートルほどの大きさになった。

 人一人が悠々と寝転がれるほどの大きさを持ったそれは、最早絨毯のようだ。

「これに乗って移動すれば、高所恐怖症でも空を飛べるだろう? 何かあればこれがきみを守る盾になってくれるよ」

「……おー」

「よし、じゃあ出発しようか。風の精霊……!」

 自分にまとわりつく木の葉に恐る恐る腰かけるコライトに説明を終え、もう一度チェリフィアをお姫様抱っこしたマクレスは、精霊に語り掛けた。

「マクレス!」

 だが、その声に被せるようにして、今度はコライトがマクレスを呼ぶ。

 先ほどまでと打って変わり、真剣な顔をした彼は、まっすぐにこちらを見つめて言った。

「必ず、黒竜侯たちの思惑を阻止するぞ。つい数時間前、陸軍情報局に入った情報によると、この不安定な情勢に煽られて国がひとつ消えたそうだ。詳細はまだ分からねぇが、この件の阻止如何いかんで世界の状況はきっと大きく変わる。抜かるなよ」

「大丈夫だよ。俺にはチェリフィアが、そしてきみたち陸軍がついている。必ず止めるさ」

「ああ」




 木箱に収められた商品が運ばれていく。

 今宵の輸出も上手くいくだろう。

 船はこれから川を下って黒海へ。そこで、彼らと待ち合わせている。

 武器と引き換えに手に入るは莫大な金だ。

 それと基に、次はどんな計画を立ててやろう。


「抜かりはないな」

 口元に怪しげな笑みを浮かべ、行き交う部下たちを見遣りながら、黒竜侯ことブロディ・ノアルージュ侯爵は、手近な男に声を掛けた。

「へぇ。あと四箱ですべての荷物が積み終わりまさぁ。もう少々お待ちを」

 途端、訛り混じりで報告する男は、深く頭を下げ、持ち場へと戻って行く。

 出航まであと十五分と言ったところだろう。

 船の近くでは、船長と話すバントコート侯爵の姿も見えている。

 すべては順調だ。


(……やはり、あの男を抱き込んで正解だった。この国屈指の貿易商、十数年に亘り国際社会の信頼を得てきた男が、武器を輸出してようとは誰も思うまい)

「フフフ……」

「随分とご満悦の様子ですね、ノアルージュ卿」

 すると、心の中でひとりごちる黒竜侯の元に、船長との話を終えたバントコート侯爵がやって来た。

 柔和で人好きされそうな雰囲気を持つ彼は、恐れることなく黒竜侯を見上げている。

「ああ。この国は馬鹿ばかりで仕事がしやすい。特に最近は、あの目障りなベルグリアも大人しくなっているおかげで愉快極まりないさ」

「左様ですか。しかし、ベルグリア卿と言えば、あなたのご息女を妻に迎えられたとか……。何か、特別な手を回されたのですか?」

 荷物を運ぶ男たちを見るともなしに笑う彼の言葉に、バントコート侯爵はふと疑問を思い出して聞いた。

 ここ最近は、社交界で二人の結婚が公になると同時に、黒竜侯の根回しではないか、などという噂も囁かれており、真相を気にしていたようだ。

 だが、その話を至極どうでもよさげな顔で聞いていた黒竜侯は、色の乗らない声で呟いた。

「いや、あれは向こうが勝手に申し出てきたのだ。わざわざ書類まで用意してな。そうまでしてあの娘を欲するとは、流石に驚いたものだ」

「そうでしたか。おや、そろそろ準備が――」



「――全員、その場を動くな!」

「!」


 他愛のない会話を終え、二人が船に目を向けた、そのとき。

 不意に鋭い声がポートリア港を包み、月明かりがまるで、スポットライトのように頭上から降り注ぐ。

 突然の事態に誰もが目を眩ませる中、現れたのは若草色の髪をした青年。

 青年は、ポートリア港を見下ろす小高い丘に立ち、目を細める自分たちを見つめ、宣言する。


「この場は包囲させてもらいました。さあ、年貢の納め時ですよ、黒竜侯」

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