第9話 きみの心に愛を

 黒竜侯とバントコート侯爵による密会の翌朝。

 陸軍の協力を得るため、マクレスと共に陸軍情報局へとやって来たチェリフィアは、局長の許可を得て彼らと対峙していた。

 作戦に必要な人数として局長経由で集められた彼らは、突然現れた白薔薇と翠の貴公子、そして目の前で熱弁をふるうコライトを、どこか戸惑ったように見つめている。


「……っつーわけで、黒竜侯逮捕に向け、軍が動くことになりました! まずはその件について意見を聞きたい! じゃあ左から順に、はいっ!」

 すると、大まかな説明を終えたコライトは、不意に左端にいた黒髪の青年を指差し、予定通り、意見を聞きだした。

 いかに周到な作戦を立てようとも、内通者の口から黒竜侯に情報を漏らされては、折角のチャンスが台無しになってしまう。

 そこで「黒竜侯逮捕」の案件を聞かされた彼らが、どんな意見と感情を持つのかを、チェリフィアの共感覚で見極めようとしているところだ。


(暖炉で爆ぜる炎のような色……向日葵のような明るい色……晴れた日の夏空のような色……っ、立ち上る黒煙のような不気味な色……っ! あの人は怪しいわね)

 突然の指名に惑った様子の青年を皮切りに、意見を述べる彼らの声を見つめていたチェリフィアは、やがて、部屋の中ほどにいた軍人の声にハッと目を見開いた。

 意見自体は当たり障りのないことを言っているようだが、声に滲むのは暗い感情だ。

 心の奥底では良からぬことを考えているに違いない。

(マクレス様、あの方とても怪しいです)

 それを確信したチェリフィアは、周囲の人々に気付かれないよう、そっとマクレスの手に触れ、怪しい人物の存在を伝えた。

 すると、彼女の仕草にかすかに頷いたマクレスは、目配せでコライトにも情報を共有する。

 触れた彼女の手は冷たくて、緊張した様子を心配しながらも、彼は傍でじっと、チェリフィアの判断を見つめていた。



「――結局二人か。片方はノーマークだったわ。まじか」

 二十分ほどで意見を聞き終えた三人は、作戦準備の名目で彼らを部屋に残すと、別室でこの後のことを話し合っていた。

 チェリフィアが怪しいと判断した二人に、コライトは初めこそ驚きを隠せない様子だったが、最終的には作戦から外すと決めたようだ。

 隣で話を聞いていたマクレスに目を遣りながら、コライトはやれやれと口を開く。

「じゃあ、奴らには適当な任務でも与えて、作戦終了まで黒竜侯と接触しねぇようにしてもらうわ。マクレス、話しつけに行くからちょっと付き合え」

「仕方ないな。チェリフィア、少し待っててくれるかい? 話しが終わったら作戦の最終確認をしようね」

「はい。お気を付けて」



(ちゃんとお役に立てたかな、私。子供のころ、お母様とメイリーを驚かせた共感覚。人には話すなと言われてずっと、隠してきた。だけど、この能力ちからがお役に立てたなら……嬉しいな)

 簡素な椅子とテーブルが並ぶ室内で、ひとり残されたチェリフィアは、窓の外を見つめひとりごちた。

 二十六人にも及ぶ軍人たちの色を確認するなんて、今までに例がない事態だ。

 だが、一歩間違えれば気持ち悪いと忌避きひされる能力を受け入れてくれた彼らのためにも、自分ができることを全うしたかった。


(……マクレス様? ロカウィリス様と話をつけに行っていたんじゃ……)

 そんな思いを懐きながら、眼下に広がる庭を見つめていたチェリフィアは、ふとそこにマクレスの姿を見つけ、目を見開いた。

 彼の隣には、薄茶色の髪をした女性がいて、彼を急かすように腕を引いている。

 状況はつかめないが、なんとなく、親しそうな雰囲気だ。

(何を、しているのかしら。……っ、いいえ。マクレス様の交友関係を勝手に盗み見るなんて失礼だわ。でも……)

 どこかに向かう二人の姿から目を逸らしたチェリフィアは、近くの椅子に腰かけると、両手をぎゅっと握りしめた。

 彼の人気が高いのは良いことだし、お茶会のときは自分から傍を離れても平気だったのに、今はどうしてか胸が苦しくなる。

 早くここへ、傍へ帰ってきて欲しかった。


「遅くなってごめんよ、チェリフィア」

 二人が戻って来たのは、それから十五分ほど後のことだった。

 何事もなかった顔でコライト共に入室した彼は、右手に薄桃色の薔薇を持ち、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。

 そんなマクレスを見上げていると、彼は少しだけ困ったように笑って、

「ルクレ姉様に捕まったおかげで、ちょっと時間がかかってさ」

「姉様、ですか?」

「うん。コライトのね。子供のころからお世話になっているんだけど、庭に新種の薔薇が咲いたからって引っ張り出されたんだ。お土産だよ」

 苦笑と共にそう話したマクレスは、徐に薔薇を差し出すと、外出の際には必ずつけてもらっている、自身の魔力エレメントを与えた生花の髪飾りにそれを追加した。

 白い薔薇と周りを彩る草花に追加された薄桃の薔薇は、髪飾りを一層美しく引き立てる。

「うん。かわいい」

「……!」

 満足そうな笑顔でこちらを見つめるマクレスに、チェリフィアは思わず頬を赤らめた。

 ほんの少し前まで心を沈ませていたはずなのに、彼の笑顔を見ていると、ふわふわして温かい気持ちに包まれる。

 やっぱり私は、この人のことが好……

「おい。そういうのは家でやれ。作戦固めるぞー」

「……っ」



「無事に作戦もまとまってよかったね。後は、黒竜侯の計画を阻止するだけだ」

「はい。頑張りましょうね」

 半眼で野次を入れるコライトの声に気を取り直したチェリフィアは、その後、彼らを包囲する手順や当日の行動など、細かい打ち合わせを終えて公爵邸に帰って来ていた。

 普段、あんなにも根を詰めて話すこともないせいか、マクレスと共に談話室のソファに身を預けた彼女は、少しばかり疲弊した様子で頷いている。

「フフ、きみが無理をする必要はないよ。何があろうと俺が守るから」

「……!」

 すると、彼女を抱き寄せたマクレスは、優しく髪を撫で囁いた。

 慈しむような優しい手に、頬が熱を帯びる。

 好きな人の手は、なんて心地よいものなのだろう。

「マクレス様…あの……」

(私のこと、好きですか……? 私たちは、本当の夫婦になれますでしょうか?)

 それを感じた瞬間、チェリフィアは思わず、心の中の疑問を声に出しそうになった。

 ユイアに話を聞かされてから、この疑問は日に日に大きくなっていく。

 だけど、大事な作戦を前にこんなことを聞いて、答えが否だったらと思うと怖くもなった。彼の本当を知りたいなんて、やっぱり、私には……。


「好きだよ、チェリフィア」

「!」


 頬を赤く染めたまま、何度も口を開きかける彼女に、マクレスは微笑むと、まっすぐにその言葉を口にした。

「俺はずっときみが好き。復讐の意志を伝えて結婚を提示したのも、きみを守るためだ。あのままノアルージュ家にいたら、きみの立場上、黒竜侯と心中する羽目になりかねない。だからこそ公爵家に招いたつもりだったんだけれど、上手く伝わらなかったようだね」

「……っ」

「俺も、恋は初めてでさ……どうしたらいいか分からなかったんだ。きみが俺をどう想っているのかも知らないのに、守りたい気持ちばかりが前に出て、寂しい思いをさせてしまった。でも、大好きだよ」

 チェリフィアの心を察したように、マクレスは一気に言葉を紡ぐと、彼女を強く抱きしめた。

 優しいぬくもりに心臓はどきどきと早鐘を打っているけれど、それ以上に、彼の本当が嬉しくて、思わず泣きそうになる。

 すると、そんな彼女を真正面から見つめたマクレスは、何かを決めた顔で告げた。


「本当はすべてが終わってからと考えていたんだけれど、今ここで、きみの心に愛を誓いたい。許してくれるかな」

「……!」

 そう言ってはにかんだマクレスは、徐にチェリフィアの首元に結ばれていた桜色のリボンに手を掛けると、優しくそれを解いて見せた。

 そして、ドレスのボタンを幾つか外した彼は、柔らかい彼女の胸元――ちょうど心臓の位置だ――に口づけを贈る。

 一生に一度、夫が妻へ真の愛を誓うときにだけ贈るという、心臓への口づけ。

 中途半端な想いでは決してできない行為に、チェリフィアは大きく目を見開いた。

 気付いていなかっただけで、マクレスはずっと、自分のことを愛してくれていた。

 これは片想いの恋なんかじゃなかったんだ。

 嬉し涙で、視界がぼんやりと滲む。

「……っ」

 すると、顔を上げたマクレスは、続けざまに彼女と唇を重ね合わせた。

 涙で一層熱を帯びた唇にも、愛を。

 目の前で涙と共に微笑む彼女が愛しくて、すべてを自分のものにしてしまいたかった。


「……マクレス様」

 日増しに強くなっていく感情に心を揺れ動かしていると、彼の頬に手を添えたチェリフィアは、震える声で彼の名を囁いた。

 こうして唇に口づけられたのは、今回で二度目だ。

 一度目は、この屋敷を初めて訪れ、結婚を提示されたあの日――。

 あの日からきっと自分は「マクレスの妻」としての道を与えられていたのだろう。なのに「黒竜侯の娘」という、ずっと変えられない運命さだめに誰よりも固執し続けたせいで、気持ちを知るまで随分と遠回りしてしまった。

 だけど……。

「私も、ずっとお慕いしておりました。三年前、初めてお姿を拝見したときからずっと……」

「……!」

「大好きです。私の旦那様……」

「俺もさ、チェリフィア」


 彼の腕に抱かれ、チェリフィアは花のように微笑んだ。

 これでもう、答えの分からない片想いはおしまいだ。

 ここから先は本当の夫婦として、目的を果たし、共に生きて行きたい。

 幸せな気持ちを抱え、チェリフィアは強くそれを願った。

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