第7話 舞踏会にて

(……どうしましょう。これからせっかくの舞踏会だというのに……)


 レモンイエローの瞳に影を乗せ、ひとりごちる。

 深い懊悩おうのうを滲ませた彼女は今、召し替えの途中なのか、ドロワーズの上からシーツをあてただけの姿で、熱心に背中のあたりを見つめている。

 今宵彼女は、マクレスと共に舞踏会へ出向くこととなっていたはずだが、どうやらその前にトラブルが発生したようだ。


「チェリフィア、準備……ぁうっ?」

 と、そんな彼女のもとに、何も知らないマクレスが現れた。

 チェリフィアを迎えに来たらしい彼は、長い脚を覗かせた大胆な姿に変な声を上げている。

「きゃっ。す、すいませんマクレス様……! お見苦しい姿を……」

「い、いや……その、何をしていたんだい?」

「実は……」

「ごめんなさあああい……っ」

 あまりの不意打ちに、互いに背を向けたまま頬を赤くしていると、時を同じくして廊下の向こうからアントに首根っこを掴まれたキャサラが現れた。

 額に大きなコブをつけた彼女は、屋敷中に響きそうな大声で泣いている。

「私のせいなんですぅうう。ひぐっ……、私がエムリュちゃんに追いかけられてっ、それで、部屋に逃げたらチェリフィア様がいてっ……、つい癖で、肩に乗っちゃって……。そしたら追いかけてきたエムリュちゃんが、チェリフィア様を引っ掻いちゃって……っ」

「……!」

「ミーナさんが慌てて傷薬を取りに……っ、ひぐっ……」


 部屋の前に突き出されたキャサラは、頭を下げると一連の状況をそう説明した。

 扉が開いていたり、チェリフィアがあんな姿をしていたことには、相応の理由があったらしい。

「申し訳ございません。我々が責任を持って治癒しますので……」

 と、困りながらも納得するマクレスの横で、今度はアントが頭を下げて言った。

 小人による治癒と言うことは、魔力エレメントを使うのだろうか?

 そう思って問いかけると、アントは部屋の中にいるチェリフィアにも聞こえるように説明した。

「はい。傷口に魔力を当てることで、人が持つエネルギー━━今回は自然治癒力ですね、を引き上げることができます。引っ掻き傷程度なら、すぐに治るかと」

「なるほど。ならばそれは俺がやろう」

「……!」

「たとえ治癒が目的だとしても、彼女の肌に触れられるのは俺だけだよ」



「チェリフィア、傷口を見せてごらん?」

「えっと、その……」

 許可を得て部屋に入ると、チェリフィアが雪だるまになっていた。

 あられもない姿に羞恥しているのか、彼女はだいぶ動揺している。

「大丈夫。優しくするから。それにほら、早くしないと遅れるでしょう?」

「……っ」

 後ろから抱くように彼女を包み、マクレスは耳元で囁いた。

 途端チェリフィアは顔を赤らめ、視線を彷徨わせている様子だったが、確かに、大事な舞踏会に遅刻するわけにもいかない。

(……だ、大丈夫よ、チェリフィア。マクレス様は夫なのよ? だから、その、肌くらい……)

 やがて、彼の言葉に覚悟を決めたチェリフィアは、そっと傷を露わにした。

 彼女の白い肌には今、右肩から肩甲骨にかけて引っ掻き傷がついており、とても痛々しげだ。


「触れるよ」

「……はい」

 それを確認したマクレスは、照れるチェリフィアに前置すると、傷口に唇を這わせた。

 次の瞬間、キラキラと輝く魔力の結晶は傷を包み、三十秒ほどで綺麗に消え失せる。

 結晶が消えた肌は元通り美しく、思わず彼女を抱きしめたマクレスは、愛しげに笑んで言った。

「フフ、流石に肌に触れるのは緊張するね。さ、準備をして舞踏会に行こうか」



 肌に残る唇の感触にどきどきしたまま、準備を整えたチェリフィアは、彼のエスコートを受け、舞踏会の会場へとやって来た。

 華やかな装飾と、大きなシャンデリアに彩られた大広間は荘厳で、見惚れてしまうほど美しい。

 すると、そんな会場を見つめるチェリフィアに、マクレスは笑って問いかけた。

「舞踏会なんて久しぶりだろう?」

「ええ。それに私、壁の花しか経験踊ったことがないので、少し、緊張しています」

「……!」

 彼女と共に広間の中央付近までやって来たマクレスは、鳴り出した音楽に耳を傾け、はにかむ彼女の言葉に大きく目を見開いた。

 確かに黒竜侯の娘を誘うのは度胸が必要だが、一度もないなんて思ってもみなかった。


「……じゃあ俺が初めての相手だね。嬉しいな」

「!」

 思わぬ情報に照れながら、マクレスはそっと彼女の手を取った。

 広間の中央では今、主催である公爵家当主を中心に重鎮方が踊り始め、自分たちにもその出番がやってくる。

 現れた翠の貴公子と白薔薇の組み合わせに、二人の関係を知らない貴族たちは驚いているようだが、そんなものは気にならない。

 今はただ、この愛しい妻との一時を楽しみたくて、マクレスは微笑む彼女とステップを踏み始めた――。


「フフ。楽しいね。幸せだよ」

「はい。でもその……足を踏んですいません……」

 円舞曲ワルツを終え、広間の中央を離れたマクレスに、チェリフィアは小さくなって呟いた。

 たしなみとしてダンスは習っていたものの、外に出る機会さえあまりなかった彼女に、運動神経と言うものはないらしく、足を踏んだり裾を踏んだり、彼に助けてもらわなければ、恥をかいたに違いない。

 それでもこうして笑ってくれている彼の優しさがむずがゆくて、頬は赤くなるばかりだ。


「マクレスー、白薔薇ちゃーん!」

 すると、なんとなく手を繋いだまま会場を回る二人のもとに、コライトの声がやって来た。

 女の子を数名連れた彼は、やけに通る声で二人に手を振っている。

「やあコライト。他の人の迷惑になるから静かにした方がいいよ」

「はは、気にすんなって。貴族なんて自分しか見てねぇいきもんだ。それより、ご夫婦そろっての舞踏会、楽しんでる~?」

 にやにやと笑みを浮かべ、コライトはあからさまに邪推を込めて言った。

 自分だって妻を連れて来ているくせに、親友の恋路を揶揄からかうのが楽しくて仕方ないのだろう。

 もちろん、勝手に楽しんでくれて構わないのだが、それにしても分かりやすい奴だ。


「フフ、きみこそ素敵な花たちに囲まれているようだね。俺は白薔薇だけで十分だけど」

「お、早速惚気やがって~。仲良し夫婦はよいですね~。な、みんなそう思わね?」

「そうね。マクレス様、ご結婚おめでとうございます。どうか、このお馬鹿さんみたいにフラフラしないよう、お気を付けて」

 と、コライトの問いかけに声を上げたのは、彼の三番目の妻である黒髪の女性だった。

 やけに毒を含んだ口調で祝福を送る彼女は、どこか澄ました印象だ。

 だが、そんな彼女に軽快な笑みを見せたコライトは、わざとらしく口を尖らせて言った。

「ヒドイなリアナ! 俺の性格分かってて結婚したんだろ? お前のことだって大好きだぜ?」

「はいはい。でも次浮気したら死刑なんだから覚えておきなさいよ」

「ぐぅ……」


「……ロカウィリス様は楽しい方ですね」

「まあ…飽きないかな」

 なんだかんだ丸め込まれるコライトとリアナのやり取りを中心に、少しばかり談笑を終えた二人は、休憩がてら広間の外に向かって移動していた。

 どうやら、先日のお茶会の際、マクレスがご令嬢方に説明をしたらしく、今回チェリフィアが邪険にされることはなかった。

 それどころか、初めて体験した談笑と言うものに内心喜びながら笑うと、マクレスはふと気になったように目を向ける。

「そう言えば、コライトはどんな色をしているんだい?」

「ロカウィリス様はそうですね……フレッシュなオレンジ果実のような色、でしょうか」

「なるほど。あいつらしい色だ」



 人が集まる大広間から廊下に出ると、蝋燭の煌めきと月明かりが二人を出迎えた。

 夏の澄んだ空気は美しく、窓の外には壮大な幾何学式庭園が広がっている。

「ここは大伯父様の弟君の家なんだ。几帳面でそのうえ凝り性だから、庭も整っていて綺麗だよ。解放されているみたいだし、少し散策してみる?」

「そうなのですね。では、マクレス様の社交のお邪魔にならないようであれば……」

「……チェリフィア、きみは俺の妻なんだよ? 邪魔なわけないんだから、遠慮しないでほしいな」

「……!」

 すると、彼女の答えに足を止めたマクレスは、間近に彼女を抱き寄せ、真剣な口調で囁いた。

 頬に手を添える彼の瞳は綺麗で、なんだかこのまま口づけされてしまいそうな雰囲気。

 だけど、彼が望むなら、それでも……。


(……私、何を考えて……)

「あ、ありがとうございます。では、一緒に、行きたいです……」

 ふと頭に浮かんだ思いに戸惑いながら、チェリフィアは頬を染めると声を先細らせた。

 昨日初めて可能性を見出した「彼に愛されているかもしれない」という気持ちと、優しい言葉に、つい、変なことを考えてしまった。

 口づけされてもいいだなんて、そんな、畏れ多いことだ。



「……今の時期なら薔薇かな。このお屋敷、百五十種類くらい薔薇が咲いているんだ」

「まぁ。とても素敵ですね」

 照れた顔で呟く彼女の姿に笑みながら、廊下を進んだマクレスは、以前訪れた庭の様子を饒舌に語った。

 この家の庭が素晴らしいのは本当のことだが、毎日一緒にいるのに、いつまでも初々しく照れてくれる彼女のことがかわいくて、もっと喜ばせてあげたかったのだ。

「……っ!」

 と、そのとき。

 不意にチェリフィアが、強張った顔で足を止めた。

「?」

 唇に人差し指を当て、音を出さないようにと伝える彼女は、真っ直ぐに、月明かりの届かない廊下の、曲がり角のあたりを見つめている。


「――さて、例の件はどうなっている?」


 と、そこからかすかに聞こえてきたのは、闇夜に落ちた影のような深い声。

 ――黒竜侯だ。

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