第6話 きみを守るためならば

「実家に帰りたい?」


 チェリフィアから提案を受けたのは、午後の日差しが照りつく初夏のことだった。

 今日も今日とて休日を使い、黒竜侯の情報を洗っていたマクレスは、その途中、突然出された話題に目を見開いている。


「はい」

 すると、困惑を滲ませた彼に、チェリフィアは力強く頷いた。

「父はこれまで、幾つもの名家を没落させてきました。にもかかわらず、決定的な証拠がないせいで、罪に問われたこともありません。私の記憶や資料を基に父のやり口を把握しても、証拠がない限り、糾弾は難しいのではないでしょうか?」

「それは、そうだけど……。まさか、実家に取りに行く、なんていうつもりかい?」

 淡いレモンイエローに彩られた瞳をまっすぐに向け、証拠の話をし出すチェリフィアに、マクレスは慌てた顔で問いかけた。

 確かに、黒竜侯の息吹を消し去るためにも証拠は重要だ。

 だがそれは、厳重な情報収集ののち、次の暗躍を阻止する形で現行犯逮捕出来れば問題ないと思っていた。

 何より、そんなことのためにチェリフィアを危険に晒すなんて、絶対に許容できない。


「危ないよ。黒竜侯の力は強大だ。もし何かあったら……」

「ふふ、大丈夫です。父は私に興味がありません。いないも同然の娘が荷物を取りに一時帰宅したところで、何も思われないのは明白です。どうかあなたのお役に立たせてください」

「……!」

 彼女の手をぎゅっと握りしめ、心配を口にするマクレスにチェリフィアは当たり前のように言った。

 笑顔で語る彼女の声は平静なままだが、親に愛されない家庭なんて普通じゃないことを、彼女はきっと知らないのだろう。

 これまで途方もない寂しさを抱えてきた彼女の境遇に、胸が苦しくなる。


「……分かった」

 すると、しばらく逡巡ののち、マクレスは決して無理をしないことを条件に頷いた。

 本当は彼女に危険なことなどさせたくないのだが、力強く自分を見つめる瞳に、根負けしてしまったのだ。

「ちなみにどんなものを取りに行く気だい?」

「貸借契約書です。父が、セジョンヌ家に結ばせた……」

「!」

「そこには高額な貸し付けと、あまりにも理不尽な返済条件が記載されていました。しかし、署名が父のものではなかったので、今までは証拠として不十分だと思っていましたが、つい先日あなたが突き止めた、父が裏で牛耳る企業の社長名だと判明したため、少なくともセジョンヌ家を陥れた証拠になるかと……」

 彼の優しさに笑みながら、チェリフィアは証拠の内容を口にした。

 途端マクレスは驚いた顔で動揺していたが、続けざまに所持理由と問うと、彼女は自嘲気味にこれまでのことを語り出す。


「契約書を拾ったのは偶然でした」

「……!」

「私は今まで、父に危害を加えられた方々の標的になりたくなくて、身を守るためだけに動いてきました。父の行動を把握しておけば、誰が私に忌避の目を向けてくるか分かりますし、声さえ聞ければ、相手の感情もおおよそ判断できる。……もっとも、音もなく近付いてくる方も多いので、すべてを回避できるわけではありませんでしたが……」

「……」

「ともかく、情報を得るため父の周囲を探っていたときに、無造作に捨てられている契約書を見つけたんです。父は私と同じくらい、没落させた家にも興味を持たないので、何も考えずに捨てたのでしょう。今は私の部屋に保管してあるそれを、持ち出そうと思います」



「チェリフィア。出発前に渡したいものがあるんだ」

 ノアルージュ家への一時帰宅計画はすんなりと決まった。

 その日のうちに世話係だった使用人へ電報を送ったチェリフィアは、明日なら侯爵が不在との返答に予定を決め、今まさに支度を整えているところだ。

 と、パステルイエローのドレスに同じ色調のボンネットを身に着けたチェリフィアを見つめ、マクレスは手招きをして言った。

 そして、彼女を庭へと連れ出したマクレスは、一凛の薔薇を前にこう告げる。

「きみが俺のために行動してくれるんだ。ならば俺も、きみのために魔法を使おう」

「……!」

「薔薇の精霊、そして草花の精霊よ。彼女を守るため、力を貸してくれないか? 俺の魔力と共に彼女を守る者となれ」

 薔薇の花びらに口づけ、マクレスは願うように問いかけた。

 途端、魔力の結晶である淡い緑色の光が溢れ、薔薇と近くの草花を包んでは、形を成していく。

 それはまるで、美しい髪飾りのようで――。


「……上手くいったかな? 俺も魔法については指南書をひと通り読んだ程度だから、あまり難しいことはできないのだけれど、幸い、草木や花の精霊とは相性がいいみたいでね」

 わずかに光を纏う髪飾りをボンネットの飾りに追加しながら、マクレスは少しだけ心配そうに呟いた。

 これまでも風や光など、精霊たちに語り掛けることで、マクレスは彼らの力を借りてきたものの、自らの魔力エレメントを掛け合わせて魔法を使うことはあまりない。

 だが、愛しい彼女のためにも、力を惜しみたくはなかったのだ。


「ありがとうございます。とても綺麗……嬉しいです」

「フフ、よかった。何かあればこの飾りに触れることで精霊たちが力を貸してくれるはずだよ。あと、念のため警護もつけるね。ユイア、出ておいで」


 小人に警護を言いつけるマクレスに見送られ、チェリフィアは実家へと馬車を走らせた。

 馬車の中から外を見つめる彼女の双眸そうぼうは不安に彩られ、どこか覚束ない。

 正直、ただ実家に戻るだけのことがこんなにも億劫だなんて、思ってもみなかった。

「奥様は随分とマクレス様に愛されているようですね」

 すると、そんな彼女を気遣うように、ふとユイアが明るい声を出した。

 肩の上に乗る彼女はおおらかに笑んでいるが、不意に届いた予想外の言葉に、チェリフィアは動揺した様子だ。

「いえ、そんな。マクレス様は分け隔てなくお優しい方だもの。私なんて……」

「いいえ。マクレス様はヴィオレ様にだって魔法のことを明かさなかったのに、奥様にはこんなにも魔法を使っている。それに、あのお二人に恋情はなかったみたいですし。今のように目に見えて愛情を注がれているのは、奥様が初めてですよ」

「……!」

(……愛されている? 私がマクレス様に……?)


 ハッキリと告げるユイアの言葉に頬を染めたチェリフィアは、惑うように呟いた。

 確かに優しいあの人は、いつだってチェリフィアを気遣ってくれている。

 だけど、婚約者のための復讐だと告げられ、協力者として結婚を提示された以上、元凶である黒竜侯の娘が、愛されるわけがないと思っていた。


 でももし、もし彼女の言うことが本当だとしたら……?

 あの優しい笑顔が、好意をもって自分に向けられているものだとしたら。

 心の奥底で望むように、少しずつでも本当の夫婦になれるだろうか。

 夢を見ても、いいのだろうか――。



「大変ご無沙汰しております。お嬢様」

 揺れる心を抱え馬車を降りると、世話係だったメイリーが出迎えてくれた。

 この家を出たときと変わらない笑顔を湛える彼女は、母を亡くして以降、侯爵家で唯一と言っていいチェリフィアの味方だ。

「急にごめんなさいね、メイリー」

「いいえ、たとえお嫁に行かれようともここはあなたの家。遠慮などいりませんよ」

 約二ヶ月ぶりとなる再会に喜びながら、彼女はメイリーと共に部屋に向かって歩き出した。

 家の中は相変わらずどこか重苦しくて、がらんとしている。


「……それにしても、旦那様ったら何も言わないで、驚きましたわ。後で問い詰めたら何日も前に決まっていた、だなんて……」

 するとその途中、おもむろに声を潜めたメイリーは、憂いを帯びた様子で囁いた。

 やはり、父は娘の嫁入りを何とも思っていなかったようだが、不思議と気持ちは凪いでいる。

 それどころか薄く笑みを浮かべたチェリフィアは、彼女を見つめ言った。

「大丈夫よ、メイリー。私は今幸せだもの」

「……!」


 自室へと到着したチェリフィアは、書物机の引き出しに手を掛けると、底板の隙間に隠しておいた貸借契約書を鞄の中にしまい込んだ。

 その中には秘かに様子を見守るユイアもいて、彼女はじっと周囲の気配に耳を澄ましている。

 と、何気なく書物机に目を遣ったチェリフィアは、写真立てに飾られた一枚の絵に動きを止め、

「この絵も飾ったままだったわね……」

 ひとりごちる視線の先には、幼い自分と母の絵が飾られていた。

 優しかった母は、チェリフィアが八歳のとき、黒竜侯への報復で命を落としたと聞いている。

 これまでは、家族が危険に晒されようと意に介さない父に対し、身を守ることで精一杯。

 それ以外のことなんて考えたこともなかったし、黒竜侯の娘である自分に、何かができるとは思っていなかった。

 だが、マクレスと共に復讐を目指すうちに、彼女は父をゆるしてはいけない存在だと思うようになった。

 これ以上父のせいで悲しむ人を増やさないためにも、一刻も早く暗躍を阻止しなければ。



「おかえりチェリフィア。無事でよかった」

 決意を新たに公爵邸へ帰ると、すぐさまマクレスが出迎えてくれた。

 心配を滲ませた彼は、途端チェリフィアを抱き寄せ、その頬に口づける。

 彼の仕草は優しくて、チェリフィアは頬を赤らめると、動揺したまま呟いた。

「あ、ありがとうございます。無事に貸借契約書は持ち出せました」

「うん。でもそれ以上に、きみが無事で嬉しいよ」

「……!」

 柔らかい笑みを浮かべ、自分を抱きしめるマクレスに、彼女はどきどきと俯いた。

 今まではただの気遣いだと思っていたこの行為にもし、愛があったら。そう思うと気恥ずかしくて、顔を上げることができなかったのだ。


「今日は疲れたろうからゆっくり休もう。そして明日はご褒美も兼ねて、予定通りきみを舞踏会に連れて行く。楽しみだね」

「はい」


 笑顔で語る彼の声は、出逢ったときと同じ新緑のようなみずみずしい色。

 明るくて素敵な色を持つ彼は、気遣い以上の想いを抱いていてくれたのだろうか?

 分からない。

 でも……。


(マクレス様、私のこと、好きですか……?)

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