第5話 初めてのお茶会

「チェリフィア、ブレイア伯爵家没落に際してなんだけど――」

「その件でしたら、二年前の九月十八日、西部アルーゼンの街に……」


 寄り添いながら額を並べ、策を練る。

 秘密を明かして以降、これが二人の日常だった。

 テーブルには今、黒竜侯に関する資料が置かれ、時折マクレスが何かを尋ねては追記していく。

 そんな彼との日々に、初めこそどきどきしていたチェリフィアだったが、最近は少しだけ隣にいることにも慣れてきた。

 このまま彼の隣にいて、ちょっとずつでも、本当の夫婦になれたら、どんなにいいだろう。

(……いいえ。自惚れてはダメね。マクレス様は婚約者だったヴィオレ様のために復讐しているのよ。それに、黒竜侯の娘が愛されるわけなんてないんだから。いくらマクレス様がお優しくても、夢を見てはダメ……)


「――失礼致します。マクレス様、奥様、そろそろお客様方がお見えになりますよ」

 時折触れ合う腕と、彼の真剣な表情に心を揺らしながら思案していたチェリフィアは、ふと入り口から聞こえてきたナルミーナの声に顔を上げた。

 今日はベルグリア邸でお茶会が開かれる日――ひいてはチェリフィアがマクレスの妻として、初めて表舞台に出る日なのだ。

「分かった。出迎えの方は対応するから、受付と案内は頼むね。行こう、チェリフィア」

「はい」

(私が出てきたら皆様どんな反応をなさるかしら。それに私、夜会はお父様に無理についていたから経験があるけれど、お茶会は初めてで……)


 さりげなく手を差し出し、声を掛けるマクレスに、チェリフィアはつい俯くとひとりごちた。

 初めてのお茶会と表舞台に、どきときと心臓が早鐘を打つ。

「フフ、怖がる必要はないよ。何かあれば必ず守るから」

 と、そんな彼女を見つめ、マクレスは優しく囁いた。

 今まで「黒竜侯の娘」という立場に立たされてきた彼女は、社交界にいい思い出はないことだろう。だが、これから先は妻として、たくさんの楽しいを経験させてあげたい。

 そう思い提案したお茶会を、マクレスは絶対に成功させたかった。



(……わわっ)

 玄関先に出ると、たくさんの馬車からたくさんのご令嬢が降りてきた。

 お茶会に招待されるのは、主に各家のご令嬢とマクレスの友人である貴公子たちだ。

 当主がいない分、気兼ねない環境ではあるのだが、外に出た途端向けられた視線に、チェリフィアは戸惑った顔で目を瞬いている。

「皆様、本日はようこそお越しくださいました。あちらでお名前を頂戴したのち、庭園へご案内いたします」

「……」

「それと、後ほど改めてご紹介させていただきますが、彼女は俺の妻になりました。これからは仲良くしてくれると嬉しいな」

「……!?」

 と、不意に彼女を抱き寄せたマクレスは、爽やかな笑顔でそう告げた。

 あまりにもあっさりした発言に場は凍りつき、やがてさざなみのようにざわめきが広がっていく。

 それはどれも明度の低い濁った色で、チェリフィアは肯定感の低さを実感すると同時に、またマクレスに気を遣わせてしまいそうな予感がして、秘かに心を沈ませた。



「ごきげんよう、ベルグリア様!」

「お会いできて光栄ですわっ」

(……はわわ。お茶会って、すごい……)

 お茶会が始まると、マクレスはすぐにご令嬢方に囲まれた。

 彼女たちは紹介されてなお、白薔薇の嫁入りに納得できないのか、傍で目を白黒させるチェリフィアも押しのけんばかりの勢いで話しかけてくる。

 その度にマクレスが抱き寄せてくれるのだが、正直言って火に油状態だ。

「ベルグリア様っ、実は私、今日のために特別なシャンパンをお持ちしましたの。ご一緒していただけませんか?」

「……!」

 と、その状態がしばらく続いた後で、一人のご令嬢が出し抜けに言った。

 途端マクレスはわずかに表情を強張らせていたが、彼が何かを言う前に、今度は横から呑気な声が飛んでくる。


「あーいいな。俺も飲みたいぜ~」

 話に割って入って来たのは、偶然近くにいたコライトだ。

 彼は邪魔されて若干不機嫌そうなご令嬢に構うことなく呑気に笑い、ボトルに手を伸ばす。

 そんな彼に笑みを返したマクレスは、ご令嬢に手を差し出して言った。

「じゃあみんなで飲めるよう、グラスに注いでもらってくるよ。ボトルを頂けるかな?」

「……っ」


 ボトルを受け取ったマクレスが離席すると、蜘蛛の子を散らすようにご令嬢がいなくなった。

 結局一言も話すことなく終わってしまったチェリフィアは、マクレスの声に差した影を心配しながらも、なんとなく、手持無沙汰な状況だ。

「白薔薇ちゃん、もしかして知らない?」

 と、彼女の不思議顔に気付いたコライトは、一瞬迷った後で声を掛けた。途端、もっと不思議そうな顔をしたチェリフィアに彼は慌てて、

「あ、わり、自己紹介してねぇや。俺はコライト・ロカウィリス。マクレスの幼馴染みだ。……で、その様子だと知らなさそうだから言うけど、あいつ、酒飲めねぇんだわ」

「……!」

「前に飲ませてみたら、ペロッとしただけで泥酔。だから酒には気を付けてやってよ」

 自己紹介ついでに一気に語ったコライトは、マクレスの声に影が差した理由をそう説明した。

 確かに、この屋敷では食事時に酒類が出ないと思っていたが、そんな理由があったなんて。


「俺のチェリフィアに何話しているのかな、コライト」

「……!」

 気にしていなかったと言えばそれまでだが、意外な話にチェリフィアが目を瞬いていると、不意に背後からマクレスの声が飛んできた。

 その表情は穏やかなままだが、即座に彼女の手を引いたマクレスは、人目もはばからずぎゅっと抱きしめ、まるで、彼女は自分のものだと主張するように牽制してくる。

 そんな彼の溺愛ぶりに肩を震わせたコライトは、つい吹き出しながら言った。

「怒んなよ、別に誘惑なんてしてないぜ~? ただ、お前が下戸だってバラしてたんだ」

「……! 情けないからあんまり知られたくないやつだな……」

「あはは、だよなー。そういや白薔薇ちゃんは酒飲めるのか?」

 照れる彼女を抱いたまま離さないマクレスを笑いながら、コライトは気になったように問いかけた。

 可憐な白薔薇に酒豪のイメージはないのだが、実際のところどうなのだろう。

「私も、そんなには……。食前酒アペリチフやキルシュを少々たしなんだことがある程度です」

「おー。じゃあ今度一緒に飲……」

「許さないから。さっさとあっちで飲んできなよ」



「あれ~、チェリフィア様だぁ」

 勧誘を秒で切り捨てるマクレスの笑顔に、コライトがすごすご去って行くと、まるで見計らったようにご令嬢方が戻って来た。

 彼女たちは「みんな同じことをしているから」という集団心理がそうさせるのか、どうしても二人の間に入ってこようとする。

 それだけ、マクレスの人気が高いのはいいことだが、気を遣わせ続けることに申し訳なさを募らせたチェリフィアは今、一人で庭を散歩中だ。


「お茶会は良いんですかぁ、チェリフィア様っ?」

「こらキャサラ。客がいるときは声掛けるなって。すいません奥様」

 すると、会場を離れた彼女を見上げ、小人のキャサラが声を掛けてきた。

 低木の間から顔を覗かせた彼女は、一人でいるチェリフィアを不思議そうに見つめている。

「ふふ、ちょっと疲れちゃったからお散歩していたの。それより皆さんはなにをしていたの? かわいい歌が聞こえていたわ」


 軽い身のこなしで肩に飛び乗って来たキャサラと、妹を咎めながらも差し出された手に乗るアントに、チェリフィアは笑顔で問いかけた。

 マクレスに仕える彼らは屋敷や庭の手入れなど、幅広い役目を熟していると聞いていたが、葉が揺れ動く度に見える明るい色に興味を引かれたようだ。

「僕たちは今、庭の手入れをしておりました。精霊たちは魔力エレメントを持つ者の歌に鼓舞されるので、歌いながらの方が美しく成長するんです」

「まぁ。だからこの辺りは明るい色に満ちているのね。とっても素敵だわ」

 アントの説明に周囲を見回したチェリフィアは、楽しそうに笑った。

 小人たちとも打ち解けて以降、彼女は時折こうして、魔法や精霊たちの話を聞いては驚かされている。

 と、褒め言葉に頬を掻いたキャサラは、続けざまに目を輝かせて言った。

「えへへ。じゃあチェリフィア様も一緒に歌いましょっ?」

「……!」



 柔らかく伸びやかな歌が聞こえてくる。

 チェリフィアを探し歩いていたマクレスは、庭の端で小人と戯れる彼女の姿に目を見開いた。

 一般的には魔力を持つ者の歌に反応するという精霊だが、彼女の美しい歌声は風を踊らせ、木々や草花を揺らし、精霊たちを楽しませている。

 きっと彼らは歌が好きなのだろう。

 キラキラと輝く光景は、いつまで見ていても飽きないほど美しい。


「……見かけないと思ったら、こんなところにいたんだね、チェリフィア」

「マクレス様……! 皆様とのお話はよろしいのですか?」

 彼女と周りを彩る精霊たちの姿に感嘆しながら、マクレスは歌う彼女に微笑んだ。

 途端チェリフィアは気遣う仕草を見せていたが、これは彼女のためのお茶会だ。

 主役がいなくては、楽しいわけもない。

「ご令嬢方のことならもう心配ないよ。だから戻ろう? もっときみと楽しみたいな。……それとも、二人きりの方が好き?」

「えっ、えっと……」

 彼女の心配を見透かすように笑い、徐に髪に触れたマクレスは、優しくそう囁いた。

 瞳をのぞき込んでくる彼の口調は、甘く響き、チェリフィアの心を揺れ動かす。

 なんだか、本当に愛を囁かれているみたいだ。

 でも、だからこそ、どう答えたらいいか分からなくて……。


「おい、主役が端でイチャついてんな」

 と、頬を染めたまま惑う彼女とのやり取りを邪魔するように、後ろからコライトの野次が入った。

 半眼で二人を見つめる彼は、呆れと揶揄からかいが滲む表情で笑っている。

 何とも言えない間の悪さ。それに肩をすくめたマクレスは、笑顔のまま宙を仰ぎ、ため息を吐いた。


「……やっぱりお開きにしようかな、お茶会」

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