第4話 それぞれの秘密

 朝日を感じ目を開けると、マクレスの端正な寝顔が間近に見えた。

 サラサラの髪と長い睫毛に彩られた相貌そうぼうは、見惚れてしまうほど美しい。


(……朝?)

 そんな彼の姿をどこかぼんやり見つめていたチェリフィアは、カーテンの隙間から差し込む朝日に気付くと、何度も目を瞬いた。

 つい先程まで、マクレスを待つため談話室にいたはずなのに、どうして朝が来ているのだろう?


「……ん」

 と、状況が分からず身動みじろぎする彼女の傍で、不意に眠っていたマクレスが目を覚ました。

 エメラルドの瞳を開けた彼は、戸惑う彼女を愛おしそうに見つめ、咲笑えみわらう。

「おはよう、チェリフィア」

「お、おはようございます……」

「昨夜は待たせてごめんね。よく眠れたかな?」

(……っ。……もしかして私、談話室で眠ってしまったのかしら? 勝手に待っていたのは私なのに、どうしましょう、お気を遣わせてしまったわ……!)

 優しく髪を撫でる彼の言葉に状況を悟ったチェリフィアは、思わず心の中でひとりごちた。

 妻として、夫を待とうと決めたにもかかわらず、眠った上に運んでもらうなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 だが、そんな彼女になおも笑みを向けたマクレスは、突然こう口にした。


「それにしても驚いたよ。きみが共感覚の持ち主だったなんてね」

「……!」



 共感覚とは、ある一つの刺激に対し、それに対応する感覚と同時に、異なる種類の感覚をも生じる知覚現象のことである。

 その種類は多岐に渡り、文字や音楽に色を感じるなど、多くの例が報告されているという。


「きみはその中でも音に色を感じる「色聴しきちょう」の持ち主のようだね。共感覚は子供に多いと聞くけれど、実際に出逢ったのは初めてだよ」

「……っ」

 寝起きから確信を突く言葉に動揺しながら、着替えや朝食を終えたチェリフィアは今、いつもの談話室で彼と向かい合っていた。

 いつの間にか、昨日したためた資料を手にした彼は、興味深そうに内容を見つめている。


「……すいません。気持ち悪いですよね」

 すると、秘密にしてきた共感覚を指摘され、動悸が収まらないまま手を握りしめたチェリフィアは、恐る恐る呟いた。

 色から感じた情報は、記憶を綴る上では役に立つと思ったが、色が見えるなんて書けば、気味悪がられる可能性は高い。

 だからこそ、資料には書かないようにしていたつもりだったのだが、おそらく無意識に書いていたのだろう。

 チェリフィアにはただでさえ「黒竜侯の娘」というマイナス要素があるのに、これでは絶対引かれたに違いない。

 悲しくて涙が出てきそうだ。

「そんなことないよ。共感覚は人に宿った個性だ。否定なんてしない」

「……!」

「それに、きみの表現はとても素敵だ。黒竜侯は闇夜に落ちた影のような深い色。そして俺は……春の日差しを受けた新緑のような爽やかでみずみずしい色、か。なんだか照れるね」


 しかし、縮こまる彼女の一方、マクレスは笑顔のまま断言した。

 彼の色はいつもと変わらない綺麗なもので、チェリフィアに対する否定的な様子がないことは分かる。

 だが、その代わり、彼が読み上げた色に頬を染めたチェリフィアは、

(嬉しい、けど……っ、私ったらなんてことを………)

「それに、きみは記憶力もいいんだね。黒竜侯の暗躍は大体把握していたつもりだったけれど、ここまで詳細には知らなかった。これで計画も一気に進むよ」

 耳まで真っ赤にするチェリフィアの心情とは裏腹に、じっと資料を見つめたマクレスは、終始笑顔のまま言葉を締めくくった。

 だが、次の瞬間、一転して真剣な表情を見せた彼は、チェリフィアの動揺が収まったところを見計らい、もう一度口を開く。


「さて、じゃあ今度は俺の秘密を教えてあげるね」

「……?」

「風の精霊。アント、キャサラ、ユイア、オングをここへ運んで。怖がらせるといけないから、木の葉の精霊に頼んで乗せてもらってね」

「……!」

 宙を仰ぎ、誰にともなく呟いた瞬間、マクレスの声に応えるように、優しい風が吹いた。

 と、間を置かずして遠くからかすかな悲鳴が聞こえ、薔薇の葉と共に小さな何かがころころとテーブルの上に転がる。

 それはまるで、小さな人のようで……?


「ま、マクレス様。もしかして……」

「フフ、お察しの通り。俺は魔法族の血を引いているんだ」

「!」



 魔法族とは、この世界に数多存在する「エネルギー」という名の精霊たちと、対話する能力を持つ一族の総称である。

 彼らは呼びかけに応じてくれた精霊のエネルギーと、身の内に宿る「魔力」という名のエレメントを掛け合わせることで、様々な現象を起こし、力を発揮するという。

 だが、その異端な力を恐れた人間たちによる魔女狩りの影響で、魔法族は現在、東欧と北欧の一部地域にしか住んでおらず、西欧はもちろん中欧でも見かけることは滅多にない。

 なのに、マクレスが魔法族だなんて……。


「実は、俺の五代前の当主の妻が東欧出身の魔女だったらしいんだ。今まではその能力が受け継がれることはなかったけれど、どういうわけか俺には魔力が宿ってね。驚いたろう?」

 初めて見る魔法に目を見開くチェリフィアを見つめ、マクレスは丁寧に言葉を紡いだ。

 特に上流階級の人間は、自らの規格に当てはまらないものを異端とみなし、蔑む傾向がある。

 それを考慮し、マクレスは今までごく一部の者にしか魔法のことは話していなかったのだが、果たして彼女はどんな反応を示すだろう。

「は、はい。魔法なんて初めてで……驚きました」

「……」

「でも、風の色も木の葉の色もとても綺麗で素敵です……!」


 心の奥に宿る不安を押し殺し尋ねると、チェリフィアは珍しく上気した様子で答えた。

 楽しそうに瞳を輝かせる彼女の姿は愛らしく、不安が霧散していくようだ。

「そう言ってくれて嬉しいよ。きみは人だけでなく、精霊の声にも色を感じるんだね」

「あ、えっと、精霊かどうかは分かりませんが、自然の音にも色を感じていました」

「フフ、じゃあ間違いない。でも本来精霊の声は、魔法族にしか聞こえないはずなんだ。共感覚って不思議で素敵な能力だね」

 魔法を怖がることなく受け入れてくれた彼女に笑みを向け、マクレスは嬉しそうに囁いた。

 お互い人にはない能力を持っているのだと思うと、それだけで一層愛しく感じ、もっと彼女のすべてを知りたくなってしまう。

 だが、彼女の視線がふと机の上に転がる四つに向いたことに気付いた彼は、一つ咳払いをすると、気を取り直して言った。


「彼らは俺に仕える小人たちだよ。魔法族と同じく魔力エレメントを持つ小人たちは、魔法族には友好的みたいでね。気付いたら屋敷に棲み付いていたんだ」

「そ、そうなんですね。小人さんも初めて見ました」

 マクレスの説明にそっと頷いたチェリフィアは、身を屈めると、テーブルの上にいるいきものを恐る恐る観察した。

 十センチくらいの身長に、二頭身という愛らしい体躯。

 声も姿もかわいくて、つい見入ってしまいたくなるような風貌だ。

「マクレス様! 急に風を遣わせるのはナシって前に言いましたよね! 怖いんですよあれ!」

 すると、二人の会話が一段落したことを悟ったのか、不意に灰青色の髪をした少年が大きな声を上げた。

 机の上でぴょんぴょん跳ねながら抗議する彼らは、マクレスに対し四者四用の反応を見せ、文句にも似た言葉を贈っていく。

 と、そんな彼らに笑みを返したマクレスは、話を聞き終えた後で静かに願い出た。

「フフ、ごめんよ。それより、俺の妻に挨拶をお願いできるかな」

「ハッ、これは失礼。僕はアントと申します。ここしばらくは秘かにお姿を拝見しておりましたが、以後僕たちのこともお見知りおきいただければ幸いです」

「私はキャサラと言います。アントお兄ちゃんの妹ですぅ。よろしくお願いしますっ」

「あたしはユイア。こっちはオング。これからよろしくです、奥様」

「……よろしく、お願い、します」


 マクレスの申し出に慌てて居住まいを正した四人は、頭を垂れると、アントを皮切りに右から左へ、チェリフィアに挨拶をしていった。

 アントと妹のキャサラは灰青色の髪に青い瞳をした少年少女で、年齢は十歳前後に見える。

 一方、赤茶色の髪と瞳をしたユイアと、黒髪に紫の瞳をしたオングはもう少し年上だろうか?

 そんなことを思いながら小人たちに応えると、様子を見ていたマクレスは笑顔で言った。

「四人とも俺たちの倍以上生きているから、何でも聞くといいよ。家令とミーナ、ベーゼは小人のことを知っているから話しても大丈夫。あとは、エムリュ(猫)が小人たちで遊びたがるから、一緒にいるときは気を付けて」

「は、はい」

 説明ついでに何気なく小人たちの年齢を明かすマクレスに、彼女は内心驚きながら頷いた。

 どう頑張っても十歳前後にしか見えない彼らだが、不思議ないきものとは、見た目に囚われてはいけないものなのだろう。

 かわいくても、あのモップみたいな猫のようになでなでしないよう気を付けないと。



「さて、これで本当に公爵家の紹介は終わりだね。きみの持つ共感覚、そして俺の魔法。この二つがあれば何でもできるはずだ。必ず黒竜侯を追い詰めよう」

「……!」

 すると、小人たちを見つめ笑うチェリフィアに、マクレスは改まった顔でそう告げた。

 これまでは彼女を守るため、どこにも出さず、計画にも参加させなかったけれど、資料からも分かるように、彼女はきっと共に成すことを望んでいる。

 ならば、マクレスがすべき選択肢は一つだ。

「今まで寂しい思いをさせてごめん。もうきみを一人家に置いて行ったりしないよ。だから、これからも力を貸してくれるかな」


 コライトの指摘と彼女の資料を読み、自らの考えを改めたマクレスは、優しく彼女に願い出た。

 それはチェリフィアにとって、何よりも嬉しい言葉で。


「はい。必ずお役に立ってみせます……!」


 笑顔を見せ、チェリフィアは大きく頷いた。

 二人による黒竜侯への復讐は、まだ始まったばかりだ――。

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