第3話 この薔薇は飾りですか?

「じゃあ行ってくるね、チェリフィア。今日は仕事が終わり次第、公爵家の夜会に出向く予定があるから、帰りは遅くなると思う。先に寝てて」

「はい。お気遣いありがとうございます。行ってらっしゃいませ」


 翌朝、彼の腕の中で目覚めたチェリフィアは、その日以降、公爵邸で穏やかな生活を送っていた。

 日中は仕事、夜は社交と忙しい身であるマクレスだが、彼女には無理をさせたくないらしく、チェリフィアは結局、復讐計画にも社交にも参加はしていなかった。

 確かに、社交界では高頻度で嫌がらせを受けていたものだが、やはりマクレスは妻とはいえ、黒竜侯の娘を連れていくのが嫌なのだろう。

 現状ただのお飾りであることに、チェリフィアの申し訳なさは募る一方だ。


(……いいえ。ネガティブになってはダメよね。もう充分お気遣いいただいているもの。私は復讐計画の一部。それ以上を望むなんて烏滸おこがましいわ……)

 玄関先で彼を見送り、馬車が見えなくなったところで扉を閉めたチェリフィアは、少しだけ寂しそうに俯くとひとりごちた。

 ほんの一瞬前までは、出発前に必ず贈られる「行ってきます」の口づけ(頬)と、端正な彼の笑顔に、胸を高鳴らせていたはずなのに。

 ここしばらくは公爵邸の外にも出ず、一人安寧を過ごしているせいか、どうしても思考が低迷してしまうようだ。

(それより、私も彼のお役に立つ方法を考えましょう。守られてばかりではいられないわ。私は、彼の妻なんだから……!)



 自らの感情をいさめ、談話室へと戻ったチェリフィアは、静かに思案を巡らせた。

 穏やかな風が入る談話室は静かで、チェリフィアと、横で丸くなる大きな猫以外誰もいない。

 このモップみたいな(と言ったら失礼だが)猫はマクレスのペットで、今ではチェリフィアにも懐いている長毛種だ。大きなモフモフはかわいらしくて、つい撫でてしまいたくなるほど愛らしい。


「失礼致します。奥様、ハーブティをお持ちしました」

「……!」

 すると、そんな彼女の元に、しばらくしてナルミーナが顔を出した。夕日のような柔らかいオレンジ色を向ける彼女は、チェリフィア気遣うように、お茶とお菓子を用意してくれる。

 と、その姿にあることを思いついたチェリフィアは、礼と共にこうお願いした。

「ナルミーナさん。私に紙とペンを用意していただけないでしょうか?」

「紙とペン、ですか……?」


(……この方法ならきっとお役に立てる。私にはのだから)

 意外な顔をするナルミーナに再度願い、それらを用意してもらったチェリフィアは、さらさらと筆を走らせながら、ひとりごちた。

 なんて、マクレスに知られたら気味悪がられるかもしれないけれど、万人にはない感覚だからこそ、分かる情報もたくさんあるだろう。

 理由はどうであれ、選んでくれた彼のためにも、自分だけの方法で役に立ちたい。

 そう願い、チェリフィアは色と共に培った記憶を、綴っていった。



 墨を溶かした空に星が輝く夜。

 仕事を終えたマクレスは、予定通り公爵家の夜会に参加していた。

 シャンデリアが煌めく大広間には、当主や夫人、ご令嬢方といった多くの貴族が集まり、思い思いに会話を楽しんでいる様子だ。


「おー。マクレス! 遅いじゃあないか、来ないかと思ったぜ?」

「やあコライト。悪いね、思ったより仕事が長引いてしまって」

 すると、テールコートに身を包んだ麗しき「すいの貴公子」の登場に女性陣がざわめく中、一人の青年がマクレスに声を掛けて言った。

 この貴族とは思えないフランクな口調で話す青年は、主催であるロカウィリス公爵家の嫡男コライト・ロカウィリス。

 マクレスが七歳のときに出会った十五年来の幼馴染みだ。

「へぇ~、珍し。お前でも仕事に手間取るんだ。俺ぁてっきり……」

「……!」

 そう言って楽しそうに笑うコライトの言葉に笑みを見せていたマクレスは、不意に後ろから聞こえてきたざわめきに気付くと、何気なく振り返った。

 と、そこにはオールバックにした黒髪に濃い黄色の瞳をした男がいて、彼は周囲の貴族たちを威圧しながら、広間の奥へと進んで行く。

 そんな彼を見つめるマクレスの瞳に、怒りに似た感情が過った。


「げ。黒竜侯だ。相変わらずおっかねぇなあ。あんなのが父親とか白薔薇ちゃん可哀想……」

 すると、マクレスの視線に気付いたコライトは、身を震わせると、思わず呟いた。

 たとえ相手が侯爵だとしても、目を付けられるのだけは避けたい相手だ。

 だが自分の発言に思うことがあったのか、コライトは続けざまに辺りを見回して言った。

「って、そういや最近白薔薇ちゃんいねぇよな。なんかあったのかな?」

「ああ。彼女なら俺が嫁にもらったよ」

「………………は?」


 コライトの何気ない質問に対し、怒りを治めたマクレスはさらりと呟いた。

 なんだか当たり前みたいに話しているが、初耳すぎて目が点になる。

「今ごろ家でのんびりしていると思う。早く帰って会いたいなあ」

「……」

「明日は彼女とゆっくり過ごしたくて仕事も休みにしてきたし、ちょうど今の時期なら……」

「ちょちょちょ、ちょっと待て。お前、嫁って言ったか? 嫁!? なんだそれ、まじか。じゃあなんで連れて来ないんだよ。白薔薇ちゃんに会いたいぞ」

 放心する彼を置き去りに、一人でうきうきと話し出すマクレスを慌てて止めたコライトは、戸惑いながらも不思議そうに問いかけた。

 嫌がらせばかり受けていたせいで彼女には自覚がないものの、チェリフィアの美しい姿に秘かに心惹かれていた貴公子は多い。もちろんマクレスもその一人だが、コライトの質問に真面目な顔をした彼は、一つ間を置いた後で堂々と言った。


「家にいた方が安全だろう? 社交界ここには、黒竜侯のせいで彼女に嫌な目を向ける連中や不埒な輩も大勢いる。だから守らないと」

「いやヤンデレか!」

 大真面目な顔で理由を語るマクレスに、コライトは思わず突っ込んだ。

 彼の恋愛観を聞くのは初めてだったが、思わぬ発想につい呆れてしまう。

 すると、意味が分からないといった顔で小首をかしげるマクレスに、コライトは肩をすくめながら続けた。

「ったく、ヴィオレちゃんっていう美人婚約者がいながら白薔薇ちゃんに一目惚れしてる時点でまーまー不純だが、その上その発想はマズイぞお前」

「何を言っているんだ。俺は純にチェリフィアを愛しているよ。眠る彼女を抱きしめる度、理性が危うくなるほど愛おしい」

「そうじゃねぇ。……が、まあいい。よく聞けマクレス。守ると閉じ込めるは同義じゃないぞ。光を遮られた薔薇はいつか枯れる。お前が本当に彼女を守りたいなら、どこにいようと守ってやれ。お前の能力ちからがあれば可能だろう?」

「……!」

社交界デビューデビュタントから三年、彼女はいつだって表舞台に出ていた。嫌がらせを受けるのが嫌なら閉じこもることだってできたのにしなかった。その意味を考えるんだ」


 互いに恋情がなかったとはいえ、婚約者がいる身でなにやってんだ。という意味での発言に対し、なぜか惚気出したマクレスを見つめ、コライトは本題を提示した。

 公爵邸で一人過ごす彼女の心情を的確に指摘した言葉に、マクレスはしばらく黙り込んでいたが、やがて彼はコライトに目を向け、静かに呟く。

「……流石、女性をこよなく愛する男は、女の子のことをよく分かっているんだね。もっとも、誰彼構わず愛するせいで三度も離縁しているから、説得力は半減だけど」

「三度目はまだギリギリしてねぇ! 仕方ねぇだろ、蝶が花に惹かれるのは宿命だ。白薔薇ちゃんだって父親が黒竜侯でなきゃ、寄って行った蝶は数知れずだろう。何なら俺だって……」

ハタき落とす」

「笑顔で怖えこと言うな! ともかく、早急に考えを改めるんだな。せっかく一目惚れの恋を成就させたんだ。枯らして後悔しても薔薇は元に戻らないぞ」



(チェリフィアはもう寝ているだろうな……。あぁ今すぐ抱きしめたい)

 コライトの忠告に頷いたマクレスは、最低限の社交をこなすと、早めの帰途に着いていた。

 使用人の計らいで公爵邸には明かりが点いているものの、時間的に彼女は寝ていることだろう。

 本当ならすぐにでも謝罪して愛を語りたいものだが、それは明日までお預けだ。


「……!」

 そんなことを思いながら公爵邸前で馬車を降り、談話室の扉を開けたマクレスは、途端飛び込んできたチェリフィアの寝顔に、大きく目を見開いた。

 時刻はとうに真夜中を過ぎ、普段なら寝室にいるはずの時間だ。にもかかわらず、こんなところで寝ているなんて、考えられる選択肢は一つだ。


「俺を、待っていてくれたのかな?」

 起こさないように気を付けながら、マクレスは彼女に近付くと、その寝顔に囁いた。

 物書きをしていたのか、チェリフィアが座るソファの前にはたくさんの紙とペンが置かれ、長い時間ここにいたことが伺える。

 やはりコライトが言うように、寂しい思いをさせていたのだろう。

 そう思うと申し訳ないのだが、それ以上に自分を待っていてくれた彼女の行動が嬉しくて、愛しくてたまらなかった。

「……ありがとう、チェリフィア。愛してるよ」

「……むぅ」


 ソファで眠る彼女を抱き上げ、マクレスは柔らかい頬に口づけた。

 夢の中で何かを囁く彼女は微笑み、その手から、一枚の紙が零れ落ちる。


「これは……」

「……」

「そうか。そういうことだったんだね。きみは本当にすごいな。流石俺の白薔薇だ。目が覚めたら、今度は俺の秘密も教えてあげないとね」

 そう言って、チェリフィアがしたためた内容に笑みを見せたマクレスは、不意に宙を仰いだ。

 そして、聞く者などいないはずの宙に、優しく言葉を投げかける。


。彼女が書いたこの資料、俺の書斎に運んでおいてくれるかな」


 ――途端、閉め切られた室内に柔らかい風が吹いた。

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