第2話 白薔薇と貴公子

(はわわ……私がマクレス様の妻……。なんて名誉で、なんて畏れ多いことかしら……)


 あくどい手法でいくつもの名家を没落させ、暗躍する黒竜侯への復讐を果たすため、美しき公爵の妻となる道を選んだチェリフィアは今、ようやく呑み込んだ現実に頬を赤く染めていた。

 たとえこれが、彼の復讐計画の一部だとしても、貴族社会この世界で好きな人と結婚できるなんて、夢を見ているかのようだ。


「……屋敷の説明はこんなところかな? 後は使用人の紹介を……っと、なんだか顔が赤いけれど、一気に説明して疲れちゃったかな? 少し休憩する?」

「あっ、いえ……大丈夫です」

 ふわふわとした気分のままマクレスと共に屋敷を巡り、再び談話室へと戻って来たチェリフィアは、振り返った彼の不思議顔に、慌てて表情を改めた。

 誰に対しても分け隔てなく優しい彼にとって、気遣いくらい当たり前のことかもしれないけれど、亡くなった母と世話係のメイリー以外、チェリフィアに優しくしてくれる人なんて皆無だったせいか、どうしてもどきどきしてしまう。

 しかし、どきどきの原因であるマクレスは、小首をかしげながら、笑顔を見せて言った。

「そう? ならいいけれど…何かあったら必ず俺に言うんだよ?」

「はい。ありがとうございます」


(はああ…なんてお優しいのかしら……。でもでも、気をしっかり引き締めるのよ、チェリフィア。マクレス様は父への復讐のために私を選んだだけ……! さっきはかわいいなんて言ってくれたけれど、絶対にお世辞なんだから……!)

 精一杯の笑顔で彼の気遣いに応えたチェリフィアは、秘かに両手を握りしめると、強く自分に言い聞かせた。

 復讐のためだけにめとった妻が、実はずっと自分に好意を懐いていたなんて知ったら、マクレスは嫌がるかもしれない。

 なんせチェリフィアは彼が復讐を目指す「黒竜侯」の娘なのだから……。



「じゃあ紹介するね、チェリフィア」

 マクレスが呼んでいた使用人が到着したのは、それからしばらくのことだった。

 気付かれないよう深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせていたチェリフィアは、彼の声と共に姿を見せた四十代くらいの二人に目を向ける。

 すると、そんな彼女を見つめながら、マクレスは二人をこう説明した。

「まず、彼女はメイド長のナルミーナ。主にきみの身の回りのお世話を任せようと思う。そして彼はベーゼ。執事長でナルミーナの夫だよ。何かあれば遠慮なく言うといい」

「お初にお目に掛かります、奥様。普段はミーナと呼ばれております。よろしくお願いします」

「ベーゼと申します。お目に掛かれて光栄です」

「よ、よろしくお願いします」

 マクレスの紹介に合わせ頭を垂れる二人に、チェリフィアはぎこちない様子で言葉を返した。


 メイド長だというナルミーナは、夕暮れ時の太陽のようなオレンジ色が印象的で、ベーゼも深い海のような落ち着いた色がよく似合う。

 だが、普段メイリー以外の使用人と話すこともほとんどなかったせいか、チェリフィアは彼らへの態度に惑ってしまったようだ。

 すると、それを察したナルミーナは、笑顔を浮かべて言った。

「奥様、突然の出来事に戸惑いもございましょう。ですが、ここはもうあなたの家。我々は誠心誠意仕えさせていただきますよ。何なりと仰ってくださいね」

「……ありがとうございます」

(……この家の人たちはみんなが綺麗ね……。だから、きっと大丈夫よ)



 邸内と使用人の紹介を受けたチェリフィアはその後、マクレスとの庭園散策や、十数年ぶりとなる一人じゃない食事など、幸せな気持ちのまま時間を過ごしていった。

 唐突な招待を受け、突然結婚という事態になったにもかかわらず、公爵家の人々は、部屋も服もすべてを用意してくれた。

 元々はマクレスの婚約者であったヴィオレを迎えるために準備していたものらしいが、その割には趣味やサイズがぴったりで驚いてしまう。

 だがヴィオレは確か、チェリフィアよりも幾分背が高かったような……?

(……いいえ。深く考えるのはよしましょう。マクレス様のご厚意を邪推するなんて失礼だわ)


「かわいいね。とてもよく似合ってる」

「……!」

 ラベンダーで香り付けしたお湯を頂き、疑問を霧散させながらお風呂を終えたチェリフィアは、途端後ろから聞こえてきたマクレスの言葉に、さっと頬を赤らめた。

 フリルとリボンを施したフワフワのネグリジェは、チェリフィアの白い肌と白銀の髪も相まって、正に白薔薇の如し。

 だが、こんな格好を男の人に見せる経験など皆無だったせいか、彼女は妙に狼狽うろたえた様子だ。

「ま、マクレス様……えっと、ありがとうございます」

「フフ。チェリフィアは白が似合うね。髪も素敵だし。……っと、そうそう。寝室の場所をまだ伝えていなかったと思って迎えに来たんだ。一緒に行こう」

「え」

 頬を赤く染めたチェリフィアを真面目に見つめ、マクレスは続けざまに彼女を誘った。

 先程屋敷を回った際、自室として使っていい部屋を案内されたはずだが、寝室って……?

「おや、俺たちは夫婦。何か不都合な点でもあるのかな?」

「――!」



(し、しし寝室って……。確かに私、妻になるって言ったわ。でもでも、マクレス様は父に復讐したいから…それで協力をって……だから、形だけだと……)

 マクレスからの予期せぬ提案に、耳まで染めたチェリフィアは、躊躇いがちに彼の後ろを進むと、公爵邸の三階にある一室へ足を踏み入れた。

 室内には、チェストやサイドテーブルのほかに天蓋付きの大きなベッドが置かれ、いかにも夫婦の寝室といった装いだ。


「今日は色々あって疲れたろう。ほらおいで」

「ええっと、は、はい……」

「大丈夫。何もしないよ。……もちろん、きみが望むなら考えるけどね」

 すると、入室したきり扉の傍でもじもじ俯くチェリフィアに、マクレスは悪戯っぽく笑って言った。手招きを繰り返す彼の表情は穏やかなままで、本心だと理解できる。

 だけど、いきなり寝室を共にするなんて……。

「……っ」

 幾度かの逡巡の末、覚悟を決めたチェリフィアは、そっと足を踏み出した。

 一歩ずつ距離を縮める姿は、もらわれてきたばかりの猫のようで愛らしい。

 と、その姿に笑みを零したマクレスは、

「フフ、なんだかうちの猫が初めて屋敷に来た日を思い出すね」

「猫……?」

「ああ、そう言えば今日は見かけなかったね。あの子臆病だから。それよりほら、早くおいで」


 時間をかけてゆっくりと近付き、緊張した面持ちでベッドに足を掛けたチェリフィアは、どきどきしたままころりとシーツの上に転がった。

 柔らかなシーツを敷いたベッドはふかふかで、素敵な夢が見れそうな寝心地だ。

 だが、隣に想い人がいるのだと思うと、気恥ずかしくて眠れる気はしなかった。


(こここれが夫婦……)

 友達も恋人も通り越した夫婦という関係に、チェリフィアは目を瞑ると心の中で呟いた。

 心臓の音がやけにうるさくて、マクレスに好きな気持ちがバレてしまいそう。

 すると、そんな彼女を見つめたマクレスは、笑顔のまま問いかけた。

「フフ、そんな端っこにいなくてもいいのに。灯りを消してもいいかな、チェリフィア」

「大丈夫です……」

「ではおやすみ。よい夢を」

「はい。おやすみなさいませ、マクレス様……」


(――今日は本当に、色んなことが起きた一日だったわ……。突然結婚だなんて驚いたけれど、マクレス様の…お傍にいられることを、喜ばないと……。そして、復讐のためとはいえ、選んでくれた彼のお役に、立ちたいなぁ………)



 くぅくぅとかわいらしい寝息が聞こえてくる。

 灯りを消して十分余り、そっと隣に目を遣ったマクレスは、眠る彼女を見つめ胸を撫で下ろした。

 随分緊張した様子を心配していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。


(そう言えば首…痣になっていなくてよかった。彼女を確実に手に入れるためとはいえ、少々演出過多を反省していたんだ。あまりの愛らしさに口づけまでしてしまったしね)

 胸元まで伸びた柔らかな白銀の髪を纏い、ふわふわのネグリジェに身を包んだ彼女に手を伸ばす。月明かりが淡く照らす姿は得も言われぬほど美しい。

 そんな彼女を起こさないよう気を付けながら、マクレスはそっとチェリフィアを抱きしめた。

 暖かなぬくもりを包む彼の表情は愛しさに溢れ、髪を撫でる手はとても優しい。

 だが、その瞳に強い意志を宿したマクレスは、心の中でひとりごちた。

(……これで泥闇に咲く愛しき白薔薇は手に入れた。後はあの男の息吹をどう消し去るか……。だけど、何があろうとチェリフィアは守りたかったんだ。なぜならこれは、一目惚れの恋だから)


 抱きしめる手にほんの少しの力を込め、マクレスは過去のある日を思い出していた。

 それは三年程前。チェリフィアが突然社交界に姿を見せたあの日、初めて見た愛らしい姿に、マクレスは一瞬にして心を奪われた。

 相手は黒竜侯の娘――つまり、自分が今最も目の敵にしている相手の娘だ。

 だが彼女は清廉潔白な薔薇のように愛らしく、父親や周りの貴族たちに疎まれても気丈に振る舞う強さを持ったご令嬢で。

 いつの日か、侯爵の暴挙を立証し、あの男を追放したいと思っていたマクレスは、その前に必ず、泥闇に咲く美しい白薔薇を守りたいと願った。

(……なんて話をしたら、ヴィオレは笑っていたっけ。彼女もずっと隣国の貴公子を慕っていたし、そろそろ彼女の両親に本当のことを話さないとって言っていた矢先の出来事に、後悔しているのも本当だけれどね……)


 笑みの中にほんの少しの寂しさを浮かべ、マクレスは妹同然だったヴィオレに心の中で謝った。

 ここまで上手くことを運べたのは、あの一家の死があったからだ。

 でも、だからこそ……。


「チェリフィア、これから先何があろうときみを守るよ。俺の愛しい白薔薇」


 願いを込め、マクレスは眠る彼女に囁いた。

 応える寝息は優しく響き、夜の空気に溶けていく。


 こうして、互いに一方通行な夫婦の夜は、静かに更けていった――。

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