第1話 招待状に導かれ
「招待状、ですか?」
「ええ。メイリーが置いたものではないの?」
春の日差しが、
ここは、西欧と東欧の狭間に位置する国・ブランヴェーヌ王国。その王都に建つノアルージュ侯爵家の屋敷だ。
そんな住む者の威厳を表すようにどこか重く、荘厳な雰囲気が漂う屋敷の一室で、少女は一通の招待状を前に、首をかしげていた。
「ついさっき部屋に戻ったら、これがテーブルの上に置かれていたの。だからてっきり、あなたが置いて行ったものかと……」
そう言って、白銀の髪に淡いレモンイエローの瞳をした少女――チェリフィアは、招待状と書かれた封筒を持ち上げると、困ったように呟いた。
窓辺のお花に水をあげるため、彼女が部屋を離れたのは数分だった。
その間に
「いいえ、私ではございません。ちなみに、差出人はどなたなのですか?」
「それが……ベルグリア家のマクレス様なの。今日か明日、早いうちに屋敷を訪ねてほしいと」
「……!」
左の頬に手を当て、小首をかしげるチェリフィアに問うと、彼女はさらに困った顔でその名前を口にした。
ベルグリア家と言えば王家直系の公爵家で、現国王は当主マクレスの大伯父にあたる存在だ。
それに加え、若くして家督を継いだ彼は、周囲から「
「きっと、マクレス様が私をご招待くださるのは、私が黒竜侯の娘だからよね……。マクレス様とお父様はここ数年、何度も意見の衝突を繰り返しているし、話の内容も察しが付くわ」
「しかしお嬢様…お嬢様は、先日召されていたお風邪がようやく完治したばかりなのです。もう少しお時間を頂けるよう、お願いしてみてはいかがでしょうか?」
肩を竦め、それでも準備をしようと立ち上がるチェリフィアに、メイリーは心配の眼差しを向けて提案した。
チェリフィアの父親であるノアルージュ侯爵は、あくどい手法でいくつもの名家を没落させ、のし上がって来たような男だった。
それこそ今では、竜に睨まれたが最期と云われるほど、王国に多大な影響を与える侯爵だが、そんな彼のやり方に毅然と否を突きつけ、正そうと動いて来たのがマクレスだ。
この招待には十中八九父が絡んでいることだろう。
「相手は公爵様よ? 侯爵の娘である私に選択肢なんてないわ。……それに今、お父様のせいで没落した企業と名家は私が知っているだけでも五十を超えた。今日明日でなんて呼び出しを考えると、なおさらね。準備を手伝ってくれる?」
「……っ」
ガラガラと車輪の鳴る音を聞きながら、大通りを進む。
メイリーの反対を押し切り、淡いピーチカラーのドレスに着替えたチェリフィアは今、王宮からほど近い場所に建つベルグリア公爵邸へ向かい、馬車を走らせていた。
窓辺から外を眺める彼女の
だけど、侯爵家の娘として、公爵の招待を断れるわけがなかった。
(……誰だって、怒りの
その途中、行きがけにすれ違った父の姿を思い出したチェリフィアは俯くと、心の中でひとりごちた。
彼女の父である侯爵は、生まれてこの方、チェリフィアに興味を示したことがなかった。
親子だなんて形だけで、娘が黒竜侯の毒牙に掛かった貴族たちの憂さ晴らしの標的にされていても、気になど留めず、暗躍を繰り返す。
そのせいで、この間もワインを掛けられ風邪を引いたというのに、名ばかりの父の影響で被る被害は、このまま永遠に続くのだろうか――。
「不躾な招待を快諾いただき感謝申し上げるよ。ノアルージュ嬢」
心に
青年は、春の日差しを受けた新緑のような柔らかさを湛え、馬車を降りる彼女に笑いかける。
すると、丁寧に挨拶を返すチェリフィアを招き入れたその青年――翠の貴公子ことマクレス・ベルグリアは、彼女をソファに勧めながら愛想よく言った。
「堅苦しいのはやめにしようか。俺のことはマクレスと呼んでくれて構わない。俺もきみをチェリフィアと呼ぶことを許してくれるかな?」
「え、ええ。大変光栄ですわ」
談話室のソファに向かい合う形で腰かけ、優しい笑顔で問う彼の言葉に、チェリフィアは一瞬、虚を突かれたように目を瞬いた。
社交界で度々お姿を拝見したことはあれど、こうして彼と言葉を交わすのは初めてだ。なのに、いきなりファーストネームを許されるなんて、予想していたものとは違う展開に、つい戸惑ってしまう。
だが、柔らかな声音に頷くと、マクレスは表情を崩さぬまま本題を提示した。
「ではチェリフィア。きみが呼ばれた理由に察しは付くかい?」
「……父が関係していることはなんとなく」
「その通り。正確にはきみの父親とセジョンヌ家についてだ」
「……!」
柔らかな声音に影を滲ませ、マクレスはその家名を口にした。
セジョンヌ家と言えば、つい一週間前、父が潰してやったと高らかに笑っていた侯爵家だ。
あまりにも愉快そうな父の姿に、チェリフィアは恐怖すら覚えたものだが、マクレスがその名を出すなんて、一体どんな繋がりがあるのだろう?
「実を言うとね、セジョンヌ家のヴィオレは俺の子供のころからの婚約者だったんだ。だけど彼女は黒竜侯の毒牙に掛かり、家族と共に命を絶った」
「……!」
「苦しかったろうな。救ってやれなかったことを、今でも後悔しているよ」
そう言って、強張った顔をするチェリフィアの疑問に答えた彼は、
エメラルドの瞳には婚約者に対する憐れみが宿り、呟く声にも憂いが滲んでいる。
それに気付いたチェリフィアは、何も言えずにただ彼を見つめ返した。
これが自分を呼び出した理由なら、この後の展開には察しがついてる。だが、あまりにももの悲しげな声色に、どうすることも出来なくて……。
「だから俺は復讐するよ。あの男に、ノアルージュ家に……!」
「……っ!」
そう思った瞬間、宙を仰いだマクレスは突然彼女を押し倒すと、グッと首を絞めてきた。
力強い手にチェリフィアは息が詰まったけれど、目の前で首を絞めてくる彼の声は、あまりにも切ない。まるで、冬枯れの大木に取り残された小さな木の葉のようだ。
(……婚約者のための復讐。ヴィオレ様は幸せね……。それに私も、好きな人に殺されるなら…いい人生かしら……。どうせ私は「黒竜侯の娘」という運命から逃れられないのだから……)
諦めたように目を閉じ、チェリフィアは抵抗もせずに心の中で呟いた。
いつかこんな日が来ると思っていたせいか、死に対する恐怖はない。
だけど。
「……!?」
「抵抗しないのはよろしくないね。きみの命は他でもないきみだけのものだ。もっと命は大事にしないとね」
不意にチェリフィアの唇に柔らかいものが重なり、手の力を緩めた彼から贈られたのは、優しい口づけだった。
突然の出来事にチェリフィアは頬を染め、彼をまっすぐに見つめ返す。
すると、微笑みながら彼女を抱き起こしたマクレスは、続けざまにあることを提示した。
「俺の目的は黒竜侯への復讐だ。だからそのために、俺の妻となって協力してくれないかい?」
「え……っ」
(つま……? 妻って、え……?)
「大丈夫、きみの父親からは血判をもらっている。後はきみが頷くかどうかだよ」
「……!」
袂から血判付きの署名を取り出し、それを提示するマクレスに、チェリフィアは混乱すると、瞳をおろおろとうろつかせた。
今日は父が最も目の敵にしている麗しの公爵に呼び出され、何を言われるかと憂いて来たのに、首を絞められ、口づけの次は結婚の申し出……?
だけど彼は今さっき、父とノアルージュ家に復讐するって……。
(そっか……。分かった。これもきっとマクレス様の復讐のひとつ。私は侯爵家の一人娘だもの。嫡子を嫁に出せば侯爵家はそこで終わる。だけど、あっさり血判を押す当主って、どうなのかしら……)
マクレスとの結婚を認める旨を記した書類に、何も思わず署名と血判を押したであろう父の姿を容易に想像しながら、チェリフィアは書類を提示する彼をもう一度見つめ返した。
当主の許可があるのなら、この結婚はもう決定事項も同然だ。
それに、チェリフィアはずっと、秘かにマクレスのことが好きだった。直接話したことは一度もないし、いつも遠目からその美しい姿を見つめるのが精一杯。
だけど、優美な仕草が、洗練された雰囲気が、いやでも彼女の心を惹く。
それはこの国に住まう多くのご令嬢がそうだった。そのくらい、彼の妻の座は誉だ。
だが、この結婚はあくまで、マクレスが描く黒竜侯への復讐のひとつ。きっと、愛されることはないのだろう。
それでも。
「……分かりました。マクレス様がお望みくださるならば、あなたの妻として、父への復讐をお手伝いいたします」
たとえこの結婚に愛はなくとも、彼の婚約者を死に追いやったのは自分の父親だ。
なけなしの罪滅ぼしだとしても、協力する以外の選択肢はチェリフィアにはない。
それにこれは、彼女が望み続けてきた“別の場所へ羽ばたく”転機だ。
父が拡げ続ける泥闇から、新しい場所へ飛び立つ最初で最後のチャンスを、逃したくはなかった。
「ありがとう。では必ずあの男の暴挙を止め、復讐を果たそう」
「はい」
「あとはチェリフィア、きみを大事にする。かわいい妻ができて嬉しいよ」
「……!」
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