6話 ありふれた事務所の話
厚地はホワイトボード前、定位置に立っていた。
「…明日は休みですか」
当然、厚地にも休みはある。
ホワイトボード前に棒立ちしていると一人のつなぎ姿の若い男性が近付いてきた。
「厚地先輩、新しいトイレのデザイン案を相談しても良いですか?ここのカラーなんですけど、グリーンとオレンジで迷ってて」
厚地は入社四年。甘栗も含めると六人の後輩がいる。彼もその一人だ。事務作業、設計作業、製造作業に全く関わっていない厚地だが、後輩に頼られることもある。
「緑と橙ですか?俺なら橙色にしますね」
「分かりました。グリーンにします。ありがとうございました」
「お役に立ったようで」
厚地のデザインセンスが壊滅的なのは社内周知の事実であり、反対を選べば良デザインになると知られていた。ちなみに、ダンジョンに潜るときに着ている私服もダサい。
訊いてきた彼に悪気はないのだが、MND:Aの厚地の心にダメージを与えた。
「先輩、私最近Us Tubeでダンジョン動画を見るのにハマってまして」
自分の席に座り、次の
「先輩、私またダンジョンに行きたくなってきました」
「一人で行けば良いじゃないですか。自分で武器防具揃えて、自分のレベルに合った階層で闘う分には、運動になる良い趣味だと思いますよ。お金はかかりますが」
「先輩も行きましょうよ!」
「面倒なので。甘栗さん、電話ですよ」
「へーい」
甘栗が電話対応に戻り、厚地の話し相手はいなくなった。
厚地が「抹茶は確定として、鰻か…」と呟いていると、肩にポンッと手が置かれた。
振り返ると、水瀬水洗のつなぎを着た丸顔の男性が立っていた。社長だ。
「おはようございます、社長」
「おはよう、厚地くん。ちょっと時間良いかな?」
「はい、大丈夫です」
普段は、甲にモラハラしようと、甘栗と軽口叩き合ってようと、黙認してくれる社長がわざわざ話しかけてきたのだ。厚地は大事なことなのだろうと、姿勢を正した。
「何でしょう」
「厚地くん、水瀬水洗の公式アスチューバーに興味は無いか?体も顔も映さなくていい、なんなら、声も出さなくていい」
「公式アスチューバーですか…」
想像していなかった言葉に固まる厚地。それもそうだろう。周りの社員の「なぜ厚地に!?」という視線が集まっている。
「質問良いですか?」
「もちろん」
「なぜ私なのでしょう?私が暇そうだからという理由ならば、そもそも公式チャンネルなど作らなければ良いじゃないですか?会社は黒字でしょう。十分に仕事は入っているのではないですか?」
少し間が空いた。
「私的な理由で申し訳ないのだが、孫に公式が病気が面白いと言われてな」
「公式が病気?」
盗み聞きしていた社員の頭にもハテナが浮かんでいる。
「知っているか?公式が病気。一般市民ではない、公式企業が全力でふざけるというものなのだが」
「それは存じています」
「厚地くんなら、面白い動画を作れると思ってね」
「そうですか」
孫を自慢する祖父のようにニコニコで答える社長。つまり爺バカか、と断りやすくなりほっとする厚地。しかし、社長の声色が変わった。
「それとね、この公式チャンネルは利益のために始めるのではない」
「と、言いますと?(流れ変わったな)」
「厚地くんは水瀬水洗株式会社は一般人にはどう思われていると思う」
「「どこ?何してる会社?」じゃないですか?」
甲が「おい!」と厚地の失礼な回答に思わず声を出す。
「正直で結構。では、探索者にはどう思われていると思う?」
「七不思議ですかね」
「どんな形でも記憶に残るのなら良いことだ。私はね、どんな定着の仕方だろうと沢山の人に水瀬水洗という会社を知ってもらいたいと思っている」
「どんな定着の仕方でも、ですか」
「そうだ、どんな定着でも、だ。
例え話をしようか。一人の芸人がいたとしよう。彼は芸名を気に入っていた。だから名前を広めたかった。彼は手っ取り早くSNSに手を出した。彼はTikTakで歌声がブレークし、彼はTikTakの人と有名になった。なら、それで良いじゃないか。
彼の場合は、ただ芸名を気に入っていたという理由だが、私の場合は、皆と作り上げてきた大切な財産の名だ。様々な人に知ってもらいたいじゃないか」
断りづらくなったな、と視線を外す厚地。
「私がうすつべを始めて、視聴回数が伸びなかったらどうします?」
「うす…ああ、アスチューブが伸びなくてもこれまでと変わらないだけさ」
「では、公式チャンネルで炎上してしまったらどうします?水瀬の印象を悪くしたら?利益どころかマイナスですよ?」
「水瀬水洗では他の企業にはできないダンジョンのトイレ設置という特色がある。ギルドが他に頼むところなんて無いさ」
「それって俺頼りってことですよね。炎上直後に俺がダンジョンで死んだらどうします?他企業に寝返ったら?」
「…すまない。アスチューブの件は軽い提案のつもりだったのだが、考えが足りなかったようだ。そもそも君にしかできないこととはいえ、この会社は君に頼りすぎだな」
会社全体が静かになった。
甘栗は電話対応を終え、受話器を置き、厚地に「めっ!」と話しかける。
「先輩、テキトーな言い訳並べてないで、やったら良いじゃないですか。先輩は死なないし、寝返りません」
「それもそうですね」
「それに、面白い動画作るって楽しそうじゃないですか?」
「そうですが、編集も面倒ですし」
「厚地さんは動画を撮るだけで良いんですよ。後は後輩達に丸投げすれば」
甘栗がグリーンくんを指差した。グリーンくんは「僕ですか!?」と慌てる。
「先輩は動画を撮るだけで臨時収入ゲットです!」
「そうですね」
厚地は社長に向き直る。社長は厚地に頼んだことを後悔し始めていた。
「公式が病気と言われるような動画を撮るのに、俺はうちの会社で一番適している自信はあります」
「そうか」
「炎上もダブルチェックすれば基本大丈夫でしょう。生配信もしませんし」
「では」
「この話、承けましょう」
「おお、そうか。ありがとう。追加でしっかりボーナスを出すよ」
「それは編集の甘栗にお願いします」
「私ですか!?」
突然話題に上がり、厚地の顔を見る甘栗。編集をしなくていいと分かり、安堵するグリーンくん。
「臨時収入ゲットですね。これでソロダンジョンも行けますね」
とにかく一緒にダンジョンに行きたくない厚地。
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昨日投稿するつもりだったんですけど、間に合いませんでしたね。
しばらくの間、他の小説や夏休み課題のため、この作品は更新ストップします。(結構ネタ切れですし)
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