第8話 森さんが変じゃない?

「ふん、ふん、ふーん」

軽い鼻歌を口ずさみながら、上着のパーカーを脱ぐ、衣擦れの音とともにずり落ちるパーカー、すると彼女のきめ細やかで透き通るような白い肌があらわになる。そして下の半ズボンのゴム紐に手をかけたとき脱衣所のドアが勢いよく開いた。


「姉ちゃん、お友達が来たよ!!」

「ちょっ勝手に開けないで!!!」

とっさに洗濯機の上にあったバスタオルで自分の体を隠す。

「何恥ずかしがってんのさ、今更姉ちゃんの裸見たところで毛深いゴリラにしか見えないのに」

「おい弟の癖に生意気だぞ!それ以上余計なこと言ったら殺すからな!」

目の瞳孔をガン開きにして弟を威嚇するものの、その威嚇をものともせずに飄々とした口調で弟は続けた。

「やってみやがれゴリラ野郎、つーかそんなことより姉ちゃん友達!」

「あ、そうだった、そうだった」


慌てたようにさっき脱いだパーカーを着直し、脱衣所を後にする。


(でも優香が何も連絡しないで来るなんて珍しいな)


彼女、森房菜の中で女の子の友達と言えるのは優香しかおらず他の選択肢などとうに消えていた。


「ごめんね、待たせちゃって、って·····」

「やっほっー久しぶり森さん」

「狩野、さん·····」


彼女にとって思い出したくもない記憶の中にある人間、狩野京子がそこにいた。


夜中であるにも関わらず目がくらむほどに明るい金色の髪、青色の派手なカラーコンタクト、下着が見えるのではないのかと思うくらい捲られたスカートを履いたその女は嫌味ったらしい笑みを浮かべながら口を開く。


「なんで、狩野さん、が·····」

「ねぇ森さん、明日さ前に行ったカフェに行くんだけど来ない?」

「え、なん、え?」

「じゃあそういうことだから、絶対に来てよね」


狩野京子は房菜からの返答など聞きもせず身を翻し、玄関から足を外に出した。


「·····絶対にね」

「っ!!!」


狩野は声に出してなどいない、口をそう聞こえるように動かしただけ、それだけなはずなのにその行為は房菜が身を強ばらせるには十分だった。


「明日、か·····」


房菜はため息をつく、以前狩野の誘いに乗ってしまった彼女は明らかにはぶられてしまい嫌な思いをしている、気分が憂鬱になるのは当たり前だった。


玄関の戸を閉じた後俯きながら廊下を渡り、リビングに入る。

「どうしたの姉ちゃん、そんな浮かない顔してさ」

その姿を見た弟である森康太は姉を心配してかそう声をかけた。

「なんでもない·····」

「そんな顔しといてなんでもないわけっ!」

「なんでもないんだよ」

「っ!!」


突き放すようなその物言いに康太は思わず口をつぐむ。そんな弟を尻目に姉である森房菜は部屋に戻るため階段を登っていく。


「このバカ姉貴」



最近、森さんの様子がさらにおかしい気がする。前はちょっと口下手な人なんだと思ってたくらいなんだけど、今はなんかもう普通に変な人だ。

「このバカ兄ちゃん!!いい加減そこどいてよ!うちテレビ見たいんだけど!」

「え、あ、悪い」

「全くもう」

ぼーっとしすぎてたな、妹(村田舞)に怒られてしまった。


「·····兄ちゃん、なんかあったの?」

「え?あ、なんもー?」

舞は俺がどいた後のソファーにどかっとジジイみたいに座りソファーの背もたれから首をひねり射抜くような瞳で言ってきた。


「·····ここ座って、テレビ見ながらでもいいなら話聞いたげるから」

ポンポンと隣に座りなさいとでも言われているようなその雰囲気に釣られ流れるように隣に座った。


「で?何があったのさ」

「··········」

座ったはいいもののこの悩みを舞に言うことなんてできない、気になる女の子の話なんて、恥ずかしくて出来るわけない!


「·····私さ、空手やってるじゃん?」

喋ろうとしない俺に気を利かせてか急に口を開いた。


舞は栗色の前髪を捻りながら前かがみになり中学生女子空手全国大会の生配信を食い入るように見る。

「·····ほら今礼をした人いるじゃん?」

「あの高橋選手か?」

「そうその高橋選手にね、私負けたの」

「·····そうか」


なんだ突然、気まずくなっちゃうだろ。


「別に今となってはどうでもいいことなんだけどね、高橋選手は試合に負けた私に"弱いなお前"って言ったんだ」

「なんだそれ、感じ悪いな」

「ははっ、そうだね」

舞は乾いた笑みを零した後に続ける。


「じゃあさ、なんでこんな話す必要も無いことを兄ちゃんに話したと思う?」

「?、なんでさ」

「"家族"だからだよ」


躊躇いもなく少し恥ずかしめの言葉を吐く妹に瞳孔が大きく開いた。


「家族なら隠し事なしで行こうじゃないか」

「なんか、時々お前のこと妹じゃなく姉に見えるんだが·····」

「うししっ、姉御って呼んでもいいぜ!」

口角をあげて可愛い八重歯を見せる舞に安堵したためか俺はいつの間にか悩みを打ち明けていた。


そしてすぐさま打ち明けたことを後悔した·····。


「ギャハハッ!恋って、ばっ、ギャハハッ!」

腹を抱えて笑い涙を多量に流していた。

「·····笑うなよ」

「ごめんごめん」

目に浮かべた涙を人差し指で拭ってからもう一度座り直す。


「いやいや笑った笑った」

「なにがそんなに面白いんだ」

目を細めて若干声のトーンを下げて威圧するように聞いても舞は飄々ひょうひょうとした姿勢を崩さない。

「そりゃ兄貴の恋愛なんて面白いに決まってるでしょ」

「たくっお前に相談したのが間違いだったよ」

おもむろにソファーから立ち上がり台所に置いてある俺専用のコップを片手に持ち、水道の蛇口をひねって出てきた水道水をコップに貯蓄させ喉に流しこむ。


そんな俺を見てか「まぁまぁ落ち着いてよ」と前置きをした後に舞は続ける。

「でも兄ちゃんは恋の進展とか望んでないんだっけ?」

「ん?まぁそうだな、俺は相手が傷付かない恋愛をしたいのでな」

「はぁ、嘘だね」

「………嘘じゃない」

舞のため息と共に出たその言葉によって俺の心臓が跳ねた。


「兄ちゃんは自分が傷付きたくないだけでしょ?」

「………」

その言葉に反論できず苦し紛れに水を飲みほした後のコップを台所に置く。

「”自分が傷付かないため”にという理由を隠すための建前で”好きな人を傷つけない”という理由を立ててるだけでしょ?」

「それ、はっちがっ」

ちっぽけなプライドを守ろうとあまりに情けない声が上ずった返答をする。


「兄ちゃんさ、前に好きな人ができたときその人に付き合ってる人がいたって私に相談してきたじゃん、その時の私はあんま恋愛について詳しくなかったからいい返答はできなかったけどさ、あの後その好きな人にどんな対応した?」

「………遠ざけた、傷つけたくないから」

「馬鹿、それが余計相手を傷つける行為だって気づかなかったの?」

「………気づいてたよ、当たり前だ」

「ほら答えもう出てるじゃん、兄ちゃんは相手を傷つけたくないと言いながら恋愛から逃げてるだけなんだよ」

「そう、かもな」

もう口答えする気も起らなかった。


「別に今すぐ臆さずに恋愛に立ち向かえ、なんて言ってないよ、ただ兄ちゃんが抱えているその恋にだって色んな意味があるんだってことを知ってほしいだけ」

「それはどういうことだ?」

「そうだねー」

舞はいたずらっ子のような笑みを浮かべて口を開く。

「恋愛には人を傷つけてしまう意味があるかもしれないけれど、それと同時に笑顔にしてくれる意味だってあるんだ、兄ちゃんはまだ思わず笑顔になるような恋愛をしてないだけ、私はねそれを知ってほしいんだ」

「………笑顔になるような、恋愛」

それはどうやったらできるのだろう、舞が言ったことの意味は分かったがまだ具体的な施策が思いつかなかった。


「そしてこれは私のアドバイスなんだけど、兄ちゃんが一歩を踏み出せばその恋はさらに進展すると思うよ、進展すればきっと笑顔になれるさ」

「その根拠はどこから来んのさ」

「うーん、勘かな?」

「勘かよ」

「頑張ってね、恋する兄ちゃん、ししっ!」

「うるせぇよ」

無邪気に笑うその時の舞は年相応に見えた。そしていつの間にかリビングにあった張り詰めた空気はきれいさっぱりなくなっていた。



舞と話した次の日の学校で俺は珍しく早めに学校に来ていた。


俺から話しかければ進展する?笑顔になる?本当だろうなぁ妹よ


信じきれないながらも謎の説得力のある妹の言葉に突き動かされた俺は今日初めて自分から森さんに挨拶をしようと思う。


まぁ別に森さんから挨拶されたことも無いんだが·····


「おはよう森さん」

通常通りのトーンでの挨拶。


「おっはよっ森さん!」

ちょっと軽快気味の挨拶。


「おはよ、森」

キザっぽい挨拶。


「俺のもんになれよ森」

Sっけのある挨拶·····


「って!これは挨拶じゃねぇよ!」

誰もいない教室で勝手に練習台にしていた用具入れを叩く。


「·····どうしよう上手く挨拶できるかな」


不安に駆られ机に突っ伏してしまう。


「うわ〜マジで学校だるいわー」

「無くなって欲しいよなー」


「うわっちょっ昨日のめめ見た!?えぐかっこよくない?」


やばい続々と人が登校してきた、多分もうそろそろ森さんも·····


「うぉ!森さん来たぞ」


教室にどこにいても聞こえてくるようなうるさいキンタマの声を聞いて俺は飛び跳ねるように教室の入口の方を見た。


「あ………」

そして席に座ろうとしている森さんと目が合った。綺麗な茶色の瞳が揺れ動いたのが目に見えてわかった。


だせ、だせ、声にだせ、たとえ相手をいやな思いにさせてしまったとしても

「森さん、おはよう………」

声にできたのは今までの練習は一体なんだったのかと思うほどのあまりに普通の挨拶、それでも俺にとっては精一杯の言葉だった。


「お、おはよ!!」

「うおっ」

挨拶を聞いた森さんが肩をいからせて突然大きな声を出すものだから椅子をがたつかせるほど驚いてしまった。


「あ、ごめん、ちょっと声大きかったね」

「あ、うん」

森さんは頬を赤らめながらいそいそと席に座る。


「··········ねぇ村田君」

「な、何?」

がやがやと騒がしい教室の中にあって森さんの囁かな声だけが不思議と耳に入ってきた。


「挨拶してくれて嬉しかったよ」


意味深なんかじゃない真っ直ぐなその言葉を発した森さんの顔は少し微笑んでいて、思わず俺の口角も上がってしまった。


「··········」


嬉しいことは嬉しい、けどそれと同時に感じた違和感があった。


"森さんが変な人じゃない"


別にそれは悪い事じゃないんだがそれでも、その時の森さんは森さんではないような気がしたんだ。


「森さ·····っ」

「ん?」

「いや、なんでもない」

「そっか、なら良かったよ」

普通な人、返答も普通、行動も至って変なことは起こしていない。


それが少し嫌だった。

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意味深な森さんと意味ありげな恋をする @rereretyutyuchiko

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