第49話:口止め

 薄いベージュの、薄いカーテン越し。雪でも積もってるのかと思う眩さが病室を満たす。

 裾から漏れた光は銀色で、さあっと窓を開け放したくなる。右脚を巻く固定具が「お散歩にでも出かける気?」と皮肉に笑って、返せるのはため息だけだったが。


 浴衣とガウンの間みたいな、ペラペラの入院着が心許ない。寒気がするのは、ゆうべの熱のせいかもしれないが。

 同じく、全身が気怠いのも関係あるだろうか。手も指も足も、どこを動かしてもいまいち力が入らなかった。


「おはよ。調子どう?」


 午前十時過ぎ。面会時間になって間もなく、明さんが病室の扉を開けた。自身が通れるギリギリ、滑り込むように部屋へ入る。


「傷の痛みと別に、あちこち筋肉痛みたいな感じで――って。何かあったんですか?」


 明さんのパンツスーツは見慣れているが、今日はお葬式にも行けそうな真っ黒。あり得なくもなかったが、「ううん」と横に首が振られた。


「朝から気分悪くさせるんだけど、会って話してほしい人が居てさ。入ってもらってもいい?」

「え? ええと、そのほうがいいってことですよね。明さんが言うなら」


 嫌な予感というか、トビを連れてきたのだと思った。もちろん会いたくはないけれど、明さんが居るなら。抵抗する自分の首を騙し騙しに頷かす。


「ごめん。ありがと」


 明さんが謝ることはない。「いえ」と答えた時には、振り返って戸を開けていた。廊下側へ顔を出し、外の誰かを呼ぶ。


 入ってきたのはカモ。就活のリクルートスーツでも出してきたような、濃紺の上下。ご丁寧にショートの髪をヘアピンで留め、頭を下げても形が崩れない。

 そのカモが脇に避け、続いて入ってきたのはトビでなかった。

 膝がテカテカの紺色スーツを着た男性。黒と白が半々の撫でつけた髪。あたしやカモと同じくらいの背丈に、二回りほど大きな四角い顔。


「あの、どなたでしょう?」


 三歩の距離で足を止め、膝に手をつけての深々とした礼。あたしの母よりきっと歳上の、ちらほら小ジワの目立つ顔に見覚えはない。


「鴨下露美つゆみの父親でございます。ホテル カモシタと、幾つかの物件で商売をさせていただいております」

「ああ……」


 なるほどとは思うものの、なぜ来たかは分からなかった。トビの父親と言うならまだしも、カモはあたしの入院と関係ない。


「このたび私共の従業員、鳶河揚子あきこがとんでもないことをしでかしたと。またその前には育手様ともいざこざを起こし、今回は逆恨みによるようだと理解しております。お間違い、ないでしょうか」

「え、いや、はあ。間違ってはないと思いますが」


 何が起こっているのか、あたしの枕元へ立った明さんに視線で助けを求めた。が、見返して頷くだけ。


「それで、でございますね」

「はあ」

「本当に恥知らずで身勝手な言い分ではありますが、一つお願いを聞き届けていただけないかと。本日はこうして頭を下げに参りました」


 言い分とは何かを聞かないまま、そんなことを言われても返事に困る。また「はあ」と繰り返しで、自分がバカみたいだ。


 しかしそれをきっかけに、病室の入口辺りに居たカモが進み出る。提げていた真っ白の紙袋に手を突っ込み、紫の風呂敷包みを丸椅子へ置いた。

 カステラかな。四角いシルエットが、そう思えた。カモの手がサッサッと風呂敷を解くまでは。


「これがすぐに用意できる精一杯でございます」


 先ほどよりも深く、社長の鴨下さんが頭を下げる。無言のまま、娘のカモも。

 あたしが神棚か何かに居て、捧げ物でもするみたいだ。丸椅子の、白い帯の掛かった一万円札の束が三つ。

 見合うご利益は持ち合わせない。


「えっ?」


 どういうことか。また明さんを見上げたが、返事は「うん」だけだった。


「こ、こ、こんなの。私、貰えません!」


 仕方なく、自分の口で言う。わけが分からない。貰う理由がない。理由があったとして、何だか怖い。


「そう仰らず、お納めください。受け取っていただけないと、こちらも困り果てます」

「そんなこと言われても」


 全く届かない札束を両手で煽いだ。あっちへ行けと。


「私共、信用で成り立つ商売をしております。今回のことがよそへ流れた場合、立ち行かなくなります。ですから、いけしゃあしゃあととお怒りはごもっともですが、口止め料としてお受け取りをどうか」


 鴨下さんの頭がまた下がった。これ以上、いやこれ以下は土下座しかない。それでむしろ、どうしても受け取れないとあたしも思う。

 力いっぱい、ぶんぶんとかぶりを振るつもりだった。粘土の詰まったみたいに重く、力も入らない首はのろのろとしか動かなかったが。


「鴨下さん。見ての通り、彼女は身動きもできない状態なんです。半月もすれば退院ですけど、そのあとに日常生活もままならない。治療代の他に、ヘルパーを手配するお金も要求します」


 頼んでない。望んでない。誰が言ったかと窺うのも白々しいが、声のした方向を見る。そこにはもちろん明さんしか居なくて、言い終えた唇を真横に引き結んで睨む。


「も、もちろん。ご希望であれば、私の知った派遣を紹介しましょう。そのほうが行き届くし、精算の立て替えも必要ない」


 腰を折ったまま、鴨下さんは顔を上げた。パッとこぼれた笑みに汗がにじんで、かわいそうだ。


「どう、穂花ちゃん? あの人たちの手配じゃ信用できなかったら、私が探すけど」

「し、信用できないなんてことはないです」


 でも、と続けようとした。その前に明さんまで腰を折った。「お願い」と言いつつ、鴨下さんに負けない低さで。


「治るまで、私が手足になったっていい。だけど穂花ちゃんは、それじゃあ気が休まらない。ならいっそ、プロに頼んだほうがいいと思った。もちろんその上で、買い物でも何でもやる」

「だ、大丈夫ですよ。実家に帰れば」


 明さんには手が届く。肩に触れ、起きてほしいと力を篭める。

 ビクともしない。


「休まらないでしょ? 穂花ちゃんに我慢させて、いつか治って。良かったねなんて私には言えない。またうちの店に復帰してもらって、一緒に楽しく働きたいの」

「そんなことないですよ。帰ったらお母さんも居るし」

「うん、ごめん。昨日、お会いしたからこそ言ってる」


 それからも三人がかりで。正確にはカモはずっと黙っていたが、泣き出しそうなのを必死に堪えていた。

 とりあえず頭を上げてください。この場ですぐ、うんとは言えないと答えた。何日か考えさせてくださいと、お金も持ち帰ってもらった。

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