第38話:女帝と両翼

「で、先に教えといて。何で私のこと分かったの? 裏切られたみたいなことトビに言われても心外だし」


 完全に、自分は無関係という言いぶり。暇さえあれば運転席から振り返り、まるであたし達の仲間と言いたげに「ねえ」とニヤつく。

 たしかにカモには、直接は何もされていないけど。


「そっちの都合は知らないって」


 誰もあたしをなど見ていない。しかしきっぱりとした明さんの声に、頷かずにはいられなかった。


「でもまあ、うちのカフェにも防犯カメラくらいあるよ」

「ふーん。じゃあやっぱり、私らが一緒に居るって知ってたんだね」

「さあ? 顔面の塗装が凝りすぎてて、私の知り合いと同一人物かいまだに自信がないけど」


 鋭い舌打ちをして、カモは喋らなくなった。それでも明さんはルームミラー越しに睨み続ける。

 あたしは言うべき言葉も思いつかず、ミラーに映らないよう縮こまった。明さんが一緒でなければ、今すぐにもドアを開けて飛び降りたかもしれない。


 川沿いの道を十分ほど。橋を渡り、対岸をまた同じくらい戻る。同じ区内だが、あまり来たことのない界隈。ただし目指す建物は、どこと説明されずとも分かった。

 ホテル カモシタの文字。大きな電球でぐるり囲った看板は、昭和だなぁと思う。こちらはラブホ通りでなく、川を見下ろすその一棟しか見当たらない。


 軽自動車はホテルの裏へ回り、あちこちアスファルトの割れた駐車場に止まった。

 車を降りると、カモは何も言わずに歩き始める。どうもホテルでなく、隣の建物に。ホテルと比べれば半分以下の小さなビルだが、入り口に鴨下ビルとあった。


 一体、幾つを持っているのか。そんなお金持ちが、どうしてあたしなどを構うのか。

 気持ちの悪いモヤモヤが、お腹の底へ溜まっていく。


「もしもし、トビちゃん。交代できる人、居る? 隣の事務所に来てほしいんだけど。用? 会いたいって人が居るの」


 鴨下ビルの一階が、出発前に言っていた事務所らしい。電話機の載った事務机とキャビネット、応接セットとミニキッチンがあるだけの。

 その電話でトビを呼び出し、「すぐ来るから」とカモはお湯を沸かし始めた。

 お茶を淹れるならあたしが。と立ち上がりかけ、明さんに腕を引かれる。それはそうだ、当たり前だ。分かっているが落ち着かない。


 五分ちょっとで、トビはやって来た。事務所の扉を開けるなり、嘲笑めいて「誰かと思えばハシイちゃん」と。

 あたしはソファーに座った自分の膝を見つめ、さざめく感情を抑えるのでやっとだ。


「ついでに、あんまり見たくない顔もあるけど」

「あら? 覚えてくれてるんだ」

「そりゃもう。我らが経営サークルの女帝、明様だもの」


 あたしが無反応だったからか、トビは明さんに矛先を向けた。女帝なんて言いながら、対面のソファーにどかっと偉そうに座る。


「ふーん。じゃああんたらもまだ、ダブルウイングとか名乗ってるわけ?」

「な、名乗ってるわけないでしょうが!」

「いや怒られても、先に言ったのはそっちだし」


 前のめりに怒鳴るトビに、明さんは淡々と言った。湯呑みを手で覆い、暗に唾を飛ばすなという風に。


「まあまあトビちゃん。わざわざ来てくれたんだし、用件くらい普通に聞いてあげたら?」


 トビの前にも湯呑みを置き、カモは並んで腰掛けた。


「じゃあ、お言葉に甘えて。でも先に言っとくね、これボイスレコーダーだから」


 たっぷり含んだお茶をゴクッと飲み込み、明さんは胸ポケットを指さした。そこには銀色の、ボールペンに似た何かが刺さっている。

 ダブルウイング――トビカモから文句は無かった。密かに唾を飲み込む気配はあったけれど、望むところというように鼻で笑う。


「それで穂花ちゃん。わけ分かんないと思うから、説明しとく」

「は、はい」

「この二人は私が行ってた大学の同期で、同じ経営学部、同じ経営サークルっていうのをやってた」

「経営サークル?」


 空になった湯呑みをテーブルに置き、明さんは腰を上げる。「お代わり貰うね」と勝手に、ミニキッチンの急須へ湯を注ぐ。


「単に机の上で勉強するだけじゃなく、実際に何かやろうって奴。私達は喫茶店をやってたの、大学の近くに物件も借りてね」

「学生のうちから、凄いですね」

「そうでもないよ、言い出しっぺはここに居る三人の誰でもない。もう一人、育手蔵人って男だから」


 店長も知り合いなんだろうな、と何となく予想していた。だからさほど驚きはしない。


「というわけだけど、ここで私には分かんないことがある」


 揺れるたび、注ぎ口から水滴のこぼれる急須をそっと運んで、明さんはあたしの隣へ戻ってきた。

 用件を話せと言われたのに、従うつもりはないらしい。「何がですか?」と、先を促すあたしもあたしだが。


「卒業して七年も経てばね、顔なんて変わるわけ。さっきも言ったけど、化けるのに手が込んでくるのは私も同じ。なのにどうしてこの二人は、すぐに私のことが分かったのかなって」


 七年と言えば、あたしが明さんを見てきたのと同じ時間。

 言うほど変わった?

 自問してみると、カッコよくなったと身贔屓な返答で当てにならない。


 しかしトビカモの二人は顔を見合わせ、無言の会話を繰り広げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る