第五幕:背中を照らして
第34話:今に至る道すじ
「どうして来てくれたんですか」
自動販売機の光の中、彼は丸坊主の頭を撫で回した。その様子を斜め四十五度で見上げ、きつく締められたネクタイに触れる。
「俺の知らないところで、端居さんが困ってたら嫌だと思って。俺が知ってても、何も助けにならないかもしれないけど」
「それでカフェに?」
「うん。行ってみたら端居さんの言った通り、まごまごしてても平気だったね」
言いながら、頭を撫で続ける。スーツもネクタイも、今ここへ居てくれるのに必要だったに違いない。
平気だった、わけがない。
「この間は、逃げ出してすみません」
「いや、うん、全然。ビックリしたけどね」
「何だか私、変なこと口走っちゃって」
「大丈夫」
目の前へ居るのに、あたしがネクタイを見ているのと同じく。出島さんは自分の目の高さをまっすぐ見ていた。
「真地さんに聞いたから」
「――どんなことを?」
「サインペンを踏まれたって。端居さんがしばらく口も利けなかったって」
「あはは。まあ、はい」
あたしの前で言ったのと、さほど違わない。申しわけないし恥ずかしいが、二度目となると苦笑くらいはできた。
「カッコ良かったって」
「え、真地さんが?」
「うん、真地さん」
どういう風の吹き回しだろう。そもそも全くカッコ良くないし、あの人はあたしをバカにしていたのに。
先ほど帰り際の「しっかりー」だって、振り幅の大きな気紛れと思っている。
「で、俺の本心を教えてもらった」
「出島さんの?」
「俺の知らないところで端居さんが困ってたら嫌だ、って。いい友達だね」
「真地さんがそんなことを」
まさか。しかし出島さんが嘘を吐くとも思えない。首を捻らないよう苦心しながら、真地さんの意図を考える。
「それで考えて、気づいた」
カクッ、と彼の首が折れる。
不意打ちだ。そんなにじっと見下ろされては、「はい」としか言えない。
「端居さんが相談してくれたことを、俺の知る範囲で答える。俺みたいなおっさんが、それ以上に深入りしたって仕方がない。というか失礼って思ってた」
そんなことはない。まだ途中と分かるから声に出さないけれど、必死に首を横へ振った。
「端居さんも、俺にとってはカフェだったんだよ。どうしていいか、どこまで話していいか知らない。俺から関わっていくことは迷惑としか思わなかった」
もう一度、さっきよりも強く首を振った。ブンブンと耳元で風が鳴るくらい。
「迷惑なわけないです。でも私も、頼りすぎちゃダメかなって思うこともあって。出島さん、結婚してるかもしれないし。迷惑かなって」
「けっ、けけ、結婚? してないしてない!」
あたしに輪をかけて強く、彼の首が否定の方向に回った。「できるわけない」と念押しされたのにはムッとしたが、差し引きでホッとした。
「最初に話した時。個人的なことは自分で判断できるようになるまでするなって、言ってくれましたよね。私、出島さんになら話しても、いえ話したいです」
「俺も。できるなら端居さんのことを教えてほしい」
あたしのことだ、先にあたしが頷いた。すると彼も頷き、「座ろうか」と。プラケースを並べてくれる間に、アップルティーと缶コーヒーを買う。
「父と、母と、弟が居ます。と言っても私は一人で住んでるんですけど。父は電気工事の職人さん? で、詳しいことは知りません。母はスーパーのパート」
どこまで話していいか。家族のことは、あたし自身の話とは違う。
だけどある程度は言わなければ、やはりあたしの説明にならない。
「たぶん世間的に、あまり裕福じゃないです。狭いアパートに四人で、弟も大きくなったので私が家を出ようと思って」
「自分から?」
「そうです。弟はバスケットボールをやってて、全国大会にも行って、けっこう有名らしいですよ。おかげで就職も決まったとか」
椅子代わりのプラケースを、ピッタリ付けて並べた。プライベートな話を、大きな声ではできないから。
というのは彼への言いわけで、距離の近いほうが安心できる。
「端居さんは? 部活とか、何か続けたことってある?」
「私は何かあったかなぁ。小学校も中学校も料理部だったけど、その時に食べたい物をみんなで作って遊んでただけな気がします」
本当にあたし、何をやってた?
こうして思い返しても、行き着くところがなかった。あたしの年表を作るとしたら、修学旅行などの学校行事しか項目がない。
「強いて言うなら、ここのカフェです。高校二年から七年やってるので」
「完全にベテランだね。一人暮らしの為の準備とか?」
「最初は三万円ずつ、母に渡してました。それでも残ったから、結果として準備になったけど」
あれ、どうして三万円だったんだっけ。働き始めたのも明さんに出会ったからで、両親を助けるのが理由ではなかったのに。
「凄いよ、本当に。親へ返すなんて、俺はいまだにできてない」
「いえ、そんなんじゃないです。今もどうして一人暮らしを始めたんだったかって、思い出せないし」
「弟さんの為?」
それはそう、と頷く。でもさっきほど、自信を持てない。
「私、なんで家を出たんでしょう。母にお金を渡して、喜んでくれたのは間違いないけど。それなら一人で住む必要はなかったのに」
「例えば通勤が不便だったとか」
たしかに。カフェから近い高校まで、実家からよく通ったものだ。
「私立高校は余計なお金がかかるから、公立に行けって。だからこのカフェを見つけられて、今住んでるところは、通勤に近いです」
ああ、そうだ。思い出した。
あたしが渡したお金を、母は弟に渡した。正確には遠征費か何かを集める封筒に入れて。
「違います。私、大翔のことも好きで、応援してて」
「えっ、端居さん? うん大丈夫だよ、落ち着いて」
傾けていたコーヒーを、出島さんは落としかけた。そっと足下へ置き、彼はあたしの肩に触れる。
「ごめんなさい。話が飛んじゃいましたね」
「大丈夫だって。だいぶ前のことだし、ゆっくり教えてくれればいいよ」
家族の間でマズいことがあった。きっと出島さんはそう思って、優しく言ってくれる。
だけどそうじゃない。すっかり忘れていてあたしも戸惑ったが、違う。
「ほんとに違うんです。バスケットの靴とか、道具代も弟は出してもらってて。あたしは稼ぐ側で。弟にはやりたいことがあるんだから、それで良かったんです。一つずつ叶っていくのが、あたしも嬉しかった」
彼の手に、あたしの手を重ねる。
「だけど、それはそれとして。なんであたしは、この家に居るんだろうって。どうしてあたしには、大翔みたいなものがないのかなって」
ぎゅっと力を篭めると、彼の手がひっくり返った。あたしの手を、何も言わずに強く握ってくれる。
「ごめんなさい、意味が分からないですよね」
「分かるよ。何もかもじゃないけど、端居さんが強くて優しいのは。俺と同じで、かなり不器用っぽいけど」
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