第12話:特効薬はない

「たいていどこの降ろし先でも時間が指定されてて、早くても遅くてもいけないの。近くで待つのも近所迷惑だからダメって言われるし」

「運転手さんて、どんどん運べばいいんだと思ってました。運べば運ぶだけ給料も上がるのかなって、単純に。けっこうシビアなんですね、すみません」


 体力的にはきつくても、内容は簡単というイメージしかなかった。いや、そう言ってさえ知ったかぶりだ。

 申しわけないような恥ずかしいような気持ちで、小さく頭を下げる。


「知り合いでも居なかったら、みんなそれくらいの認識と思うよ。俺も自分が運転する立場じゃなかったら、絶対に知らない」


 全然だよ。そう、パタパタ手を振る出島さんはすぐに「それでね」と話を戻した。


「高速道路のインターチェンジを降りるのに、遠い所と近い所と使い分けて調整するんだ。降りてすぐに渋滞してたら地獄だけどね」

「あっ、なるほど。うまく考えられてるんですね」


 早く着くようなら、遠いインターチェンジで降りる。サービスエリアでの休憩を長くするのでもいいかも。


「うん、俺が考えたんじゃないけどね。会社の指示なんだけど、それがまた問題で」

「問題。うーん、何ですか?」


 ほとんど、考えるフリで言った。ちょっとは考えようとしたけれど、答えの候補が全く浮かばない。


「どんなに頑張っても、遅刻しそうってことはあるんだよ。高速の前とか、乗ってからでも渋滞なんかはあるからね」

「それはまあ。だからそういう時、近くまで高速を使うんじゃ?」


 倣って、同じ言葉を使ってみる。気恥ずかしい感じもあるけれど、彼の話を理解しやすくなるかもしれない。


「そうだよ。でも財布を握ってる人からしたら、どこかでサボってたんじゃないかって疑いたくなる。どういう走り方をしたか記録する機械もあるんだけど、それでもね」


 出島さんはずっと、小さく穏やかに笑っていてくれる。ちょくちょく恥ずかしそうに目を逸らし、自動販売機の照らすアスファルトに向くが。

 でも、おかげで話しやすい。ただ「サボってたんじゃ」と言う時にだけ、彼はしかめ面を作って見せた。


「ええ? 自分の会社の人なのに、そんなこと疑うんですか」

「みんなが端居さんみたいならいいんだけどね。実際、仕事の途中で彼女のとこへ行ってた人とか居たらしくて」


 それなら仕方がない。反射的に「ああ……」と呻いた。

 彼女と会いたいのは当然だろうけど。財布を握っている、会社の偉い人からすると堪らない。

 でもそれで、関係のない出島さんまで疑われるのも納得はしにくい。


「す、すみません。出島さんには迷惑なルールなのに」

「ううん、経営者がリスクを考えるのは当たり前だよ。同情してくれた端居さんには悪いけど」

「いえ私は」


 たった今、聞きかじっただけで傍観者ですらない。だから悪くなどないが、出島さんは納得していると言ったのだろうか。

 それならなぜこの話を?

 首をひねるあたしに、彼は頭を搔いて言った。


「どうかな。ちょっとだけ似てるとこがあるかと思ったんだけど」

「似て、ますか?」


 何と何が。

 あたしの相談に対しての話だったはず。トラックの運転と、不倫の噂が似てる?

 考えながら、「うんうん」と柔らかく笑ってくれる彼に悪いと思う。察しの悪い自分が。


「ええと相談したのは、やってもないことを噂されるっていう……」


 そこから反復か。なんてツッコまれそうだけど、口に出してみる。


「あ、同じかもです」

「同じではないけどね。端居さんの友達は、誰かに嫌がらせされてるんだから」


 やってもいない悪事を疑われ、無実の証明が難しい。そう表せば、二つの話はそっくり同じだった。

 あたしの嘘まで繰り返されたのは後ろめたいけれど。


「いえ、その。そういう時、どうしたらいいと思いますか」

「いやそれがね、特効薬みたいな方法はないんだよ。俺には思いつかない」


 大げさでなく、前のめりに聞いた。危うく腕に、つかみかかるところだった。

 出島さんも、まあまあ落ち着けという風に両手のひらを見せる。


「そう、ですよね。そんなのどうしようもないですよね」


 対処法がないのは仕方がない。まして出島さんのせいではない。聞くだけになってもいいなら、とまで彼は先に断った。

 それなのに、声が落ち込む。出島さんのせいにしているようで、それ以外になくて嫌だ。

 だけど取り繕おうとした「大丈夫です」まで、半分以上が声にならない。


「ちょ、ちょっと待って。ごめん、どうしようもないとは言ってないよ。頭痛にすぐ効く、みたいなのは無理って言っただけ」

「え、じゃあ?」

「呑気なことをって𠮟られそうだけど、そういうのならあるよ。漢方薬的な」


 気遣うと手を差し伸ばすのは、きっと出島さんの癖だ。それをあたしは、いつの間にか握っていた。ぎゅっと両手で。


「はっ、はっ、はじっ、端居さん!」


 今までで一番の大声を聞いた。この暗がりでも分かるくらいに真っ赤な顔をして。


「あっ、ごめんなさい!」

「いや、うん。謝ることじゃないよ、全然。可愛げもないおっさんが照れただけ」


 慌てて手を引っ込める。彼はと言えば咳込んで、次に話すのには数分の時間が必要になった。


「――ごめん、もう大丈夫」

「すみません」

「全然だってば。あの、それでね、俺のやってることだけど」


 また謝るあたしに、話を戻させまいと早口になったらしい。それが何だか面白くて、うやむやにしておくことにした。


「トラックの点検とか、車庫の掃除とか、できることは自分らでやるんだけど。みんな一斉にやるわけじゃないから、部品の予備がなくなっても報告しないとか、古いのを置きっぱなしにするとか。言っちゃ悪いけど、適当なことする人も居る」


 あれ、また別の話が始まった。しかし必ず理由のあるはず、そう信じて黙って待つ。


「目についたら、俺が片付ける。誰が悪いでもなく、金網が破れてるのを直すとかも」

「それって、自分の仕事が終わった後ですよね。かなり手間な気がしますけど」

「うん、終わった後。だけどそうでもないよ、毎回一つか二つしかやらないし」


 出島さんを見つめても視線を逸らすだけで、強がりかどうか分からなかった。彼の仕事場である運送屋さんの敷地を見ても真っ暗で、やはり何も。


 真っ暗?

 気になって、闇を見通す心持ちで眺める。が、どこにも灯りが見えない。きっと会社を出たばかりの彼がここへ居るのに。

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