初めての彼女とソファの端

「わ、私がボーカル!?」

「うん、それなら玲奈さんにも出来るかな、って」


 玲奈さんが退院し、朝見あみ流星すすみとはまだ少し気不味い空気感ではあったけれど、学園祭の演奏に向けて練習するために、俺たちは俺の家へと集合していた。


「良いと思うけど、でも、玲奈って歌えるの?」

「無理無理無理! カラオケでも、全然うまく歌えなかったし……」

「そうなの? 玲奈さん、何でも出来そうなイメージあったけど、歌が弱点なんだね」


 星座むすび流星すすみが玲奈さんに詰め寄る中、朝見あみは俺と距離をとってソファの端で膝を抱えていた。


「でも確かに、玲奈にギターを弾いてって方が無理だし……私が特訓するよ! 歌は自信あるし、ちゃんと教わって来たから練習の仕方も知ってるよ!」

「そうだね。ねえ玲奈さん、この機会に練習してみない?」

「う、うぅ……確かに、まあ……練習、してみようかな」


 玲奈さんは曖昧に笑いながらも、力強く頷いてそう言った。もちろん、今まで練習して来たギターを披露したかったのだろうし、人前で歌うのは初めてになるだろうから、心配なことは沢山あるんだと思う。

 

「玲奈さんは歌が下手なんじゃないと思うよ。声も綺麗だし、出し方をしっかり星座むすびに教えて貰えば、すぐに上手に歌えるはず。だからちょっと、頑張ってみてくれる?」

「うん、頑張ってみる。出来ること、少ないよりは多い方がいいもんね」


 少し緊張の和らいだ様子で笑った玲奈さんに星座むすびが迫る。


「じゃあさじゃあさ、早速練習しようよ!」

「え、い、今から!?」

「そうだよ玲奈さん、思い至ったが吉日だよ! らい兄、部屋借りるね!」

「分かった。好きに使ってくれていいぞ。玲奈さんも、頑張ってね」

「う、うん! って、星座むすび、引っ張らないでよ!」

「善は急げだよ!」


 星座むすび流星すすみが玲奈さんを連れて慌ただしく去って行った後、この場に残されたのが俺と朝見あみだけであることに気付く。

 声をかけようとして、喉元で詰った。何て声をかけていいのか分からなかったからだ。


 謝るのも、違うと思う。だからと言ってもう一度決意を告げるのも、少し違う。時間が解決してくれるのを、祈るしかないのだろうか。

 今更そんな弱気でいいのだろうか。


 実に、一分程互いに動かず、無言のままで時間が経った。


 先に口を開いたのは――


 以前の問題。先に動きを見せたのは、朝見あみだった。


 おもむろにソファを立ち上がり、ゆっくりとした歩調で、顔を背けながら俺の方へと寄って来る。


「あ、朝見あみ?」


 問いかけても、返事はない。ただ俺の前に立ち止まり、無言で横にずれろとジェスチャーしてくる。


「お、おう……」


 ソファの端に座っていた俺は右へとずれて、朝見あみは俺の左側へと座った。


 膝を抱えて蹲り、そして。


 ぽすっ、と軽い音を立てて昔よりも重くなくなった頭を俺の方へと置いた。


 どうしたんだ、そう聞こうとして、口をつぐんだ。代わりに肩の力を抜いて寛ぐことにした。肩にかかる重みは、心地いいとすら思えた。


 頭の中を空っぽにして、静まり返ったリビングの中で二人、互いに微かな温もりを感じながら共有する時間は、少しだけ、懐かしいものだった。


「私たち、こうなれた未来もあったんだよね」

「……無かったとは、言わないさ。それが正しかったのか、疑問に思っちゃうけど」

「正しくなんてなかったよ、絶対に間違ってた。誰も幸せにならなかったよ。……ううん、それは嘘」


 喋っていたと、後になって気付いたくらいだった。それくらい無意識に近かった。


「私はもしかしたら幸せだったかもしれない。ありのままの自分を打ち明けて、それでもずっと一緒にいてくれて。らい君のことは、ずっと見て来たから、感じて来たから。私、幸せになれたかもしれない」

「俺だって、朝見あみと一緒で不幸だなんて思ったことはないし、むしろ、朝見あみみたいな人だったらきっと幸せになれた」

「……でも、忘れちゃダメだよ。らい君はもう、そんな幸せに触れてはいけないんだ、って」

「もちろんだ」


 ゆっくりと目を閉じる。見なくても感じるし、聞こえる。朝見あみもきっと、瞼を下ろしているに違いない。


「祝福されなくても、まともじゃなくても、それでもやっぱり、私はそれを望んでいたし、願っていたと思う。だけどそれが苦しいことだって、辛いことだって分かった。誰かにとっての不幸にすらなり得るって、はっきり分かった。らい君に、自分に嘘をつくことになるって、分かったの」

「だから家を出た。そうだな」

「うん。自分の幸せを見つけるために。私自身を知るために。結局、不安になって戻ってきちゃったけど、おかげで気付けた。ああ、変わる必要は無いんだな、って。私に必要なのは変わる事じゃなかった。変わらず、好きでい続けることだった」


 やがて、全身の体重が寄せられた。その体を、俺の体を抱きそうなほどに、密接していた。


「不誠実って、そう思う?」

「思うさ、思うとも。……それでも、ケジメは付けなければいけないから。これも覚悟だ。そして、これで終わりだ」

「……うん、分かってる。分かってるよ、だから。もう少しだけ、甘えさせて」

「ああ」


 朝は幾度も訪れる。けれど訪れるのと同じ数、去って行くのだ。


 何度も沈み、過ぎ去り、それでも再び昇る。ならば、消えていくことを許すくらいの優しさは持って然るべきなのだろう。

 俺は、輝きを西に見た。

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