初めての怒り

「お世話になりました」


 見送ってくれた看護師さんに頭を下げて別れを告げて、病院を後にした。


「本当に、何事もなくてよかったよ」


玄関を出てすぐ、待っていた玲奈さんに迎えられた。


「そうだな。俺も病院で目が覚めた時は背筋が凍ったよ」

「でも、退院できてよかったね。まだお昼前だし学校行けるかな?」

「行けるかもな。……とりあえず、家まで送ってくよ」

「もう大丈夫なの?」

「ああ、問題ない」


 一日寝込んだ程度で落ちる体力でもないし、多少気怠さは残るが歩くだけなら問題ない。お医者さんからは一週間ほど過激な運動は控えるようにと言われているから、走ったりは出来ないだろうけどな。


「まあ、そう言うわけだからこのまま――」

「らい君!」


 俺の声を遮って聞こえてきた声は、忘れもしない人の声。でも、こんなところにいるはずのない人の声。


「良かった……元気そう」


 素通りしようとした駐車場の一角から聞こえた声は、やはり予想通りの人の物だった。聞こえて目を向けたその先には、朝見あみがいた。

 トレードマークの長い髪はぼさぼさで、以前見た時と変わらない服はよれよれ。顔色も優れないようで、どう見たって元気じゃないのは朝見あみの方だ。


 それなのに、俺を見て嬉しそうに笑っていた。


「らい、君? ……あの子、頼斗君の知り合い?」

「う、うん、知り合いって言うか友人って言うか……まあ、とりあえず紹介するよ。朝見あみ、良いかな?」


 玲奈さんに問われて一瞬離した視線を朝見あみに戻した時、朝見あみは一歩を踏み出した姿勢のままで、泣きそうなほどに悲しい顔を作って硬直していた。

 

 だからまだ、会わせたくなかったんだ。


「……朝見あみこちら俺の新しい彼女の玲奈さん。玲奈さん、あっちは朝見あみ。なんて言ったらいいのかな。元カノの、双子の姉」

「元カノさんの、お姉さん?」

「……かの、じょ……」


 ……予想はしていたが、こうなったか。

 二人の視線は交差して、玲奈さんのは純粋な好奇心に見えるのだが、朝見あみの方は明らかに敵意だ。俺が一昨日の夜に向けられたような、鋭い視線を玲奈さんにも向けていた。


「ねえ、らい君。ちょっといい?」

「……朝見あみ、その前に言わせて欲しいことがある、落ち着いて、最後まで聞いて欲しんだけど――」

「めなの?」


 言葉に割り込むように、絞り出されたような声が放たれる。


朝見あみ、それ以上は!」

「私じゃダメなの!? あの時のことは謝るから! 約束だって、忘れたわけじゃないんだよ!? そんな、夜見よみとは似ても似つかない様な子より、私の方が!」


 周囲の人々の視線が集まるのも気にせず声を荒げた朝見あみは必死になって涙を流す。慣れない大声を出してか頬が赤くなっている。全身に力が入り、小刻みに震えているのも目に入れる。

 そんな、喉のはち切れんばかりの告白が、彼女の髪を乱れさせる。


「私はずっと、らい君のことが!」


 その口から漏れ出しそうになった禁句を、今度は俺が遮った。


「もうやめろ! 朝見あみ!」

「っ!?」

「そんなこと今更言ったって、どうしようもないだろ!」

「らい、君?」


 怒鳴りつけるような俺の声に、朝見あみは大きく肩を揺らす。表情が怯えるようなものとなり、青ざめる。許しを請うように俺を見ながら、両手を胸元に集めて縮こまる。


「あの時の朝見あみの言葉も、今の朝見あみの言葉も、もう過ぎ去ってしまった過去の事だ。誰かの記憶に残り続けるし、決して消し去ることは出来ないんだぞ! お前がそんなことを言ってしまったら、あいつが、夜見よみがあまりに報われない!」

夜見よみ、が?」

「だからそれだけは言うな、それだけは……っ!」


 ああ、最悪だ。力を籠めすぎて唇が割けた。血の味がするし、頭に血が上ったからかフラフラする。こりゃ、激しい運動よりもよっぽど効いたぞ。


「ちょ、ちょっと頼斗君も朝見あみさんもそれくらいで――」

「そうだな。でも、ごめん。玲奈さん、すぐに追いつくから先に行っててくれないか? あと一言だけ、朝見あみに言わなきゃいけないことがあるんだ」

「……分かった。じゃあ頼斗君、また後で」


 仲裁しようと入り込んで来ようとした玲奈さんの肩を両手で抑え、その眼を見つめて口を動かす。まだ血の流れるところが痛いけど、顔には出なかったはずだ。小さく頷いた玲奈さんが、速足で離れていくのを見届けてから。


「……なぁ、朝見あみ。玲奈さんはいい人だぞ」

「っ……」


 朝見あみは肩を震わせるだけで視線を俯け、何を言い返してくることもない。


 玲奈さんはいい人だ。

 笑顔が素敵で、感情がすぐに表情に出る。健気で、真っすぐな人だと思う。それは本当に、俺にはもったいないくらい。


朝見あみ、また放課後会いに行く。それまでにシャワーでも浴びててくれ。せっかく綺麗な長髪が勿体ないぞ」

「……分かった」


 俯いた視線を上げることがないままにそれだけ告げて、朝見あみも足早に去って行く。その足元に垂れる滴の大きさは、見なくたって分かってしまう。

 本当なら今すぐ抱きしめて優しい言葉をかけてやりたい。あいつの言葉だって、受け入れてやりたい。でも、それじゃあ駄目なんだ。


 駄目なんだろ、夜見よみ

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