初めての着替え

「発見当時は軽い脱水症状と体温の低下がみられ、脈拍や血圧が一時的に危険なほどに低くなっていました。ですが何とか持ち直し、後遺症も残らないくらいに回復しました。これも、ずっと寄り添ってくれた彼女さんのおかげだと思いますので、しっかり感謝しておいてください」

「はい、そうします。本当にお世話になりました」


 玲奈さんが看護師さんを呼びに行った後、俺は軽い検査をいくつか熟し、手術に立ち会ったというお医者さんの話を聞くこととなった。

 まあ、手術と言っても何か特別なことをしたわけではなく大事を取っただけで、血の一滴も流れないままに終わったらしい。一日中寝ていた、と言うのも基本的には肉体の疲労や脱水症状の回復に時間がかかったからだろう、と言う話だ。

 最終的には命に別条がないどころか掠り傷一つ残っていない状態になったらしいし、一安心だ。


「書類整理やらちょっとした手続きを熟してくれれば、すぐにでも退院できるからね。これからは、くれぐれも雨の中を走らないように」

「うっ、気を付けます」


 いい笑顔で言われてしまった。


「ありがとうございました」

「お大事にしてくださいね」


 とりあえず検診を終え、俺は病室へと戻ることにした。特に荷物があるわけでもないが、たぶん、まだ待ってる人がいるからな。

 

 病室に戻って中を覗くと、窓辺の席に座って瞳を降ろす玲奈さんの姿があった。


「玲奈さん? 寝ちゃった、のかな」


 お医者さんの話では、玲奈さんはずっと俺のそばにいたらしい。救急車を呼んだのも玲奈さんだし、その救急車に付き添ったのも玲奈さん。手術中はずっと手術室の前で待ってたし、俺が寝ている間もずっと隣にいてくれたんだとか。

 本当に、ずっとなんだろうな。玲奈さんはまだ俺が選んだ服を着っぱなしで、腕にも竹のブレスレットをはめたままだ。


「本当に、ありがと」


 陽光差す寝顔は、まるで天使のような愛らしさを見せていた。僅かな息遣いが聞こえ、一定のリズムを刻むそれは子守歌のように心地良い。

 起きてても寝てても綺麗な顔立ちを保つなんて、なかなかできないと思うのだが。玲奈さんはいとも簡単に成しているように見える。


「玲奈さんにはもう少し寝てもらうとして……げ、凄い量の着信」


 枕もとの机の上に置かれていた俺の私物、財布とスマホ、畳まれた服の中からスマホを手に取った。電源が落ちていたので入れ直し、通知を確認するとびっしりとメッセージが並んでいた。

 字面を見るだけで、心配をかけてしまったのが分かるな。


 星座むすび流星すすみからはそれぞれ、昨日の晩から四十通以上届いていた。どれも、真っ暗闇の中雨に降られて帰ったという俺を案じた文章だった。後は、朝見あみちゃん怒ってなかったよ、とか、朝姉あさねえ謝ってたから帰って来て、だとか、そんな内容。

 通知画面だけで確認したそれら着信は、一先ず置いておく。どうせ返信したらすぐにラッシュで返される。それよりも先に、たった一通送って来てくれている人に、返信してしまおうと思う。


『怒ってないし、嫌いになんてなってないから帰って来て。もう一度会わせて、謝らせて。お願い』


 送信者の名前は朝見あみ。恐らく美空姉妹経由で友達登録したんだろうな。朝見あみとも夜見よみに連絡先を削除されて以来、交換し直して無かったし。


 朝見あみのそれは星座むすび流星すすみの文と違って絵文字や顔文字、スタンプが一切ない地の文だけだ。それだけ必死だったのか、そもそも使わないタイプだったか。もう何年もチャット上でのやり取りなんてしてなかったから、よく覚えていない。

 それでも、俺の身を案じて送ってくれたこの文章はただの社交辞令とも思えなくて。


「今、目覚めた。心配かけてごめん。大丈夫、また会いに行くよ、っと……一先ずこれでいいかな。星座 《むすび》たちの方は、どうしよっかな」


 送信ボタンを押して、次は星座むすびたちにどう返そうかと考える。まあ、ありのまま書くか。


「あの後道端で倒れてたらしくて、今病院。でも何の症状もないくらいに回復したから、あんまり心配しないでいいぞ。また今度、遊びにでも行こうぜ。これで良いかな」


 送信から一分、反応はない。考えてみれば、土曜日の夜に倒れ、丸一日経った後の朝ならば今日は月曜日だ。みんな学校だから、返信する余裕なんてないか。スマホをもとの机の上に置いて、畳まれていた服を手に取る。

 着替えて、書類書いて。たぶん、学校休んでまでお見舞いに来てくれた玲奈さんを送り届けて、家に一回顔出してから、俺も学校に行こう。きっと昼頃までには行けるはずだ。


 学校終わったら星座むすびたちにも連絡して、また夜見よみの家に行こう。で、朝見あみと出来る限り本音で話し合いたい。それが出来たら、またきっと朝見あみとも一緒に遊べるはずだよな。


「頼斗、君……?」

「玲奈さん?」


 微かに、寝ぼけたように浮ついた声が聞こえて来た。すぐに玲奈さんの方へと視線を向けると、ちょうど、目の端を擦りながら視線を右往左往させていた玲奈さんと目が合った。

 こちら側を向いた玲奈さんの顔が横から照らされ、宙を舞う埃が幻想的に輝き、玲奈さんは本当に天使と見間違うほどに綺麗に見えた。


 そんな玲奈さんに見惚れていると、玲奈さんは見る見るうちに頬を赤くし、両手で顔を隠してしまった。


「ご、ごめん! で、でも頼斗君私の前で堂々と着替えるのは、その……っ!」

「え? あ、ああ、ごめん……」


 まだ上着を脱いで上裸になっただけであったが、玲奈さんはどうやらかなり初心な人らしい。まあ、玲奈さんの可愛い反応が見れたし、これはこれで良しとするか。

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