昼ご飯

「ごめん、お待たせ」

「ううん、全然。早くしないとお昼休み終わっちゃうし、早く食べよ」

「だな」


 弁当の包みを取り出して、彼女の隣の席をお借りする。主人はいないようだったし、大丈夫だろう。


「そ、それで……お願いがあるんだけど、良いかな?」


 早速弁当を取り出し、蓋を開けたところで玲奈がそんなことを聞いて来た。


「お願い? ああ、俺に出来ることなら」

「う、うん。その、私と頼斗君は、その、お、お付き合いを、始めましたよね?」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声量でそんなことを聞かれる。


「そうだな」

「それで、その。どうやら頼斗君は色々、私に尽くしてくれようとしてるみたいなんだけど……」

「だけど?」

「その、なんていうか」


 ご飯を食べる手が止まっている。そんなことを指摘できる雰囲気でもなかったので、留めておく。

 玲奈がどうにも気不味そうな表情で何かを言い淀んでいるからだ。ここは、言葉を待つべきか。いや、違うな。


「言い辛いこと、なのか?」

「え? えっとその、なんていうか……」

「言い辛いんだな?」


 様子を見れば、一目瞭然だな。


「でも、気にせず言って欲しい」

「え?」

「例えば俺に嫌われるんじゃないか、とか、迷惑なんじゃないか、とか。そんなことを考えて言えないでいるんなら、はっきり言って欲しい。大丈夫、言われたことは直せるようにするから。それ以外の理由で言い辛いなら場所とか改めたり、メッセージでもいい。とにかく、玲奈が話しやすい環境で話して欲しい」


 カレカノの常識。

 優先すべきは彼女の意思。俺の恩着せがましい偽善やお節介で迷惑をかけたら本末転倒だ。もし彼女の意思を無碍にしてしまったのなら、それが良かれと思ってのことだったとしても誠心誠意謝って機嫌を直してもらえるようにお願いする。

 それだけの過程を踏んでやっと、互いの理解が深まるのだから。


「そ、そういうことなら……一つ、お願い」

「うん。何でも言ってくれ」

「……私と付き合ってる間は、元カノさんとの約束とかは、忘れてくれないかな?」

「元カノとの約束を、忘れる? それって、どういう?」


 玲奈は小さな声で、それでも真摯に真っすぐに。

 ただ俺の目を見て一心に胸の内を明かそうと言葉を紡ぐ。


「私は、私だから。頼斗君の気遣いも善意も嬉しいけど。だけど、全部が全部いきなりすぎて、追い付けないの。だから、一旦忘れて。私、さ。恋人って初めてなの。だから、その。私でも追い付けるように、最初からやり直す、ってこと……」


 気恥ずかしそうに。それでも目を逸らさずに言葉を続ける。


「ダメ、かな?」


 その頬を赤く高揚させ、訴えるように上目遣いでそう言う玲奈の表情が。

 不思議と、あいつと重なった。


 いつだって俺に甘えてばかり、頼ってばかりのあいつは。それでも真剣なお願いごとをするときには、必死で、真剣で、真面目な顔で言ってきた。その時の表情に、似ていた。


 正直、自分でも分かってる。今の彼女を元カノと重ねる、なんて最低だって。でも重なってしまったものは仕方ない。俺は一度だって、あいつの真面目なお願い事を断れたためしがないのだ。


「分かった。確かに、俺は先急ぎすぎたかもしれないな。これからは気を付けるし、玲奈がやりたいと思ったことをやるようにする。迷惑かけて、悪かったな」

「め、迷惑なんてそんな! さっきも言ったけど、本当に嬉しかったん、だよ?」


 彼女の黒髪が小さく揺れた。その、笑顔混じりの羞恥顔は窓から差し込む光を受けて、太陽以上に輝いて見えた。まるで、上書きされるような。


 思わず呆けた意識の端で、一つ思い出す。そう言えばあいつも、こんなこと言ってたな。


『迷惑? そんなわけないじゃん。私はらい君がしてくれる全部が嬉しいし、こうしてるだけで幸せなんだよ?』


「はぁ……」


 思わず溜息交じりの苦笑を一つ。


「え、えっと……」


 そんな俺を見て、玲奈は戸惑うように声を上げる。そしてどこか不安がるような表情と、落ち着かないように両手を彷徨わせる。

 そんな仕草を見て不意に可愛い、なんて思ってしまった。


「なんでもないよ。玲奈が嬉しいなら、俺も嬉しい」

「そ、っか。それなら、よかった」


 玲奈は小さくはにかんで、手を合わせる。


「ほら! ご飯食べよ!」

「そうだな。いただきます」

「いただきます」


 弁当二つを挟んで向かい合うように食事の挨拶。日常風景のように熟した一幕が、決して普通じゃないことを知っている。この世に決まった普通がないことも、知っている。


 だから俺には分からない。あいつが変だったのか、そうじゃないのか。でも、そんなことは関係ない。俺は今玲奈の彼氏だ。玲奈が喜ぶような、玲奈が一緒にいたいと思うような彼氏でいたい。

 彼女を幸せにするのが彼氏。その言葉だけは、あいつのそんな想いだけは普通であるべきだと、そう思ったから。

 俺は玲奈を幸せにする。そのために必要なことを、改めて考えればいいのだ。


「あ、そうだ。いきなり呼び捨ても、直してもらっていい、かな? その、呼ばれる度に心臓跳ねちゃって、あはは……」


 ……道は険しそうだ。

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