第9話 理由なんていらない
(
雨に濡れることもかまわず、私は街はずれの薄暗い路地でうずくまった。
全身が痛みで痺れ、心は絶望の底に沈んでいた。耳にはまだ、おじさんの荒々しい怒声がこびりついている。おじさんの手から逃れることができない恐怖と、両親が死んでしまった悲しさが、私を押しつぶしていた。
大好きだったお父さんとお母さん。
優しかった両親と過ごす生活は毎日が幸せだった。
しかし、ある日唐突にその幸せな時間は終わりを告げる。
この国の兵士だった両親は、壁外への任務に出たきり……戻って来なかった。
――死んだのだ。
街の外にいる化け物に殺された。
それからはよく覚えていない。
見たこともない親戚に引き取られたのだが、毎日のように虐待を受けている。
いっそ殺してくれれば良いのに――。
もうどうでも良かった。
死んでお父さんとお母さんに会いに行こう。
そう決意した。
「君、大丈夫かい?」
見上げると、私と同じ年頃の痩せこけた少年が、ずぶ濡れで立っていた。伸びた髪は首の後ろで結われ、真剣な眼差しをこちらに向けていた。
「……」
誰!?
私は死にたいのに。
お父さんとお母さんに会いに行きたいのに。
『放っておいてほしい』……そう言いたかった。
少年はかまわず私の横に座った。
「どうしたの? こんなところにひとりで座って」
そう言って少年は笑顔を作った。
「何かしてほしいことない? 困っていることがあるなら力になるよ?」
「――わないで……。もう良いから私にかまわないでっ!!」
普段は声が小さい私が、気づけば大きな声を荒げていた。
どうしてこんな態度をしてしまったのだろう……。
八つ当たり?
「ご、ごめんっ!! 君を怒らせるつもりはないんだ」
それから少年はただ黙って私の隣に座っている。時折ちらちら私の方を見ていることに気づいていたが、何も言わなかった。
放っておけばそのうちどこかに行くだろう……。
この少年が居なくなった後…………死のう。
そう決めた。
……。
……。
……。
そのまま三十分ぐらい経っただろうか。
この少年はどこにも行く気配がない。
どうして?
雨も降っているし、こんなに冷たい態度をしているのに……。
そんな時、少年が私の横に何かを置いた。
飴玉が一つ――。
つい反射的に少年の顔を見てしまった。ニコッと微笑む優しい顔が、何故かお父さんの笑顔と重なって見えた。
「お父さん……」
ずっと
「はい、これ美味しいよ」
少年が飴玉を差し出す。
私は素直に受け取り、包装を取るとゆっくり口に入れた。
甘いミルクの味。
「美味しい……」
少年は
もう我慢出来なかった。
嗚咽を上げながらわんわん泣いた。
「わたし……死ぬの怖いよぉ~」
ずっと我慢していた分、泣き出したら止めることは出来なかった。どれくらいの時間かは分からない。ただ体の中にある溜まった涙が、カラカラに干からびるまで泣き続けた。雨と涙で顔がぐちゃぐちゃになったが関係なかった。少年はオロオロしつつもずっと傍に居てくれた。
泣き止んだ後、気づけばその見知らぬ少年に両親が亡くなって帰って来なかった事。そして両親に会うため死のうとしていた事を打ち明けていた。
「君はお父さんとお母さんが大好きだったんだね?」
「うん」
「死んだらお父さんとお母さんに会えるのかな?」
「分からない……。でも生きていたって……しょうがないから」
「六歳の時……親に捨てられたんだ……俺も。買い物に出かけたっきり二度と家には帰って来なかった。毎日毎日、家で独り待ち続けた……。待っても待っても帰って来なくて……寂しくて辛くて何度も死のう考えたけど……怖くて出来なかった……。俺達少し似てない?」
……似てる……かもしれない。
「もう少しだけ俺と一緒に頑張ってみない? 生きていれば良いこともある」
「一緒に……?」
「ああ。一緒に」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
「困っている人がいれば助ける。当たり前だろ? 俺は知り合いの爺さんからそう学んだよ。それに俺はこの世界の救世主になる男だからね。君のような可愛い女の子を一人助けるなんて造作もないさ。フハハハ」
「何それ。フフフ」
「もし君がそれでも……どうしても死にたくなったら…………俺も一緒に死んであげる。一人より二人のほうが怖くないよね?」
そう言って少年はまたニコリと笑う。
「――ッ‼ 本当に一緒に死んでくれるの?」
「ああ」
「……」
「でも俺はまだ死にたくないからね、君がまだ生きていたいと思えるように頑張ってみようかな」
「変な人ね」
「よく言われるよ。フフ」
「フフフ」
あたりはすっかり暗くなり夜になっていた。
「今日はありがと。私そろそろ帰るね」
「あっ。ちょっと待って。はいこれ」
私が帰ろうとすると、少年はまた飴玉を手渡して来た。
「明日もここで待ってるから。だから、まだ死んだら駄目だからね」
「分かった。死ぬ時は一緒だもんね」
「ああそうさ。また明日」
「うん」
私は少し名残惜しかったが、家に向けて走り出した。
「お~い。君の名前は?」
少し遠くなった少年が聞いてくる。
「
「良い名前だな。朔太郎だ」
そう言ってお互い手を振って別れた。
☆★
「ただいま……」
「こんな遅くまでどこで遊んでんだっ!!」
帰るなり鬼のような形相でおじさんが歩み寄って来る。私は恐怖で息を飲み、体はすくみ上がった。私の前まで来るとすぐに、おじさんの鋭い平手打ちが飛んで来た。手加減のない重い衝撃に、一瞬頭の中が真っ白になった。
こうなることは分かっていた。
死ぬつもりだったし……。
いつもより大分帰る時間が遅くなってしまったから。
「愛想がないし、声も小さくて何言ってるか分かんねぇ。お前を育てるのにも金がかかってるんだぞ? 毎日どこで何をしているんだっ!?」
「ごめんなさぃ……」
「何だって? いつもいつも聞こえないんだよっ!!」
おじさんが横から腕を蹴り上げた。その反動でポケットにあった飴玉が床に転がる。
「何だこれは?」
「駄目っ!!」
おじさんが拾うよりも先に、覆いかぶさるように四つん這いになって飴玉を守った。
「帰りが遅いと思ったら……人様の物を盗んでそんな物を食べていたのかっ!?」
「――すんでない」
「何っ!?」
「盗んでないっ!!」
「何だその目は? 晩飯も抜きだ。嫌なら出て行けっ!!」
そう言っておじさんは、四つん這いの私を蹴り上げた――。目を瞑りその衝撃に備えるが、その痛みはやって来なかった。
恐る恐る目を開けると――。
目の前に
「――ッ!!」
何でここに……?
私を庇うようにおじさんの蹴りを受け止めている。
「な、何だっ!? このガキっ。どっから入って来やがった」
「ちょっとやり過ぎじゃないですか? 桃香がそんなに悪い事をしたのか? 殴られるような事を。そんなに殴りたいなら俺を殴れば良い」
「いったいどこのガキだ。勝手に入り込んで来やがって」
「こんな小さな女の子を殴って恥ずかしくないのか? そんなことをして楽しいのか? なぁ教えてくれよ」
体にある涙はさっき全部流したはずなのに……。
「うるせい! 馬鹿野郎っ!!」
おじさんは拳を振り上げ、そのまま少年を殴りつけるが、
「全く……嫌な気分だ。いつの時代になってもお前みたいなゴミ虫がいる。少しでも桃香の気持ちを考えたことがあるのか? お前は」
「だまれっ!!」
また少年を殴りつけるが、
「こんなにも怯えさせて……追い詰めて……何が楽しいんだ?」
「何なんだよこのガキは……。お前には関係ないだろうがっ!!」
「お前は桃香に、遅くまでどこで遊んでいると聞いたな? 教えてやろう」
「……」
「死のうとしていたんだよっ!!」
「……」
「寂しくてっ!! 辛くてっ!! 怖くてっ!! 痛くてっ!! もうどうしたら良いか分からなくてっ!! 泣くのも必死で我慢して……ひとりで死のうしてた」
体が熱い。
少年の言葉の一つひとつが、私の涙腺を崩壊させていく。
出会ったばかりの小さな少年が、どうしてこんなにも私の気持ちを察してくれるの?
もう我慢出来なかった……。
溢れてくる涙が頬を伝い、床にぽたぽたと落ち始めた。
「もう一度聞こう。お前はこんな小さな少女をここまで追い込んで、楽しいのか?」
「う、うるせぇっ!! そんなこと知るかっ!!」
今度はおじさんの振り下ろされた拳を華麗に躱し、
「うるさいのは、お前なんだよっ!! このゴミ虫がっ!!」
少年が私の方へ振り返った。おじさんに殴られ腫れあがった頬。口の端からは血も出ている。でも、その顔からは心の底から私のことを心配しているのが伝わってくる。
「大丈夫か? 桃香」
尻もちをついていた私のすぐ前に少年の顔が迫る。
「遅くなってごめんな。動けるか?」
「何……で……?」
「ごめん。何だか桃香のことが気になって追いかけて来た」
その時、ひっくり返っていたテーブルを突き飛ばし、勢いよくおじさんが立ち上がった。
「こんのガキがぁぁぁあ。よくもやってくれたなあ」
「おいオッサンっ!! 桃香は俺がこのまま連れて行く。それで構わないな」
「構わないわけないだろうがっ!! 許さんぞ絶対!!」
「おいおい。さっきオッサン言ったよな? 嫌なら出て行けと。言ってることが違うだろうが。それに桃香はあんたの物でもないだろ? 親でもないお前が決めるなよ!」
「口だけは達者なガキだ。お前の物でもないだろうがっ!!」
「じゃあ……本人に決めてもらおう」
えっ!?
「出て行くなんて絶対許さんぞぉぉおっ!!」
今にも殴りかかって来そうな怒りの形相で怒声を上げた。おじさんと目が合い、体が震え
「桃香。俺と行こう」
どうしたら良いの……。
「このままここに残るのか?」
「……」
「あんなゴミ虫のことは気にするな。桃香はどうしたい?」
私がどうしたい……。
私は――。
少年の言葉を思い出す。
『困っていることがあるなら力になるよ?』
『親に捨てられたんだ……俺も』
『困っている人がいれば助ける。当たり前だろ?』
『俺はこの世界の救世主になる男だからね』
『どうしても死にたくなったら……俺も一緒に死んであげる』
『寂しくてっ!! 辛くてっ!! 怖くてっ!! 痛くてっ!! もうどうしたら良いか分からなくてっ!! 泣くのも必死で我慢して……ひとりで死のうしてた』
出会ったばかりだけど……。
私に寄り添ってくれた。
私の気持ちを察してくれた。
私は…………。
ここに残りたくたい。
体の震えが止まった。
「私は朔太郎と行くっ!!」
私は伸ばされた朔太郎の手を掴み取った。小さいが力強く、硬い男の子の手がしっかりと私の手を握り込む。私も離さないようしっかりと握り返した。
「行こう」
もう迷わない。
私は朔太郎を見つめ頷いた。朔太郎は私の手を引っ張り外へ走り出した。
「待てっ!! ぶべっ!!」
一瞬振り返ると、おじさんは転んで泥まみれになっていた。
雨が激しく体を打ちつける中、私は朔太郎の背中を見ながらただ必死に走り続けた。後ろからおじさんの怒り狂った声が聞こえてくる。追いかけられて怖かったけど、がっちりと掴む朔太郎の手の温もりのおかげで安心できた。息が切れ始める頃には、ドキドキと胸が高鳴っていて、体の中が熱かった。
「ここで休もう」
「うん……ハァハァ」
雨をしのげそうな軒下で朔太郎と見つめ合った。
「フハハハハ」
「フフフフフ」
何故か笑いがこみ上げて来た。
はぁ~おかしい。
こんなに笑ったのはいつ以来だろう。
「あの顔見たか? 桃香」
「うん見た。フフフ」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
「言っただろ? 困っている人がいれば助けるのは当たり前だって。人を助けるのに理由なんていらないんだ」
「普通そこまで出来ないよ」
「俺の知ってる爺さんならやるよ絶対」
「そんなすごいお爺さんがいるんだね」
「ああ。ゴリラみたいな体してるけどな」
「何それ。フフフ」
「放っておけなかった。桃香を最初見た時……似てると思ったんだ。昔の俺の姿に。だからかもしれないな」
そう言って朔太郎はニコリと笑った。
「朔太郎……ありがとね」
私もニコリと笑い返した。
☆★
(青風朔太郎視点)
顔を真っ赤に染めて『ありがとね』と言う桃香の笑顔が、とても可愛く見えた。
濡れた黒い髪。
切り
首の両横に降ろされた二本の三つ編み。
赤い眼鏡。
目元にあるほくろ。
そして、本当に嬉しそうに笑うその笑顔に、引き込まれた。
十三さんやロミー達にどう説明しようか……。
考えると頭が痛くなって来る。
この世界に来て早々こんなことになってしまうなんてな……。街を散策していただけなんだが、大変なことになってしまった。
「よしっ!! 桃香。俺達の家に帰るぞ」
「うん」
桃香の手を取り家に向かった。
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