第4話 伝説

 息苦しくて目が覚めた。

 横向きに寝ているのだが、何かが鼻を塞いでいる。良い匂いがして、何か柔らかいものに顔を埋めていた。何だかよく分からなかったが、気持ちよくて頬を擦り付けながら鼻いっぱいに甘い匂いを吸い込む。徐々に脳が無駄に働き出し、状況に気づいてしまう。

 

 「!!」

 

 俺はアイの胸に顔を埋めていた。すぐに顔を離し仰向けになる。何故このような事態になったのかを考えたが心当たりは無かった。まさか侵入して来たのか!?


 「んん……」


 アイが目を覚ましたと思ったが、また抱き着いてきて寝始める。わざとやっているのか……? 胸が腕に当たっていて、どうしても意識が奪われる。そして顔が近い……。ずっと見ていられる。何て可愛いんだろうか。

 それにしても……我が息子ニャンニャン棒よ。お願いだからその荒ぶりをそろそろ静めてくれっ!!



 自宅のリビングにあるソファでコーヒーをすする。


 アイと二人の生活が始まった。アイが目覚めてから一週間。これまでの自分では考えられないほど、心は豊かになり落ち着いている。

 十三さんはいつの間にか姿を消していた。どこかで監視しているのかもしれないが。

 アイについては、念のため俺の妹という設定になっている。


 「お兄さん朔太郎。今日はどうするの?」

 「そうだな――ッ! ブホッーゴホンッゴホンッ!? 何て格好をしているんだ・・・・・・」


 振り返ると、大き目の白いシャツだけを羽織ったアイが、リビングに入って来たところだった。下側だけしかボタンが止められておらず、上側は大きく開いている。バスタオルを首に巻き、湿った髪を拭いていた。


 「シャワー浴びて暑かったんだもん。……中見たい? えへへ」


 シャツを掴みヒラヒラさせているが、計算されたように見えそうで見えない。しかしその時、シャツが少しはだけて、白いおパンテーがチラっと顔をのぞかせた。

 

 「……お、お、大人をからかうんじゃない。早く服を着て来るんだ」

 「は~い」

 

 ゆっくりとリビングから出て行くアイ。

 

 中見たいに決まってるだろう。

 わざとしているのなら本当に末恐ろしいな。

 まぁ……良いものを見せてもらった。

 ごちそうさま。

 

 この五日間、アイと二人で買い物に行ったり、ドライブしたり、街をぶらぶらしたり、アイが居なかった時では、考えられないようなリア充生活を送っている。

 年甲斐もなく、毎日ドキドキしている。何をしてもいても心が弾む。ご飯の時も、テレビ見ている時も、お風呂に入っている時も、ずっとだ。今までの人生では感じたことのない感情が、俺の心を支配していた。

 

 ――――ピンポーン。


 インターホンの音が家に響く。 


 「こんな朝から誰だ?」


 残ったコーヒーを飲み干し、ドアホンの映像を見る。


 「小僧、まだ生きとるか? ムハハ」

 「十三さん⁉ どうしたんですか? 良かったら上がってください」


 十三さんを家にまねき入れた。


 「悪いな。邪魔するぞ」


 十三さんがリビングのソファーに座る。


 「十三さん。今日はどうしました? ……コーヒー入れますね」

 「ああ、頼む。いや何、少し様子を見に来ただけだ」


 十三さんの前にコーヒーを出すとすぐにすすった。


 「綺麗で良い部屋だな」

 「本当は汚かったんですが……アイがあっという間に片づけてしまいまして。今から朝ご飯なんですけど、十三さんも一緒にどうですか?」

 「……悪いな。頼む」


 そこにアイが現れる。

 

 「見て見てお兄さん朔太郎。少しだけ髪を三つ編みにしてみたの。昨日買ってもらった髪留めも付けてみたんだ~。可愛い?」

 「……あ、ああ」


 可愛すぎだろちくしょー。


 「あれ~。あの時いたイケメンのオジサンだ」

 「武田十三さんだ。アイ」

 「青風アイです。おはようございます。武田さん」

 

 笑顔が眩しい。

 あの笑顔なら十三さんも落とせる破壊力がある・・・・・・はずだ。


 「……ああ、おはよう。十三で良い」


 顔が読みにくい。

 が少し驚いているように見えた。

 さすがアイだな。

 十三さんを動揺させるとは……。


 その後、三人一緒のテーブルで朝ご飯を食べる。卵焼き、焼き鮭、白菜の漬物、納豆、白ご飯、お味噌汁といった献立こんだて


 「「「いだだきます」」」

 「十三おじさん、卵焼きとお味噌汁はね、アイが作ったんだよ。卵焼きにはね、出汁とネギとシソとツナマヨが入れてあって、お味噌汁は豆腐とわかめ。どう? 美味しい?」

 「……ああ旨い」

 「よかった~。お兄さん朔太郎は?」

 「美味しいよ。上手くなったな」

 「えへへ」

  

 パァッっと、アイが微笑んだ。


 「お兄さん朔太郎? 泣いてるの?」

 「あれっ……。ごめん、少し目にゴミが入ったみたいだ。大丈夫だから気にしなくて良いよ。……この卵焼きフワフワで甘じょっぱくて本当に旨いな。大好きな味だよ。毎食でもいけそうだ」

 「ほんと? 嬉しい」


 涙がこぼれたことに気づかなかった。

 年を取ると涙腺が弱くなっていかんな……。

 最近泣いてばかりな気がするなぁ。 


 「お兄さん朔太郎、今から遊園地連れてって」

 「遊園地? ……まあ良いけど」

 「十三おじさんも一緒に行こ? ね?」


 アイが十三さんの前腕に手を添える。


 「うわっ。すっご~い。十三おじさんの腕カチカチだよ。すっごい太い。お兄さん朔太郎も触ってみて」


 アイは十三さんの腕から胸から触りまくっている。

 

 すごいなアイは。

 十三さんにそんなにグイグイいける人は、そうは居ない。

 あの眼光だし顔もよく見たら傷だらけじゃないか。

 

 とうとう足や顔まで触り出した。いつ怒り出すのか、見ているこっちがヒヤヒヤする。十三さんは黙ってアイを見ている。


 いや、睨んでいるのか? 

 わかりづらい……。

 

 俺も十三さんの腕を触ろうと少し手を伸ばした時、十三さんが俺をギラリと睨んだ。……『お前まで触るな』ということだろう……。俺はそっと手を元に戻した。


 「アイ、これをやろう。飯の礼だ」


 十三さんは、菱形の装飾品が付いた金色の輪っかを、アイに渡した。


 「えー良いの? 嬉しい。十三おじさんありがと~。大事にするね」

 「『守護のチョーカー』という装備だ。首にはめてみろ」


 アイは言われた通り素直に首にはめた。

 すると、アイの頭の上に光の粒子が集まり、頭より一回り大きい二重の円を作った。光の粒子がキラキラ輝いてなんとも幻想的だ。

 これではまるで天使じゃないか。


 「危ない時は必ず身に付けておけ。守ってくれるはずだ」


 十三さん……。

 未来のとんでもアイテムを、そんな簡単に渡して大丈夫なのだろうか?

 大騒ぎにならないと良いが……。


 「ちょっと鏡見て来る~。十三おじさんありがと」


 ぴょこっと頭を下げ、玄関にある姿見鏡の方へ走って行くと、程なくして『わー可愛いー。すごーい』と玄関から聞こえて来る。


 「十三さん。俺からもお礼を言います。ありがとうございます。でも大丈夫ですか? 未来の装備ですよね?」

 「知らん」



☆★

(武田十三視点)


 アイの説得に負けて、富士急ハイランドという遊園地に来てしまった。

 儂もそろそろ身体にガタが来とるか……。

 全盛期だった頃の動きはもうできない。

 よわいは今年で二百二十四だったか……。

 いや二百二十五……。まあ良い。

 未来の遺伝子操作とナノマシンの技術で、儂も寿命を延ばしたのだが、後何年生きることができるかのう……。

 

 未来であった奴らとの戦いは今でも鮮明に思い出せる。

 共に戦って来た戦友はほとんどが戦死し、奴らに抵抗する力はもう残っていなかった。

 もうどうにもならなかった。

 儂は一縷いちるの望みにすがり、西暦二三〇〇年からタイムトラベルし、この世界にやって来た。

 

 最終手段。

 それが過去に戻ることだった。

 タイムトラベルの影響は予測できない。

 もう既に何がしかの影響が出ているのは間違いないだろう。

 元に世界に戻ることも、もうできない。

 それなのに――。


 「どうしてこうなったんじゃ」


 儂は今、『FUJIYAMA』というジェットコースターの先頭に座り、天辺てっぺんに向け、ゆっくりゆっくり登っとる。とうとう天にす時が来たのか……。隣には小僧が座り、後ろにはアイが座っておる。


 オッサンが並んで先頭というのはどうなんだ?

 せめて隣はアイにしろと言いたかった。

 爺をこんな物に乗せるなんて……心臓がぽっくり止まったらどうする。


 「うわぁあああああ。高~い。来るよ来るよ~」


 アイは後ろではしゃぎ、小僧は目を瞑って下を向き、何かブツブツと呟いておる。

 良い景色じゃのう。富士山も見えるではないか。


 「何とも風情があるのう」


 頂上まで来たが、少し進んだ先のレールが見えなくなっている。

 そこから落ちるのか……。


 「キャ~。来るよ来るよ~。うわ~ワクワクする~」


 体が空中に浮かび上がるような浮遊感が、お尻からフワッと湧き上がった。バーを握りしめる手に力が入り、そのまま握り潰してしまいそうだ。景色と共に風が耳をつんざく音を立てて過ぎ去っていく————。

 

 「「オ、オ、ウオォォォォォオオオオオオオオオ!!」」

 「キャァアアアアアアア。ハハハハハハ。楽し~い」


 終着。

 

 「ハァァァァァ……。楽しかったね~。これ最っ高!! もう一回乗ろ? ね?」

 「「……」」

 「一回じゃ足りない? じゃー後五回でも良いよ」

 「……分かった。分かったから。後一回だけにしてください。アイ様! はぁ……膝がガクガクする」

 「ハハハ。しょうがないな~」

 「小僧。少し老けたんじゃないか。ムハハ」

  

 どうもこの二人に関わると調子が狂う。

 アイが目覚めた時も、二人で変なポーズを決め、ニャンニャン言い始めた時は本当に困った。

 儂は未来から来て、何を見せられているのかと……。

 

 青風朔太郎と言ったか……。

 まあ、頼りなく、ひねくれているところもあるが、……なかなか見所のある男だ。

 あの土下座の懇願は悪くなかった。

 儂は本気でアイを破壊し、小僧も殺すつもりだった。

 だが、もう駄目だ。

 殺せない。

 情がうつってしまった。

 悪い奴らなら良かったんだがな。

 他の方法を考えなければならない。


 儂はこの五日間で、小僧から何もかも奪う男を調査した。

 元々はこの男が小僧の技術を盗んだことが発端なのだ。

 あれは駄目だ。

 奴なら遠慮なくれる。

 後はいつ、どこで実行するかだ。



 ☆★

 (青風朔太郎視点)


 一通り遊園地をまわり終え、夕日が景色を赤く染め始めた。

 

 「遊園地って楽しいね」

 「実は初めてなんだ……遊園地に来るの。こんなに楽しいとは思わなかったよ。でもそれは、アイと十三さんが一緒だからなんだと思う。君が目覚めてから俺はずっと楽しいよ」

 「朔太郎……。私が目覚めて良かった?」

 「ああ。最高だ」


 真ん中をアイにして、三人が手を繋ぎ遊園地をぶらぶら歩く。

 

 この絵面はやばい。

 アイは目立つのだ。

 一人で歩いていても多くの人が振り返り、「あの子可愛いすぎ」といった声が、朝からずっと聞こえて来るぐらいなのだ。

 

 すれ違う人全員が避けて行き振り返る。

 注目の的というやつだ。

 周りからはどう見えているのだろうか……。

 十三さんとアイは全く気にしていないようだ。

 

 「そろそろ帰ろうか。まだ乗り足りないか?」

 「う~ん……大満足だよ。えへへ」

 「それは良かった。十三さん、そろそろ帰りましょう」

 「ああ」

 「あっ! 何かやってるよ。ほらっ。あれ、見て見て」


 アイが指差す方を見ると何かのイベントがあったのか。仮説ステージがあり、片付け始めたところのように見えた。


 「もうイベント終わったみたいだな」

 「まだマイク残ってるよ」


 アイは手を放しステージの方へ走って行く。そのままステージに上がり、マイクを片手に歌い始めた。

 おいおい自由だな。


 「小僧。お主は行かんのか?」

 「え? 俺がですか? あんなことできないですよ~。無理無理、絶対無理です。怒られませんか?」

 「そうか」


 そう言うと十三さんもステージの方へ歩いて行き、そのままステージへ上がってしまった。迷うことなくドラムセットの椅子に座り、アイの歌声に合わせてドラムを叩き始めた。


 「十三さん。うますぎじゃないか……?」


 片付けていた人も手が止まる。アイを止めようとする人は一人もいない。止めるどころか歌に合わせてピアノとギターが演奏が加わった。


 ――――ステージ上でアイが歌って舞う。


 ギターとピアノの人は、二人とも大き目のサングラスを掛けていて顔はよく見えなかったが、ギターは細身の男性。ピアノはぴっちりセンター分けの三つ編みの女性のようだ。ステージ上の四人は絶えずアイコンタクトを取り、とても楽しそうに見えた。息もぴったりだ。

 どんどん周りから人が集まってくる。すごい数だ……。スマホで撮影している人も大勢いる。

 おいおいおいおい。


 「あの子なんて名前?」

 「有名人?」

 「めっちゃ可愛い~」

 「本物の天使じゃん」

 「歌も踊りもうま~い」

 「可愛すぎだろ」

 「あの天使の輪はどこに売っているんだ」

 「歌姫降臨」

 「演奏もめっちゃうまいよね」

 「ドラムの爺さんも渋すぎる。手元が早くて見えんが」

 「これは伝説のライブになるぞ」


 アイの魅力が、みるみる周りに伝播でんぱしていく。

 

 アイ・・・・・・。

 俺は嬉しい反面、アイが遠い存在になっていく気がして……少し複雑な気持ちになった。


 一曲目が終わる。

 歓声がドッと湧き拍手喝采の坩堝るつぼ


 「ハァァァ……気持ち良かった~。みんな~聞いてくれてありがと~。まだまだいくよ~!」


 俺は茫然と立ち尽くし、ステージ上で輝く天使から目が離せなかった。



 結局アイは三曲を歌い上げた。


 ステージ上の四人は観客へ深々とおじぎをしてから、集まってハイタッチを交わしている。四人で喜びを分かち合った後、一礼して舞台の真ん中から飛び降り、俺の方へズンズン歩いて来る。

 モーゼが海を割ったように、アイの前に観客の道ができていき、アイが俺の前で止まった。


 「帰ろ。お兄さん朔太郎


 アイは俺の手を掴むと、観客の中を引っ張って行く。周りからは「誰だ」という声が聞こえて来るが気にしている余裕はない。


 「さっ走るよっ!」

 「お、おいっ――」


 心が弾む。

 君のその笑顔をずっと見ていたい。

 どうすれば君は喜んでくれるだろうか……。

 ずっと傍に居てほしい。

 こんな自分と一緒にいて君は幸せだろうか……。

 

 生きたい……。

 君と一緒に生きていきたい。

 これからも……。

 後三ヶ月も生きれないなんて……冗談じゃない!

 

  「あれっ——。十三おじさんは?」


 後ろを振り返ると、もみくちゃになりながらも、観客の波から抜け出そうとしている必死な顔の十三さんが見えた。


 「フハハハハ」

 「フフフフフ」

 

 アイと一瞬目を交わし、十三さんを指さして大笑いした。

 

 あ~楽しい。

 君が居るだけで、こんなにも世界は変わるのか——。


 「お兄さん朔太郎。十三おじさん。また三人で富士急ふじきゅう来ようね。すっごい楽しかった」

 「そうだな……また来よう」

 「ムハハ、儂の寿命があったら付きあってやろう」

 「絶対だよ! 約束だからね! ところで十三おじさん何歳なんですか?」

 「二百二十四じゃ」

 「アハハハ。な~にそのジョーク。おもしろ~い。十三おじさんは千歳でも生きてそうだから大丈夫だよ。フフフ」


 アイは『ハイッ』と言って小指を出す。


 「指切りしよ! ほらっ、二人とも手出して。ほら早く!」


 アイはぐいっと二人の小指を絡めとる。


 「指切りげんまん、嘘付いたら針千本飲~ます。指切った。よしっ!! これでもう約束破れないんだから。破ったら怖いよ~ イッヒッヒ」


 「次は泊まりで来ても良いかもな」

 「それ良いね良いね。じゃ~ついでに富士山を見に行って、温泉も入って―———」



 ずっとこんな日が続けば良い。

 そう思えた。

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