第5話 コマンダー
(
外はすっかり冷え込み、クリスマス模様が目につく季節。
電車内には、帰宅途中と思われる多くのサラリーマンが、
スマホを見たり、居眠りしたりしている。
「青風さん大丈夫かなぁ……」
車内の蛍光灯が反射して、開閉ドアの窓に自分の姿が写った。
赤い眼鏡にぱっつん前髪、真っ黒な髪が肩まで伸びている。
子供っぽい?
コンタクトに変えようかなぁ……。
考えたくはないが、私も四捨五入すればもう三十歳になる。働き出してから一年が本当に早く感じるようになった。『このまま年を重ねて良いのだろうか』と、どうしようもないことだが、焦りだけが強くなっていく。
「はぁ……嫌だ嫌だ」
あー今日も青風さんが心配で仕事が手につかなかった……。
「十日間も連続で有給を使うなんて、何かの事故とか病気で
開閉ドアの隅に寄りかかりながら、横にいる先輩の仙水さんへ聞いてみた。
「う~ん、どうせ仮病か何かだろ? だから浜辺もあんなの心配する必要ないと思うぞ」
「何だが冷たいですね。仙水さんは。それならどうして付いて来たんですか~? も~ぅ」
「冗談だよ冗談。心配だったんだよ」
この男……かなりのイケメンで女性達からの人気は高いのだが、私の好みではない。
むしろ嫌いだ。
彼も同じ職場で働いていて、青風さんとは同僚なのだが、仲良く話しているところなんか見たことが無い。
心配しているなんて嘘としか考えられない。
仕事が終わり急いで帰ろうとする私を見つけ、声をかけて来た。「青風さんの様子を見に行く」と言ったら、何故か付いて来たのだ。断ることもできず、二人で青風邸へ向かっている。
はぁ、一人で行きたかったのにな……。
何事もなく青風さんの家に到着し、インターホンを鳴らす。
「はい」
若い女性の声だった。
あれ、部屋間違えたかな?
「青風さんいらっしゃいますか?」
「朔太郎? いや違った。朔太郎お兄さんならいるよ~」
まさかの朔太郎呼びに心がザワザワと騒ぎ出す。
お兄さん……?
いや妹がいたなんて聞いたことがない。
「お前たち二人揃ってどうしたんだ?」
青風さんの声が聞こえた。
「どうしたんだ? じゃないですよ~。何だか……元気そうですね。会社もずっと休んでるし、電話も繋がらないし、心配して来たんじゃないですか~」
「そ、そうか……。迷惑をかけてしまったな、わざわざ来てもらって申し訳ない。大丈夫だから心配しないでくれ」
まずい。
このまま帰る流れになってる⁉
「な、鍋っ!! ほら見てください。鍋の材料買って来たんです。せっかくですし皆で食べませんか?」
スーパーの買い物袋を上げて見せる。
「鍋か……フフフ、悪くないな」
よし、初めて家の中に入れる。
どんな部屋なんだろう。
わくわくする。
オートロックのドアを抜け、エレベーターで六階に上がる。家の前まで行くと、玄関の扉が開いた。綺麗な長い髪にまず目を奪われた。肌も透き通り、見たことないような可憐な女の子が、青風さんの家から現れた。
「あ、あなた誰なんですかっ!!」
動揺して、つい強い言葉を発してしまった。
「そういうあなたこそ誰よ!」
「ご、ごめんなさい。びっくりしてつい言ってしまったの。許してください」
何なのこの子……。
全然似ていない。
絶対違う。
妹でないことだけは確かだ。
こんな若くて可愛い子が青風さんの彼女?
……なわけないよね。
それにしても……すごい髪の色。
……綺麗な色。
サラッサラッだし。
どこの美容院で染めたのかしら。
すごく似合ってるなぁ。
芸能人みたい。
「何やってるんだ。早く上がれ」
女の子の後ろから青影さんが現れた。
青風さんを一目見て気づいた。
いつも寝不足で目の下にクマを作り、何かに取り憑かれたように疲れていた顔が、憑き物が落ちたように穏やかに見えた。
いつもとは違いボサボサになった黒髪も綺麗にセットされ、髭もきれいに剃ってある。芋臭い眼鏡は黒縁の知的な眼鏡になり、薄汚れた白衣は真っ白い。
……何があったの?
まさか……この子のせいなの……?
再び心がざわめき出す。
「お、おじゃましま~す」
廊下の先には広々としたリビング。バルコニーへ続く窓からはスカイツリーが綺麗に見えた。アイランドキッチンが併設されており、二人掛けのソファと小さめの四人掛けダイニングテーブルが設置してある。
目を引いたのは部屋を取り囲むように設置された壁一面の本棚。壁という壁が、難しそうな研究用の本で埋め尽くされている。
「いつでもスカイツリーが見れるし、すっごい良い部屋ですね~」
「フフ。ありがとう。ここは実家なんだよ。こう見えてもけっこう築年数は経っているんだ。内装は少し手を入れているから綺麗に見えるかもしれないけど。スカイツリーも最初は良かったけど、もう見飽きてしまったよ」
「え~。夢の無いことを言わないで下さいよ~。これ研究用の本ですか? すごい量……」
「昔から本はけっこうあったんだけどね……。どんどん増えてしまってね。置き場所に困ってるんだ」
綺麗に掃除された部屋。
部屋の至る所に女性の痕跡が見てとれる。
もっと男臭い部屋を想像していたのに……。
あの子の影響なの……?
「さっそく鍋の準備しちゃいますね。ほんと土鍋があって良かったですよ~。もしかしたら、鍋とか持って無いかなと思ってました」
「使った記憶はないな。何かで貰ったような気がするな」
「そうなんですね~」
会話をしながら下準備を進める。
醤油ベースの鍋つゆを二つ土鍋にいれ、カセットコンロに火を入れる。豚肉をたっぷりと入れ、鶏肉のつみれ、白菜、しめじ、えのき茸、椎茸、豆腐、長ネギ、餅巾着など、どんどん投入していき、急ピッチで準備を進めた。
ダイニングテーブルに四人が座る。
「「「「いただきます」」」」
「いっぱい食べて下さいね。青風さん」
「ああ食べてるから大丈夫だ。久しぶりに鍋食べたけど、やっぱり旨いな」
「野菜もいっぱい入ってますから体にも良いですよ」
「おいし~い。浜辺さん、このお鍋美味しいです~」
ふとテレビがつけっぱなしになっていたことに気づいた。
何かの報道番組だろうか。専門家のような人が話している。『世界の人口は増加していくが、日本は少子化が加速し、二〇二〇年には一億二千万人いた人口が、二一〇〇年には四千万人に減り、二二〇〇年には七百五十万人にまで落ち込む。このまま何も手を打たなければ、日本人はいずれ絶滅するかもしれません』
みたいな内容。
誰も見ていないと思っていたが、仙水さんだけは興味深そうにテレビを睨んでいた。
「青風、そろそろアイちゃんのこと教えてくれても良いだろう?」
鍋は食べ終え、そのまま缶酎ハイを片手に、
仙水さんも、あの子のことが気になってるみたい。
じろじろ見てるし。
私もすごく気になる……。
もっと聞いちゃってください。
「何を教えてほしいんだ?」
噂のアイちゃんといえば、ソファの上で今人気のアイドル動画を見ながら、同じように振り付けを真似て歌っている。
……それにしても、何て絵になる子なんだろう。
ほんとその辺のアイドルより全然可愛い――――。
「あぁぁぁぁっ!! アイちゃんって今動画サイトで話題になってる子じゃないですかっ!? なんか遊園地で歌ってるやつ。めっちゃ再生数のびててすごかったはずです。あの子は誰だ? 天使がいるって、世間ではすっごい騒ぎになってますよ。どこかで見たような気がしたんですよね~」
「えっ……そうなの?」と青風さんはスマホ画面を確認し、顔を青くさせている。
「フハハハハ、気持ちは分からんでもないが……別に彼女が何者でも良いんじゃないか? 妹みたいなものだ。そんなに気にするなよ」
「気になります! 朔太郎って呼び捨てにしてましたし、きょ、距離も近いように思いました!」
どうしても黙ってられず言ってしまった。
「そういう子なんだ。見ていたら分かるだろ?」
「それにしても……あの頭につけている白いバニーガールの耳はなんなんだ? 出て来た時からずっと付けているが……まさか、おまえが無理やり付けさせているんじゃないだろうな?」
酎ハイをぐびりと飲み干し、仙水さんが問い詰める。
「ククク……そんなわけがないだろう。なんか気にいったみたいだな……今だけだよ」
「朔太郎さん! アイちゃんが良いんだから私もそう呼んで良いですよね? 私も桜子で良いですから」
ありったけの勇気を振りしぼって言った。私はいつになく、ぐいぐいと踏み込んでいる。
あの子の存在が私を焦らせている?
「いや、駄目だ」
「えっ! どうし――」
「コマンダー…………そう呼んでくれ」
「は……? コマンダー……? って何言ってるんですか! コマンダーって何……?」
「コマンダー朔太郎でも、まあ……ぎりぎりセーフとしておこう。私の名を呼ぶ時はどちらかで頼む! フハハハ」
「いつまで意味わからないこと言ってるんですかぁぁぁっ! もーぅ、私がどんな思いで――」
「コマンダー朔太郎!」
「コマンダー朔太郎!」
リビングでは、アイちゃんがノリノリで踊りながら、曲にあわせて『コマンダー朔太郎』で熱唱し始めた。
何なのよ……。
「青風……お前変わったな。まるで別人だと思うほどだよ。本当にあの青風か? それとも何かあったのか?」
「何馬鹿なことを行っているんだ」
「あの子がお前を変えたのか? そうだろ?」
「そんな訳ないだろう。少し意識を変えただけさ……。俺もこのままじゃ良くないと思ってな……。ところで桜子よ。さっきのは冗談だ。からかって悪かったな。名前など好きに呼ぶと良い」
桜子と呼び捨てにされた。たったそれだけことでドキリとした。
朔太郎さんは、昔からよく分からない事を時々言う。
独り言が多かったけど……。
彼が本当は頼りがいがあって優しい人だと私は思っている。
何かほっとけないというか、可愛いんだよね。
でも、今日の朔太郎さん……とっても格好良い……。
もともとスラッと背は高かったし。
身なりを整えるだけでこんなにも変わるなんて。
「……もう大分良い時間だな。今日はこれでお開きとしよう。二人とも今日はありがとな。鍋も旨かったよ」
「どうした青風、今日はえらく素直だし、よく話すじゃないか。本当に別人じゃないだろうな」
「素直? 俺が? ククク、我としたことが油断したわ。我が素直な訳がないだろう。この世界の真の支配者たる我と共に食事できた喜びを、馬鹿なお前達の頭ではすぐに忘れてしまうだろう。
「「……」」
「帰りますか?」
「帰ろう」
「フゥーハッハッハッ」
朔太郎さんの家を出て五分ぐらい経った頃。
朔太郎さんからメールが届いた。
内容は、
『少しだけ会って話せないか?』
『仙水には知られたくない』
えっ……!?
まさかっ……。
これって……告白!? 嘘っ!!
まさかね……。
ないない。
私の中で大きな期待と小さな失望が葛藤する。
朔太郎さんの家の近くにある小さな公園で、待ち合わせることになった。
待ち合わせ場所に行くと、既に朔太郎さんがブランコに座って待っていた。私も横のブランコに座る。
「桜子悪いな」
「どうしたんですか? 思い詰めた顔して」
すぐに分かった。
告白ではないと。
「頼みがあるんだ。桜子にしか頼めない。俺は友達なんていないから」
「聞かせてくれますか? 聞かないことには何とも答えられません」
「もし……、もしもの話だ……。もし俺に何かあったら……アイのこと頼めないか?」
「えっ?」
全く想像していなかった話に少し理解が追いつかない。
「何かあった時って何ですか?」
「例えば……俺が死んだ時だ」
「――――!? どういうことですかっ!? 何か重い病気なんですか?」
「いや、そういう訳ではないんだが……。例えば事故とか。お金は用意する。簡単に死ぬつもりなんか無いんだ。念の為だよ。無理する必要は無いんだ。桜子にできる範囲で良いから。アイを気にかけてやってくれないか? 頼む」
深刻な表情で頭を下げた。
「……」
「アイさんとは、どういう関係なんですか?」
「……身内みたいなものだ。今は詳しく言えないが、もし、その時が来たらアイから直接聞いてくれ」
「……分かりました。何かあった時は気にかけます。それで良いですか?」
「本当かっ!? ありがとう!!」
とても嬉しそうな顔。
こんな顔もするんだ……。
あの子のためだよね……やっぱり。
そんな大事な存在なの……。
まぁ……しょうがない。
朔太郎さんにあれだけ頼られたんだ。
断るという選択は、最初から全く無かった。
「でも、本当に死なないでくださいよ」
「分かった。桜子——ありがとな」
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