第6話 天才の証
アイが目覚めて一ヶ月が経った。
人生で一番楽しい一ヶ月だったと言って良いだろう。
俺に残された時間は後二ヶ月。
それまでに何とか対策を考えなければならない。
アイを自宅に残し、研究資料を全て破棄するために研究所へ向かう。
寒い夜に雨がポツポツと降っていた。
新しくなった入口の扉を開けようと、鍵穴へ手を伸ばした時、中から
間違いなく中に誰かいる!
どうする!?
警察に通報しようかとも考えたが待てなかった。俺の聖地を踏み荒らす賊を許すことはできなかった。死ぬのはまだ二ヶ月先のはず。震える体に鞭を打ち、中に踏み込み灯りをつけた。
「誰だっ!!」
――――ッ!!
そこに居たのは仙水。
二ヶ月後に俺から全てを奪う男だ。
「どうして、お前がここに居る――――仙水!」
「青風……」
「もう一度言う。何故お前がここに居る?」
「青風、あの子のことは世に発表しないつもりか? お前が作ったんだろ? とぼけても無駄だ。俺の目はごまかせないぞ。あれがどれだけすごいことか、分かってるいるのか?」
「質問を質問で返すな。馬鹿者!!」
まさか……。
運命の日が早まっているのか……?
くそっ!!
この状況で逃げ出すそぶりもなく、堂々としやがってっ!!
「世に発表しようがしまいが、お前には関係ないだろ! 俺の自由だ!」
「青風、今の日本をどう思う? 腐っていると思わないか? これからの若者達に未来はあるのか? 俺はもう駄目だと思っている……。いや、思っていた」
はっ?
今の日本……?
いきなり何なんだ?
何を言っている……。
おかしくなったのか?
「この国はもう既に、『負の連鎖』の中から逃れられない所まで来ている」
更に仙水は悠然と話していく。
「……人口減少や高齢化が、『経済の低成長』と『現役世代への負担』をますます重くしている」
「……国の
「……高度な人材はどんどん海外へ流出し、低技能労働者の所得水準は低下の一途をたどり、それは子世代へも連鎖していく」
「……低所得者はますます増加し、働く場所は外国人やロボットに追われ、ますます少子化は加速する」
「……そして、貧富の差はどんどん開いていくのだ」
「……これはもう『負の連鎖』だ!! まだまだ問題は山積みだぞ。こんなもの一端でしかない。こういった問題を把握しているにもかかわらずだ!! 政治家を含め、みんな危機感は薄く楽観的、誰かがいずれ解決するだろうぐらいの感覚。誰もが現実から逃避し見ないようにしている。他人事だ。この国は本当に大丈夫なのか? なぁ……教えてくれ。青風」
こいつはいったい何を言っている……?
気でも狂ったか?
「……知るか! そんなことを俺に聞くな! お前のいうとおりの問題があったとして、それと今の状況はどう関係があるんだ?」
「お前も分かっているんだろ? お前が作り上げたものは、人類にとって天使にも悪魔にもなり得る存在だ。未来を切り開くポテンシャルを
「フハハハハ。で何だ? ご大層に日本の将来を
「そうさ……。あの子を見た時は、天啓を受けたような衝撃を受けたよ。まるで人間のようじゃないか。あの愛らしい笑顔、自由に判断し行動する。そういえば鍋も普通に食べていたな……。まさか……食ベた物をエネルギーに変換しているのか……⁉ お前はすごいよ。すごい奴だよ本当に。誰もできなかったことを一人で成し遂げたんだ。素直に尊敬する。そんな天才のお前に聞きたい。どうしたら良い? どうすれば抜け出せるんだ? この先のない未来を」
完全に開き直りやがって、この馬鹿野郎……。
まるで罪悪感がない。
本当にどうしてしまったんだ……。
ここまで追いつめられていたのか……?
「で、俺の研究を使い何を企んでいる?」
「フフ、それは秘密さ。どうせお前のことだ。あの子は
そう言った仙水が、右手を差し出しながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。
握手しようとでもいうのか?
協力した振りをしてみる?
今のこいつは何するか分かったものではない。
近づくのは危険だと俺の中で警鐘が鳴っている。
「そこで止まれ!」
時間を稼ぐか……。
「ククク、この天才の意見を聞きたいと言ったな。
「みんな今を必死になって……懸命に……死にものぐるいで……生きているんだ‼ 自分のことだけで精一杯なんだ‼ 他のことにかまっていられないほどに……」
「そんな余裕なんかないんだよ。誰もが自分や家族が一番大事なんだ。自分のことも満足にできていないのに、他のことに力を
「ましてや、政治家でもない一般人が何とかできる問題なのか? ……難しいだろう。お前がいう問題は即座に解決できるような
「……」
「生き抜くことは過酷だ! まあ……そればかりではないが。誰もが不安になり、悩み、苦しみ、時には挫折することもあるだろう。もう既に絶望の中で打ちひしがれている者もいるのだろう。もがきながらも、少しの楽しみや希望を見つけ、笑い、喜び、学び、恋をする。人間は一喜一憂しながら成長していく生き物なんだよ」
「……」
「そもそも問題を抱えていない、そんな完璧な夢のような国なんて存在するのか? ……ないだろう。確かに……お前が言う問題はあるのかもしれない。本当に危機迫る一歩手前までいかなければ、学習しないのかもしれない。でも……それでも俺は乗り越えられると……信じているよ」
「日本が駄目? 本気で言っているのか? これほど安全な国がどれだけある!? これほど思いやりが溢れている国がどれだけある!? これほど安くて旨い食べ物が
「……」
「……ご高尚なお前からしたら、楽観的で危機感が薄いように感じるのかもしれないがな。でもな、こんなところでコソ泥をしているお前に、そんなえらそうなことが本当に言えるのか? 俺には、こんな
「……」
「協力はしない!!
「馬鹿な! なぜ分からない……」
「ククク、何回でも言ってやる。馬鹿はお前だ仙水! お前も研究者の端くれだろう。どうして人の研究を盗む。どうして自分自身で研究しない。意地もプライドも捨て去ったのか? もう諦めてしまったのか? 自分の未来に不満があるからといって、問題をすり替えるなよっ!! 何が『日本の未来』だ……。笑わせるなっ!! このコソ泥が」
「うるさいっ黙れっ!!」
静けさが戻り辺りを包む。
仙水と睨みあい、一触即発の事態だ。
熱くなって、つい言いすぎてしまった。
危険だ……。
どうする?
どうすれば良い?
何か武器はないか……?
「朔太郎さん……?」
突然後ろから女の声が聞こえ、思わず振り向いてしまった。
「桜子っ!! どうしてここっ――――ッ!!」
言い終わる前に、突如、横腹に激痛が走った。
「うぐぅ…………」
狂気じみた顔の仙水が、俺の横腹をサバイバルナイフで貫いていた。
くそっ!
油断した!
「朔太郎さんっ!!」
桜子が駆け寄ってくる。
「フヒヒヒ、お前が悪いんだぞ青風。素直に従わないからこうなるんだ。……浜辺を呼んでおいて正解だったよ。こんな形でうまく
これは……致命傷か……・。
こんな馬鹿野郎に殺されるとか、まったく笑えねえ冗談だ……。
くそっ、これからだった……。
俺の人生は始まったばかりなのに……。
アイの顔が浮かんでくる。
手で傷口を押さえるが、ドクドクと血が湧き上がって止まらない。
「安心しろ青風。お前の研究は全て俺が有効に活用してやる。あのアイとやらも俺が可愛がってやるよ。クヒヒヒヒ」
糞野郎がアイの名を口走った瞬間――。
耐えられない怒りが体の中で
腹の痛みなんか関係なかった。
――殺す。
「ウオァァァアアアアアアアアア!!」
糞野郎に突進し、全体重を乗せて右拳を奴の鼻頭に叩きつけた。奴は「フゲッ」っと後ろの機械に背中をぶつけ、そのままずるずると座り込む。俺は奴の髪を両手で掴み、再び鼻頭に膝を喰らわせ横に引き倒した。馬乗りになって、何度も何度も右拳を顔面に叩き込む。
「ハァハァ……その汚い口でアイの名を語るなよ!! アイは……アイは……誰にも渡さないっ!! アイは……俺のものだぁあああああああ!!」
奴の顔面はボコボコに腫れ上がり、鼻の骨は砕け鼻血もドクドク流れている。奴の意識はもう無いが止まらない。何度も何度も何度も殴りつける。怒りで制止できない。
「朔太郎さんっ!!」
桜子の声でようやく我に返った。
「ハァ……ハァ……ハァ……ここまで……か……」
刺された傷口からの血が止まらない。白衣が血でひどい有様になっている。我慢できず倒れるように仰向けになった。
アイよ……。
傍にいてあげられない俺を許してくれ……。
願わくば最後にもう一度、顔を見たかった……。
無念だ……。
やっと君と出会えたというのに……。
生きたい……。
死というのは、こんなに怖いんだな……。
「朔太郎っ」
――――ッ!!
意識が遠のいていく中、アイの声が聞こえた。
よく通る綺麗な声だ。
すぐわかる。
フフ
泣いているのか……?
桜子も横で泣いている?
駄目な俺の最後としては……悪くない……。
二人の美女が看取ってくれるなんて……ああ、悪くない……。
上出来だ……。
「ちょっと目を離した隙に何でこんなことになってんのよ! しっかりしなさいよ! 私を独りにしないでよ……。目を開けてよ……お願いだから!」
「救急車呼ぶね」
「今からじゃもう間に合わない。私が絶対助けるから!!」と言いながらも、アイは処置を既に始めている。
おそらく俺はこのまま死ぬだろう。
助からない。
自分のことは自分が一番よく分かる。
破滅の未来を変えることはできなかったのか……?
十三さん……すいません……。
もうそろそろ限界だ……意識が保てない……。
ゆっくりとアイの頬に右手を伸ばす。
「アイ……ハァハァ……自由に生きろ……。どうか……人を……嫌わないでくれ。ハァハァ……アイ……君は……俺の誇りであり、この天才の証だ。……アイ……君と出会えて……良かった……心から愛して……い…………フハハ……ハ……」
「だめぇぇぇええええええええええ。ぐすっ……目を開けてよ。死なないでぇぇぇぇぇ。独りにしないでよ。ぐすっ。んぐっ。朔太郎ぉぉぉおおおおおお!!」
そこで意識を手放した。
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