第7話


 *


 馬車に乗っている間、レイルの謎のレッスンが続いていた。

 手を握ったり恋人つなぎをしたり、近距離で見つめ合ったりと次々に指示が飛んで来る。


「――はい、そこは本番だったら手にキス(ふり)ね!」

「――うーん、その場合だったら頬にするのがいいな!」

「――さりげなく、あくまでさりげなくがイイんだよ!」


 レイルはものすごく絶好調だ。


 そんなシチュエーションをよく思いつくなというのをどんどん言い出しては、恋人らしい仕草の指導が入る。


 一生懸命やっているルティとは反対に、オーウェンは時間が経つにつれげっそり感が増している様子だ。


 幾度となく中止を呼びかけ、その度にレイルに叱咤激励されていた。これではどちらの立場が上なのかわからない。


「よーし、じゃあ次はオーウェンの肩に寄りかかって、ルティ嬢が寝てしまうシチュエーションを、と思ったんだけど。どうやらもうすぐ到着だね」


 気がつけばルティたちは首都の関門に到着していた。オーウェンが助かったと言わんばかりに目頭を押さえている。


 ルティもやっと解放されたと肩の力を抜いた。


 首都は外海に繋がる豊かな湾があり、周辺に点在する大小の島々との交易も盛んな場所にある。


 ここは王弟殿下が中心になって治めていて、王都に並ぶこの国きっての賑わいのある場所だ。


「いいかい、二人とも。忘れちゃいけないけれどここからは本番だよ。今までの演技に加えて、今度はガッツリな触れあいとキス(ふり)を加えてね!」

「本当にやるのか……」


 いまだにオーウェンは乗り気じゃないようだが、ルティは「頑張ります!」とこぶしを握った。


 そろそろかな、とレイルが小窓から顔を出すと、オーウェンの住まいであるクオレイア家の外玄関に到着していた。


 ルティもほんのちょっと顔を出して、屋敷を見る。


(わ、すごいお屋敷!)


 目の前に現れたのは、立派な造りの邸宅だ。視界の端まで続く塀に囲まれており、豊かな緑の広がる庭が見える。


 ここから正面玄関までは、このまま馬車で移動だというのだから広さの桁が違う。


 王都にあるオーウェンの両親の住まいはもっと広いのだとレイルが教えてくれたが、これ以上に広い屋敷などルティには想像ができなかった。


 いよいよだなと気を引き締めていると、はたとオーウェンが目を見開いた。


「そうだ。挨拶があるから普段着ではなくイブニングドレスじゃないと……一度馬車を停めよう」

「イブニングドレスですか? ありませんけど……」


 それを聞くなり、和やかな雰囲気からいっぺんし、オーウェンは渋い顔になる。彼女の事情を察したオーウェンは言葉を呑み込んだ。


「……そうだったな」

「ですが修道長シスターに言われて、母が着ていたカジュアルドレスを持ってきました」


 オーウェンはうーんと唸った。


「事情が事情とはいえ、初顔合わせなのに……」


 ぶつくさ呟いてから、オーウェンはさらになにかに気付いたようだ。


「そういえば、侍女はどうしたんだ?」

「むしろ、私が侍女みたいなものです」


 ついにオーウェンは険悪な目つきになった。ルティは気まずくて視線を泳がせる。


「……そういえば、貴族令嬢って侍女とか必要でしたね」


 高貴な身分に仕える使用人たちは、多かれ少なかれ、相手の見栄えでどういう人かを判断する癖がある。侍女がいないとそもそも話にならないと思う人だって多い。


 ましてや、修道女であるルティのことを、元貴族とはいえ軽んじるものもいるかもしれない。


 そうなってくると、本当に恋人なのかと疑問を持たれかねない。付き添いの一人でも居ればよかったのだが、そこまでルティも頭が回らなかった。


 それに、ルティが伯爵令嬢だったのは小さい頃の話だ。


「どうしましょう、修道院の生活が長くて貴族感がすっかり消えていました!」

「どうにもこうにも……わたしもなんで気付かなかったんだ」

「まあまあ! 二人とも落ち着いて」


 レイルが止めに入ってくれて、オーウェンはいったん自分への怒りを収めたようだ。


「それより、どうにかしなくっちゃ。急いで考えよう!」


 すぐさま三人は頭をひねって考え始めた。


「ひとまずルティ嬢がゲストルームに到着するまでの間、誰にも見られないようにするというのでどうだろう」


 オーウェンとレイルの視線がルティに集中した。


 絶対にこの格好で屋敷を歩かせてはならない、という並々ならぬ決意を二人から感じる。『恋人』が偽物であるとは、微塵も疑問を抱かせてはならないのだ。


 それは、ルティが修道院から来たとわかりきったことだったとしても。


 荷物に紛れ込ませる、裏口から入る、やっぱり今からドレスを買いに戻るなどなど、たくさんの案が出た。しかしどれも今からでは無理だ。


 ルティが入るサイズの荷物入れはないし、裏口からコソコソ行くと怪しまれるかもしれない。今からドレスを買いにいくにも、そろそろ店じまいも近い夕方。


 よい案が見つからないまま、刻一刻と、正面玄関が近づいてくる。


 オーウェンは自分のミスだと渋い顔をしているし、レイルも先ほどの勢いはどこへ、やら頭を抱え込んでしまった。

 ルティは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


(でも、歩かず、服が見えなければいいのだから……)


 ルティは恐る恐る挙手する。


「あのー。私が緊張と疲れで寝てしまったことにして、毛布でくるんで部屋まで運ぶというのはどうでしょう?」


 その提案に、レイルが名案だとばかりに頷く。すかさずオーウェンが眉をひそめつつ口を開いた。


「それだと運ぶ人間が必要だが、もしかして君は、わたしにそれをやれと言うんじゃないだろうな?」


 ルティは少々申し訳ない気持ちになりながらも「はい」と素直に返事をする。


 オーウェンは、魚の骨が喉に刺さった時のような、なんとも言えない顔をしていた。

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