10、誘い
言葉は途絶えた。
夕闇の下、緊迫感ばかりが場に満ちる。
そして、その圏外においてカナヤはただただ頷いていた。
(そういうことでしたか)
全てが腑に落ちたのだった。
テオとエラルドの関係性が理解出来、自らの嫁入りの理由まで知ることが出来た。
となると、こうして隠れ聞いている必要はもう無いのだった。
カナヤは軽く首をかしげる。
(これからどうしましょうか?)
実際はどうするも何も無かった。
この場には不穏の気配が漂っているが、それはカナヤには関係の無いことなのだ。どうでもよい他人同士のどうでもよい
どうせ大したことにもならないのだ。
テオはエラルドに敵意を向けられ、6人ばかりの屈強な男に囲まれてしまってはいる。だが、彼は腐っても伯爵位にある人間だ。
(お父様もまさかですよね)
テオを本気で害するという蛮行には打って出ないはずだった。そんなことをすれば、エラルドがどれだけ偉い公爵であったとしても問題にならないはずが無い。
そもそも、テオが折れるに違いないのだ。現状は彼にとって窮地と呼べるものであり、それ以外に選択肢は無いはずだった。
(さっさと折れなさいな)
彼もまた、関わるだけ無駄な1人ではある。
だが、カナヤはそれでも一応その判断は見届けることにした。
木陰から伺い続ける。
最初に口を開いたのは、今まで通りにエラルドだった。
「これ以上、言葉を費やすことは無駄か?」
テオは頷きを見せる。
「響くところは正直ございませんな」
「そうか。では、仕方あるまい。私は忙しいのでな」
エラルドは男たちに目配せをした。
すると、それに応えて2人の男が動き出す。
体格が特によく、さらには剣呑な雰囲気をたたえた2人だ。それぞれの手には、太い木剣が握られている。
(これで折れるでしょうね)
テオが折れるきっかけとしては十分のように思えた。
だが、カナヤは戸惑うことになる。
テオに動揺は見えない。
淡々として揺るがない背中がそこにはある。
「……はぁ。足が痛むというのにまったく」
嘆き節がもれ伝わってきたが、そこにも目前の暴力に対する恐怖のようなものは無いようだった。
「やれ」
エラルドが告げる。
カナヤが「あっ」と思わず声を上げる中、2人の男がテオに襲いかかり……
「え?」
カナヤは唖然と見つめることになった。
一体何が起こったのか分からなかったのだ。気がつけば、男たちの手に木剣は無かった。1本は地面に、1本はテオの片手。そして男たち自身は、腕や脇腹を押さえてうずくまっている。
「……神も面倒なことをなさる。才能の無用なほどこしが、小物を無駄にのさばらせる」
エラルドが憎々しげに言葉を吐き出した。
一方でテオは平然としたものだ。
悠々と剣先を下げる。
「この程度が出来なければ職務に支障がございましてな。そろそろ帰らせていただいても?」
どうやら、折れずとも彼が危害を受けることは無さそうである。
そう思えた。だが、カナヤはエラルドの表情に目を凝らすことになる。
彼は憎らしげではあった。しかし、窮しているような雰囲気は欠片も無い。
「では、次だ」
エラルドはそう短く口にした。
応えて、ひとりの男が前に出る。
先ほどの男たちとは違う。体格はさほどでは無く、暴力慣れした雰囲気も無い。
だが、妙な気配があった。
それはカナヤがよく知るものだ。
夕闇に火の粉が散ったように見えた。
あっ、と思わず声を上げる。
(魔術……っ!)
あとは予期した通りだった。
炎が膨れ上がったかと思えば、それが波となって動き出す。
それはまたたく間ににテオを呑み込んだ。
数瞬して、夕闇が戻る。
そこには地面に膝を突くテオの姿があった。
エラルドの得意げな笑い声が響く。
「ははは、愉快だな。多少腕に優れたところで、学院の魔術師にかかればこんなものか」
彼は、動けないテオに向けて意気揚々と一歩を踏み出す。
「身の程を知ったであろう? 今度こそ、快い返事も出来ような?」
テオは炎にまかれて言葉も出ないようだった。
ただ、意思は示しているようだ。
彼は顔を上げていた。
そこにある表情は何なのか? エラルドの不快に歪んだ表情が如実に物語っている。
(は、早く折れなさいってば!)
カナヤは思わず前のめりだった。
これ以上、彼が意地を張ればどうなるのか?
そんなことは火を見るよりも明らかだ。
エラルドにテオを害することへのためらいは無い。今度は膝を突く程度ではすまないことだろう。
(わ、私なら……)
あの程度の炎であれば、ふせぎ切るなど造作も無い。
体は勝手に木陰から出ようとしていた。
だが、すんでのところで留まる。
カナヤは頭を左右に振る。
(そこまでする必要はありません。まったくありません)
関わったところで意味の無い『誰か』。
彼はその1人なのだ。
助けたところで意味は無い。
損をするだけ。あるいは、自らが傷つくだけだ。
だが、不意に昨夜のテオの表情が頭に浮かんだ。
彼は終始、真摯な表情をしていた。だが、きっとそれも嘘偽りだった。本心ではカナヤを侮蔑していたに違いなかった。
なにせである。カナヤ・エルミッツとはそんな存在であり……
「しかし、アレは役に立たんな」
エラルドの一言に、カナヤの意識は現実に引き戻された。
思わず注視する。
エラルドは非常に見覚えのある表情をしていた。いつも目の当たりにしてきた、あの嘲笑を浮かべていた。
(あっ)
カナヤは察したが、彼は別らしかった。
「……アレ?」
テオは苦痛のにじんだ声で疑問を発した。
エラルドは嘲笑のままに口を開く。
「アレはアレだ。分からんのか? 貴様の屋敷においても、さぞ本領を発揮しているのだろう?」
ここでようやく彼に理解が生まれたらしかった。
「……もしやカナヤ殿のことと?」
エラルドは嘲笑に呆れをにじませる。
「もしやも何もあるまい? 娘とも思いたくはないあやつのことだ。しかし、まったく。ここまで足を引っ張られるとは」
濃厚なため息が、侮辱の雰囲気をともなって響く。
「はぁ。アレさえやれば、一門にさえしてやればと思ったのだがな。現実はコレだ。貴様もよっぽどアレが気に入らなかったと見える」
テオは首をかしげたようだった。
「おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
「とぼけるな。一門に迎えてやったというのに、その反抗的な態度。他に何の理由がある? まぁ、その点については謝罪をしてやろう。貴様が不満を覚えたところで、それはまったく自然のことだからな」
エラルドは不快そうに夕闇の虚空を仰ぎ見た。
「思い出すのも不愉快だがな。容姿が醜悪であれば、性格も陰気で人を不快にさせるものでしかない。アレに関しては、万人をして無価値と口を揃えるしかなかろう」
そして、彼は何を思ったか。
テオに対して、同情らしき笑みを向けた。
「分かった。やはり私にも非はあったな。貴様にはあらためて一族からまともな娘をみつくろってやろう。これで不満はあるまい? さぁ、良い返事を寄越すがいい」
木陰にて、カナヤは小さく頷くのだった。
(……そうです。そうでしょうとも)
エラルドの発言は、いちいち全てが正しかった。
容姿は醜悪。
性格も社交的とはほど遠い。
愛想も無い。
人を不快にすることしかあり得ない。
よって、テオの本心もそのはずだった。
昨夜の発言は全てが虚偽。
きっと内心では、エラルドの言葉に頷きしかないに違いない。
窮地でもあれば、願ってもない申し出なのだ。
きっとテオは頷きを見せる。
肯定を口にする。
そう思って耳を澄ます。
そして、
「……まったく。そういうところだぞ、ノルヴァ公爵」
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