11、選択

 カナヤは首をかしげる。

 テオの発言は予期したものではまったく無く、さらにはまったく意味の察せないものだった。

 エラルドも同様らしく、眉をひそめて首をかしげる。


「サルニア伯爵。一体何を言いたい?」


 テオは木剣を杖にしてゆっくりと立ち上がった。その上で、いつもの淡々とした声音を響かせる。


「失礼ながら、分かっていらっしゃらないと思いましてな。カナヤ殿が万人をして無価値であると? 閣下はまことにそう思っていらっしゃると?」


 エラルドはいぶかしげに頷いた。


「他にどう言えばよい? あまりふざけるなよ、伯爵」

「その思いは私の方にこそですがな、公爵」

「なに?」

「彼女ほどの貴婦人が他にどこにいるのか? グレジールなどと生家よりもはるかに劣る家に嫁がされ、しかし何ら動揺も無く、凛として名門の令嬢らしくあり続け……」


 彼は心底といった雰囲気で「はぁ」と息を吐いた。


「だからこそです。呆れさせていただきました。一体何に価値があるのか? 何を大事にすべきか? 分かっていないからこその現状でしょうな。私の追及などに遭うはめになる」


 エラルドに憎悪の表情が戻る。

 

「理解に苦しむ戯言ざれごとだが……私の提案を袖にするということか?」


 テオは当然とばかりに頷いた。


「えぇ。まぁ、痛い思いは嫌なので、少しばかり心惹かれましたがね。ただ、貴方の発言で心は決まりました」


 彼は木剣の切っ先を上げた。

 そのまま、エラルドへ向けて突きつける。


「まったくふさわしいとは思えませんが、一応私は彼女の夫ですからな。……このテオ・グレジール、妻を侮辱されて情けなくも引き下がる軟弱者では無いぞ」


 そこには彼らしい淡々とした雰囲気はなかった。

 剥き出しの憎悪と敵意。

 エラルドは間違いなく気圧されていた。

 顔を引きつらせ一歩後ずさる。

 だが、それ以上の後退は無い。

 目を怒らせて、テオをにらみつける。


「小物がふざけた物言いを……やれっ! 身の程をわきまえさせろ!」


 声に応え、男たちはいきりたつ。

 先鞭をつけるのは、やはり彼らしかった。

 学院の魔術師である男から濃密な魔力の気配が漂う。

 

 テオは身を低くして構えていた。

 おそらくは、魔術を避けた上で一撃を打ち込む覚悟なのだろう。

 上手くいくとは思えなかった。

 先ほどの様子から見ても、見て避けられるような代物しろものではまったく無いのだ。

 

 今度は膝を突く程度の威力ではすまないことだろう。

 よって……カナヤは動いた。


 木陰から飛び出し、魔術の風をまとって駆ける。

 跳躍。

 風に乗って、テオの正面へ。

 自身の登場に、彼は一体どんな顔をしているのか?

 気にしている暇は無い。

 すでに炎は轟音と共に迫ってきている。

 風をそのままに活かす。

 叩きつける。

 完全にまさった。

 炎は一瞬で散り散りとなり、夕闇の空にかき消えた。


 静寂が下りる。

 エラルドが怒りの表情を驚きに歪める。


「な、なんだこれは……なんなんだ貴様は!?」


 その問いに応える余裕はカナヤにはなかった。

 なにせ鼓動が痛いほどなのだ。

 慣れない修羅場に身を投じたことへの緊張感がひとつ。

 そしてなにより、こんな行動を起こした自らへの動揺がある。


(だって……だって仕方ないじゃないですか!!)


 そう、仕方が無かったのだ。


 カナヤは信じてはいなかった。

 テオの発言などはまったく信じられない。

 その場の勢い。

 エラルドに対する売り言葉に買い言葉のようなものだとしか理解していない。

 

 だが、それでもいいと思えてしまった。

 テオの発言に真実が無くともかまわない。

 彼を助けたいと思ってしまったのだ。


「……き、貴殿は? 貴殿は一体?」


 その彼が、カナヤの背後で唖然と声を上げた。

 すでに闇は濃く、さらにフードを目深まぶかに被っている影響だろう。

 闖入者ちんにゅうしゃの正体に気づいてはいないようだったが、カナヤにとってそんなことはどうでも良かった。

 背後の彼に対し、さらにその背後を指差す。

 その意味は十分に伝わったようだった。


「逃げろというのか……?」


 呼吸は荒く、言葉で応じる余裕は無い。

 カナヤはとにかくと頷く。

 意思は十分に伝わったはずだった。

 だが、


「ば、バカなことを! 貴殿が何者かは知らないが置いていけるものか!」


 と、非常に彼らしい返答があったのだった。


(は、早く逃げさないって!)


 そう願っても、彼に立ち去る気配は無い。

 仕方なくカナヤは意識をテオから離す。

 脅威はいまだ変わらずあるのだ。

 エラルドは敵意と警戒の表情を浮かべている。


「貴様、何者だ? 魔術師か? どうやら、テオ・グレジールの味方のようだが」

 

 彼もまた正体に気づいていないようだったが、その問いに応える余裕は無かった。

 カナヤはとにかく息を整えることに専念する。

 すると、エラルドは「ふん」と不快そうに鼻を鳴らした。


「まぁよい。いや、どうでもよい。まとめて分からせてやるのみだ」

 

 彼の目配せに応え、魔術師が頷く。

 再び魔力の気配が広がり、エラルドは得意げな笑みを浮かべた。


「貴様がどの程度か知らぬがな。この男は学院における首席だ。王国で随一と呼んでも過言では無い。身の程を知り平伏へいふくするのであれば今しか無いぞ」


 魔術師である男もまた得意げに頷く。

 学院における首席。

 カナヤは大きく目を見張ることになった。


(……え?)


 まじまじと見つめる。

 魔術師は変わらず得意げで、余裕の笑みさえ浮かべているが、


(あ……あの程度で?)


 カナヤは首をかしげるしかなかった。

 いわゆる嘘はったりなのではないか? 

 そんな疑いすら抱くことになった。

 魔術の最高峰である学院。その首席が行使したにしては、先ほどの魔術はどう考えてもお粗末だった。

 なんと言っても無駄が多すぎる。

 彼の費やした10分の1の魔力でも、先ほどの2倍、3倍程度の熱量は簡単に生めるはずだった。


(真偽は分かりませんが……まぁ)


 別に、どうでも良い話だった。

 彼が真実首席であろうが無かろうがどうでも良い。

 カナヤにとって大事なのは彼が大した魔術師では無いという事実であった。

 

 この場を切り抜けるための策は、簡単に思いつけた。

 早速、策に打って出る。

 魔力を練り上げ、無数の火の粉を虚空に泳がす。

 それを目にし、エラルドは明らかな嘲笑を浮かべた。


「なんだそれは? 威勢よく飛び込んできたわりには、そのような児戯こけおどししか……な、なに?」


 彼は絶句したが、それは眼前に広がった光景に対するものに違いなかった。

 カナヤは火の粉を膨らませ踊らせた。

 実家の書庫の時のような可愛らしい様子では無い。荒々しく、さらには目に見えての害意をともなって踊り狂わせる。

 いつしか火の粉は火炎となって渦巻き、ついには巨人の姿をかたどった。

 紅蓮の槍を掲げた無数の巨人。

 それらは、エラルドを含んだ男たちを囲み、無情に見下ろす。


 力量の差を見せつける。


 これが、カナヤがこの場を切り抜けるために選んだ手段だ。

 結果は、まず耳に飛び込んできた。


「ひ、ひぃ!?」


 悲鳴が上がった。

 屈強な男たちが腰砕けになり、救いを求めて這いずり回る。

 魔術師の男もそうだった。

 ただ、元凶であるあの男はかなり違った。

 

「ま、待てっ!」


 エラルドは身をすくませながらも、カナヤに愛想の良い笑みを向けてきた。


「さ、先ほどまでの無礼は謝罪しよう! どうだ? 貴殿には、いち魔術師としては望むべくのない栄達を約束する! サルニア伯爵などに手を貸す必要は無い! 私の手を取れ! ノルヴァ公爵たる私こそが貴殿が味方すべき人間だ!」


 カナヤはわずかに目を丸くすることになった。

 驚きがあったのだ。

 あのエラルドが、あれだけ嘲笑しか向けてこなかった父親が、今自分に哀願の目つきを向けてきている。

 

 ただ、それ以上の感情の動きは無かった。


 カナヤは彼を恨んではいなかった。

 貴族の娘として無価値であったことはただの事実。屋敷における扱いも、ある種当然のことに過ぎないと理解していた。


 だが……彼に対し、恨みとは別に思うところは確かにあった。


(このままではダメです)


 カナヤの意識は背後のテオにあった。

 この場をひとまず切り抜けたところで、きっと彼の苦難は終わらない。

 きっとエラルドは諦めず、テオに害を及ぼそうとしてくるだろう。


 それはダメだった。

 嫌だった。

 

 カナヤはエラルドに向けて一歩踏み出す。

 彼は一瞬安堵の笑みをうかべた。

 文字通りの歩み寄りだと思ったのだろうが、当然違う。

 彼の表情に困惑がよぎる。

 カナヤは無言だった。

 無言でエラルドに詰め寄る。

 彼は察したらしい。

 後ずさった。

 足がもつれたようだ。

 尻もちを突いて倒れる。

 恐怖の表情で仰ぎ見てくる。


「ま、待てっ! な、なにが、なにが不満だ! このエラルド・エルミッツがお前の後ろ盾になろうというのだぞ!」


 カナヤは立ち止まる。

 エラルドを見下ろす。

 何を告げるべきか?

 考えずとも言葉は生まれた。


「覚えておきなさい。私は貴方の敵です。貴方のすることを私は常に見ていますから」


 彼は目を見開き、「ひっ」と喉の奥で悲鳴を上げた。

 これで、おそらく十分だった。

 魔術を終える。

 炎の巨人たちはかき消え、夜闇が訪れる。

 すると、這いつくばっていた男たちが途端に動き出した。

 さすがに大貴族に仕える者たちであり、主人を見捨てるようなことは無いらしい。

 呆然としているエラルドを抱えると、おぼつかない足取りながらに必死で逃げ去っていった。


 すると残ったのは、彼らが置き去りにした馬車と闇夜の静寂、そして彼だ。


「……かような実力者が世にはいるのだな」


 振り返る。

 そこには当然テオがいた。

 カナヤは安堵の息を吐く。

 魔術の炎を浴びた彼だが、体調に異変はなさそうだった。

 彼は深々と白髪の頭を下げてきた。


「まずは礼をさせていただきたい。貴殿のおかげで私は窮地を救われました。しかし、まことに貴殿は? 素性をおうかがいしても?」


 ごくごく当然の疑問の声であった。

 隠すつもりも必要も特には無い。

 カナヤは、自身が自身であることを明かそうとし、


(……いや?)


 口を開く代わりに首をかしげることになった。

 疑念がよぎったのだ。

 はたして、自らの素性を明かしても良いものか?

 魔術が扱えることを明かすことはまぁ良いだろう。

 しかし、何故と問われたら?  

 何故、この場にいるのか?

 何故、助けてくれたのか?

 そう尋ねられて、自分はどうすれば良いのか?

 何を答えることになるのか?

 何を答えさせられることになってしまうのか?


「……あの?」


 テオが首をかしげて問いかけてくる。

 カナヤは「ひっ!?」だった。

 思わず悲鳴を上げ、次いで頬を押さえる。

 熱い。

 きっと鏡を見たくない様子になっている。

 

 もうこの場にはいられなかった。


「は? ちょ、ちょっと待っ……!!」

 

 テオの制止の叫びを背にして走る。

 彼は追いかけてもきたのだが、そこは魔術の分で勝ることが出来た。

 置き去りにして、いずこかの路地へ。

 背後を確認した上でカナヤは立ち止まる。

 膝に手を突き、「はぁ」と息を吐く。


(つ、疲れました……)


 間違いなくである。

 人生において、今日がもっとも疲れた1日だった。

 ただし、疲労感自体は不思議と無かった。

 代わって、胸中には妙な暖かさがある。

 不快感はまったく無い。

 それどころか満足感と言えばいいのか。

 ともかく、何かがあった。

 今までに得たことの無い何かが、確かに胸中には存在していた。


 何故か頬には笑顔が浮かんでくる。

 さて、であった。 

 カナヤは膝から手を離し歩き出す。

 グレジールの屋敷に戻るためであった。

 妻として、テオを屋敷で迎えるためであった。

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