9、真相

 どうやら睡眠不足が響いたようだった。


「……あらまぁ」


 目を開いて、カナヤは苦笑を浮かべる。

 器用なものだと思ったのだ。

 太い枝の上、樹の幹に身を預けて上手に寝入っていたようなのだ。

 眠たい眼をこすり、わずかに視線を上げる。

 爽やかな木漏れ日はそこには無く、目に痛いほどの赤が視界に飛び込んできた。


(また寝すぎね)


 目を細めつつに呆れるしかなかった。

 夕方までぐっすりだったらしい。

 その理由は何かと考えることになる。

 慌てて走ったことでも影響があったのかどうかだが、


(そう言えば)

 

 カナヤは思わず目線を下げた。

 夕日から、目の前の建物に目を移す。ずいぶん時間が経ったが、今朝の目的はまだあそこにいるのかと気になったのだ。

 

 テオはまだ、今朝と変わらずそこにいた。机に向かっているが、帰宅の時は近そうだった。

 彼は机上をきれいにまとめているところだった。それもどうやら終わったらしい。立ち上がり、すぐに部屋からテオの姿は消えた。

 次いで現れたのは、建物の出口だ。そのまま淡々とした足取りで城壁へと向かっていった。


(……戻りましょうか)


 カナヤは木から飛び降り、テオの後に続く。城内の敷地を進み、城壁を飛び越え大通りへ。引き続き、彼の背を追う。

 行っていること自体は今朝とは変わらなかった。ただ、カナヤの胸中はその時とはまるで異なっている。


(まぶしい……)

 

 テオの後ろを歩いてはいるものの、意識は彼には無かった。

 ぼんやりと夕日を眺めながらに歩を進める。

 もはや、カナヤにテオについて考えるつもりにはなれなかったのだ。

 妙な高揚感はすでに無い。

 代わって胸にあるのは、実家で抱き続けてきたものと同じ静寂だ。


 カナヤは実家での生活を思い返していた。

『誰か』に関わることに意味があったのかどうか?

 無いのだ。

『誰か』を信じてどうなったか? 期待を抱いてどうなったか? 媚びて何か変わったか?


(……本当、ばかばかしい)


 すでにグレジールの屋敷はほど近い。

 人家の気配は遠く、まばらに植えられた街路樹と舗装ほそうの悪い道路ばかりが目立つ。

 その中で、テオは淡々と歩みを進めている。

 思わずカナヤは小さく鼻を鳴らす。

 間違いなく彼も同じだった。今まで出会ってきた『誰か』と変わらない。


(関わったところでどうせ……え?)


 物思いは不意に途切れることになった。

 理由は目の前の光景にある。

 閑散とした通りに2頭立ての馬車が2台現れたのだが、その挙動が問題だった。

 その2つの馬車はテオの進路をさえぎって停まった。

 テオの足が止まる。

 カナヤも同様に立ち止まることになった。

 一体、何が起きているのか?

 動揺していると変化が現れた。

 1つの馬車の扉が、御者の手によって開かれる。そこから現れたのは、カナヤがよく見知っている者だった。


(……お、お父様?)


 それ以外には見えなかった。

 神経質な顔つきをした、長身の壮年。

 エラルド・エルミッツ。

 彼は不快そうに鼻を鳴らした。


「わざわざ来てやったぞ、サルニア伯爵」


 その声と前後して、もうひとつの馬車の扉が開く。

 屈強な男たちが、数えて6人。姿を見せたかと思えば、テオを囲むような動きを見せた。

 

 カナヤは自然思い出すことになった。

 自らは何故、テオにつきまとうことを決めたのか?


 一方で、その当事者であるテオだ。

 彼はわずかに自らの足に目をやったようだった。逃げられないとでも判断したのかどうか。彼は、背後から分かるほどに肩をすくめた。


「ふむ。これはノルヴァ公爵閣下。わざわざご足労をいただいたようですな」


 どこか皮肉げに響く言葉だったが、それが彼には不満であったらしい。

 エラルドは眉間に深々とシワを刻んだ。


「貴様のおかげでな。我が屋敷への招待を、ことごとく断りおって。不遜ふそんであり不敬極まりないぞ」


 テオはいつも通りの淡々とした口調で応じた。


「申し訳なくも、断れば力づくでという使者の方々でしたので。応じるのはさすがにためらわれましたが……」


 テオは軽く周囲を見渡した。

 カナヤも思わず彼の視線を追随する。

 そこにあるのは、人気のまるで無い王都の郊外の光景だ。


「よほど余人に聞かせたくない話をされたいようですな。やれやれ。私としては、王宮の応接間でも借りての後日が良いのですが」

 

 テオの言葉通りであれば、エラルドはテオと内密の話がしたいらしい。

 カナヤは慌てて街路樹の陰に隠れる。

 排除されることを恐れたのであり、さすがに無関心ではいられなかったのだ。

 テオとエラルド。

 夫と父。

 テオの怪我の原因がエラルドにあるのは間違いないように思えるが、2人の間に何があったのか?


 エラルドが口を開く。


「端的に伝えさせてもらう。邪推と悪意に満ちたその妄動を今すぐに取りやめろ」


 カナヤは「妄動?」と首をかしげることになる。

 一方のテオにとっては疑問の余地の無い発言らしい。ふむ、と平然と声をもらす。


「妄動とはなかなかの物言いですな」

「それ以外に何がある?」

「ただの事実と申しましょうか。貴殿に見放された領民も、強権により搾取さくしゅされた商人も私の妄想の産物ではありませんからな」


 カナヤはまた思い出すことになった。

 テオが任じられている職務とは何か?

 エラルドの表情がより剣呑に染まる。

 

「妄動だ。お前の言うような領民も商人も存在せん」

「では、閣下の屋敷を訪れていた彼らは何者でしょうか? 窮状を訴えていた彼らは一体何者か? ご存知無いはずはありませんでしょうに」


 実家の書庫での記憶がよみがえる。

 時折怒声が聞こえたものだが、それは一体いかなる理由があってのものだったか?


(つまり、お父様は……)


 絶大な権力を持つ貴族として、その地位にふさわしくない行いに手を染めてきた。

 おそらくはそういうことだった。

 ただ、当人の理解は違うらしい。

 エラルドは苛立たしげに舌打ちをもらす。


戯言ざれごとを言うな。あの連中こそがまさに妄動の輩。私にありもしない非を求め、強欲にその償いなどとわめきおる。語るに値しない存在だ」

「それこそ妄想では?」

「事実だ! そして言っておくぞ。貴様の行いはまったく無意味だ。いくら証言を集めたところで結果は変わらん。陛下が私を罰することなどありえんぞ」


 その発言は、カナヤには事実に思えた。

 エラルドの表情が物語っているのだ。

 テオへの苛立ちを感じさせる表情ではあるが、そこに焦りの色はまるで無かった。

 テオはすぐさまに頷いた。


「でしょうな。私程度がいくら奏上そうじょうしたところで、閣下は陛下と懇意ですからな。何も動きは起こりますまい」

「なんだと? 分かっているのか? ならば……っ!」

「ですがまぁ、閣下の政敵はそうとは限らないでしょうな。私の情報に乗じて、閣下に仇なしたい者は必ずいる。だからこそ、閣下はこうして私に妄動を止めろと迫っておられるのでは?」


 これもまた事実のように思えた。

 エラルドの表情から余裕が消え、憎々しげな表情が戻ってくる。


(……なるほど)


 状況が理解出来てきたのだった。


 どうやら、テオはエラルドの横暴について調べていたのだ。そして、エラルドはその件を政敵に利用されることを恐れ妨害に訴えていたのだと。


 痛烈な舌打ちが響く。

 それは当然エラルドのものだ。

 彼は舌打ち同様の鋭さでテオをにらみつける。


「一体何が不満だ? 娘を遣わしてやったのだぞ? 我がエルミッツの一門として扱ってやろうというのに」


 カナヤは「あぁ」だった。

 ここでもひとつ理解が生まれた。

 何故、自らがテオの元に嫁ぐことになったのか?

 その理由がこれらしかった。

 そして嫁がされた方のテオである。

 彼は静かに首を左右にした。


「ご厚情こうじょうはありがたくも別の話と心得ていただきたい」

「ふん。とことん失礼な男だ。伯爵などと、分不相応な地位にさえなければな」

「その点は祖先に感謝ですな。ともあれ、閣下。閣下に行いを改めてさえいただければ、私はそれ以上は望みません。どうかご英断を」

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