20話 悪女、説得
「……何故こんなことに」
雨黒と鴎明が去ったあと、龍煌は重いため息をついていた。
「お嫌でしたか?」
「当たり前だ。お前は俺の生まれを忘れたか」
珍しく龍煌がぎろりと蘭華を睨みつけると、おやまあと目を丸くする。
さして気にしていないようにも見える。
「さすがの龍煌様も奥の宮は恐ろしいのですか」
「……恐ろしいというよりは、いい思い出がないだけだ。俺はあの場に入る資格もなければ、あの場に行って喜ぶ者など一人もいないだろう。だが……」
龍煌の母は彼を身籠もっている間に呪詛にかけられた。
そして母胎を通し、呪詛の影響を一身に受けた龍煌は呪詛に身体を蝕まれこの世に生を受けた。
呪い子――その結果、彼は自分を産んだ母、そしてその周囲の人間を殺してしまった。
そんな彼が地下牢に幽閉されるまで過ごした奥の宮――そこで彼がどんな扱いを受けていたか、聞かずとも想像するのは容易いだろう。
しかし、龍煌の言葉はどことなく歯切れが悪い。
「だが、なんですか?」
「……呪詛を受けた相手が緑翠妃、だとは」
「おや、お知り合いなのですか?」
龍煌は自分を真っ直ぐ見る蘭華から僅かに視線を逸らして続けた。
「幼い頃、何度か会ったことがある。彼女はこんな俺にも優しく接してくれ、話し相手になったり、菓子をくれたりした」
「そうだったのですか。お知り合いだというのであれば、それは心配なさって当然でしょう」
「俺が一方的に懐いていただけだ。だから、彼女はある日ぱったりと姿を見せなくなったんだ」
龍煌は寂しそうに呟く。
「最初は寂しかった。だが、それはいつしか怒りに変わった。それからたまたま緑翠妃を見かけて、俺は詰め寄ったんだ『――お前も、どうせ俺を嘲笑うために近づいたんだろう!』そう、罵声を浴びせてしまった。だけど……そう言われた彼女の顔は酷く悲しそうで」
『――ごめんなさい』
悲しそうに微笑むその表情を今でも龍煌は覚えている。
「彼女とはそれきりだ。何故、会いにこれなくなったのかその理由は今もわからない」
龍煌の話を一通り聞き、蘭華は彼を見つめる。
「それで……龍煌様はどうなさりたいのですか?」
「――――」
「きっとこのままでは、その答えは永遠にわからないまま終わってしまう」
「……助けられるなら助けたい。そして、あの時酷い言葉を浴びせてしまったことを、謝りたい」
「よくいえました!」
さすがは龍煌様です、と蘭華は満面の笑みを浮かべ龍煌の頭をよしよしと撫でた。
「お前……俺を子供扱いしていないか!?」
「いいえ! 貴方がとてもお優しくて、素敵な方だと思っただけですよ!」
それでも龍煌は納得がいっていなさそうだ。
「しかし……本当にお前は呪詛を止められるのか」
「調べてみなければなんとも申し上げられませんが、やるだけのことはやってみましょう。そのために、協力してくださいますか? 龍煌様」
「ここまで来て、否とはいえないだろう」
結局は丸め込まれてしまったと、龍煌はがっくりと肩を落とした。
本当にこの悪女には適わない。
二人の話が纏まったところで、恐る恐る慧が手を挙げた。
「あの……お二人が奥の宮に入ることは不可能ではありませんか……?」
「そうなのか?」
ぽかんと目を丸くする龍煌に慧はおずおずと頷いた。
「律の九○三――『奥の宮に入れるのは侍女や官吏を除いては、皇帝とその妃、そして皇太子とその妃だけ』と定められています」
「……ああ! 龍煌様は
「お前……もうちょっとマシな物言いはないのか」
ぽんと納得したように手を叩く蘭華に、さすがの龍煌も苦い顔をする。
通りでずっと雨黒も苦い顔をしていた理由が判明した。
「それなら何故、鴎明はお前に依頼なんて頼んできたんだ」
「さあ、鴎明お父様はなにを考えているかさっぱりわかりません。ただ、私が楽しめるようにとお話を持ちかけてきてくれたのでしょう。鴎明お父様もこの鳥籠がお嫌いなようですから」
にんまりと蘭華は笑う。
この娘によってあの父あり。この親子、血の繋がりはなくともよく似ていた。
「私にお任せくださいな」
「できるのか?」
すると蘭華は龍煌の口に指先をあて、悪い笑みを浮かべた。
「うふふ、だって私、悪女ですもの。律を破るなんてお手のものですわ」
とても嫌な予感がする。
龍煌と慧はぞくりと背筋を凍らせるのであった。
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