15話 悪女、疑惑

「――勝者は、黄蝶月」


 静寂の中、はっきりと響く雨黒の声。

 名を呼ばれた瞬間、蝶月の口元はみるみると緩んでいく。


「おーほっほっほっ! 無様ね、紅蘭華!」


 清々しく高笑いをしながら、蝶月は隣に立つ蘭華を見る。


「今までのお茶会ですら一度も私に勝てたことなどないくせに! 私に勝負を挑むなど無謀も無謀!」


 背を仰け反らせ、鼻高々と笑い続ける蝶月。


「残念でしたわね、蘭華様」

「追放された第一皇太子妃がとうとう侍女にまで落ちぶれるなんて……哀れねえ」

「……蘭華様」


 三人の妃は蘭華に哀れみを向ける。

 そもそもこの決闘は最初から勝者は決まっていた。誰も追放された妃を勝たせようという者などいない。

 たとえどれだけ蘭華が素晴らしい刺繍を作ったとて、三人の妃は蝶月に票を入れることをあらかじめ決めていたのだ。

 だから――最初から、蘭華に勝ち目などなかった。

 その傍で慧は拳を握っていた。


(これでいい。これでいいのだ)


 自分の主は人の功績を自分の手柄にして、我が物顔でふんぞり返っている。

 それに対し、蘭華を見ればその努力は一目瞭然だ。

 化粧で隠しているとはいえ、薄らと目の下に見える隈。傷だらけの手。

 元第一皇太子妃とあろう人が、誰の手の力も借りず己の手でこれだけの作品を作り上げたのだ。


(立派な黒龍。紅蘭華はそれほどまでに龍煌殿下を愛していらっしゃるのね)


 同じ腕前を持つ者だからこそ、作品を見れば作り手の気持ちは解る。

 たとえ見た目は繕えたとて、自分の刺繍には皇太子殿下への愛も思いも篭っていない。

 ただ、自分の主を――蝶月を勝たせるため、それだけに作ったもの。


「ふふん、悔しすぎて声もでないかしら!? 今日からアンタは私の侍女――いえ、下僕になるのよ!」


 俯いていた蘭華がゆっくりと顔を上げる。

 彼女にんまりと笑っていた。


「ええ。とても素晴らしい刺繍です。これは負けを認めざるを得ません――蝶月様ご本人がつくっておいででしたらね?」

「――は?」


 ぴくり、と蝶月の顔が引きつった。


「律の四四――『決闘』は妃同士でのみ行うことが可能。決闘は仲介人の許可の下、妃本人の力で競われる――これは本当に、蝶月様の作品でしょうか?」

「な、なな……当たり前でしょう!」

「もしかして、そちらの侍女――董慧さんがつくっていらっしゃるのでは?」


 突然の暴露にその場の人間は皆息をのんだ。


「これは私が作ったものです!」

「それならば、慧さんの指に針を刺して出来た傷ができているのは何故ですか?」


 蘭華は慧の手を掲げてみせる。

 水仕事で荒れた手。指先にはここ最近出来たであろう傷が出来ていた。


「さ、さあ……侍女は仕事が多いから! ほかの仕事で出来たんじゃないの!?」

「まだお認めになりませんか……それならばもう一つ。これを持ってきたせいで遅くなったんですよ」


 よいしょ、と蘭華は風呂敷を広げた。

 その中には大量の刺繍。


「これは――」


 雨黒が息を呑む。


「これは蝶月様が入内されてからお茶会で披露された刺繍です」


 ずらりと並ぶのはたくさんの刺繍。

 最初は稚拙な刺繍だったが、あるときから格段に上達していた。


「ここから明らかに腕前が変わっております。不自然なほどに」

「そ、それは……練習したからで」

「……この頃ですよね。丁度、慧さんが側仕えとして蝶月様に仕えるようになったのは」

「……っ」


 慧はごくりと息を呑む。


「もし、これが慧さんが作られたものであれば……蝶月様は律に反することとなり、決闘も反則負けになりますわね」


 そこではじめて蘭華は慧を見た。


「どうでしょう、慧さん。私はこの素晴らしい作品は貴女が作られたものだと思っているのですが」

「っ、慧! わかっているでしょうね!」


 問いかけられ、慧は目を泳がせた。


「……っ、私は」


 主を裏切れない。

 ここで主を裏切れば、今までの自分の努力は水の泡だ。

 けれど幾ら目を逸らそうとも、蘭華は真っ直ぐ自分を見つめてくる。


「慧さん。自らの道は自らが定めなさい。例え立場が違おうとも、それが主であろうとも……貴女がこうありたいとする道を妨げる者は――ただのお邪魔虫でしかありません」


 道は自分で切り開きなさい。

 蘭華は怒るでもなく、貶すでもなく、ただ優しく微笑んでいた。


「どうなのだ、董慧。もし、黄蝶月を庇い立てし虚偽の申告をしようものなら――律違反として、お前にもそれ相応の罰が下るだろう」


 その背中を押すように、雨黒が口を挟んだ。


「慧っ……!」


 ぎりぎりと歯を食いしばり、鬼の形相で睨む蝶月。


「私は……」


 慧はもう蘭華から目をそらすことが出来なかった。


「この刺繍は――私が作ったものです」


 悪女の一言が、雁字搦めにされていた一人の侍女の運命を変えたのだ――。


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