5話 悪女、処刑(中編)

 二十年ほど前、後宮で一人の女が子を身籠もった。

 それは皇帝の第二皇妃。生まれは平民、そして後宮に売り飛ばされた身分が低い娘だった。

 しかし彼女は皇帝から寵愛を受け、皇后よりも先に子を身籠もってしまった。

 皇后はそれを決して許せなかった。

 だから彼女は第二皇妃に呪詛をかけた。

 その呪詛は妃を蝕んだものの、彼女は腹の子を懸命に守った。

 だが、呪詛の影響は胎児にも多大なる影響をもたらしてしまったのだ。


「きゃああああああああああっ!」


 およそ二日に及ぶ分娩を乗り越え、赤子が産声を上げた瞬間、母は悲鳴を上げた。

 全身が黒いヘドロに包まれ生まれていた真っ黒い赤子。


 最初に、それを取り上げた産婆がその場で息絶えた。

 次に、それを産んだ母も死んだ。

 それはもはや普通の人間と呼べる代物ではなかった。


 呪詛にまみれて生まれた子が哀れだと、情けでそれを殺そうとした者がいた。

 けれど、刃を突き立ててもそれは死ななかった。

 その切っ先は確かに肉を抉っていたが、それの傷はすぐに塞がった。

 それどころかそれを傷つけた刃を腐り落とさせたのだ。

 そして――それを殺めようとした者が死んだ。

 

 それは『忌み子』と謗られた。

 皇太子でありながらその序列を外され、地下牢の光すら届かぬ場所に閉じ込められた。

 ただ鎖に繋がれ生きながらえるそれにある仕事が与えられた。

 穢れた忌み子には穢れた仕事を――。

 

 彼は逃げられない。

 己が役目を終え、息絶えるまでこの後宮から逃げられない。


 *


「――執行、開始!」


 闘技場に銅鑼が鳴り響き、会場は沸き立つ。

 その瞬間、龍煌は手に持っていた剣を振るい蘭華目がけてもう突進してくる。


「動くな。せめてもの慈悲で痛みなく葬ってやる」


 瞬き一つで蘭華の間合いに入った彼は、その切っ先を彼女の首元目がけて突いた。


「あら、龍煌様はお優しいのですね。でも……」


 蘭華は立ったままそう呟き――。


「私は意地汚く足掻くと決めておりますので」


 にこりと微笑んだ刹那、ぎぃんと鉄同士がぶつかり合う音が鳴り響いた。


「なっ――」


 龍煌の刃は蘭華を傷つけることなく弾かれた。

 その正体は盾。

 蘭華が選んだ武器とは――盾であった。


「何故……盾など選んだ」

「私、武術の心得はないので。真っ向から挑んでも勝ち目などありませんもの」


 龍煌は一瞬狼狽えたもののすかさずもう一撃を繰り出す。

 またしてもぎぃんと鈍い音が鳴る。

 だが、男の力に蘭華が敵うはずもない。盾は弾き飛ばされ、むなしく地を転がった。


「盾を弾くなんて、凄いお力ですね」


 手が痺れてしまいました、と手をひらひら振りながら彼女は冷静に微笑む。


「どう足掻いたところで、お前に生きる未来はない!」


 その一挙一動が龍煌を刺激する。

 剣を強く握った彼は怒りにまかせ、剣を振るう。しかし今度は、蘭華がゆらりゆらりと軽やかな足取りでその剣筋を全て躱していくではないか。


「勝ち目がないというのであれば、抵抗するな!」

「いやですよ。当たったら痛そうですもの」

「だからそうならないよう俺が一撃で仕留めるといっているだろう!?」

「私がすぐ死んだら、こちらの皆様は楽しくないでしょう?」


 蘭華が煽るように両手を広げれば、わっと観客は盛り上がった。


「私、悪女らしく悪あがきすると決めておりますので。それに……武術は苦手ですが、踊りは得意なんですよ?」

「……っ、減らず口を!」


 そうして龍煌は剣を振るい続けるが、蘭華には当たらない。

 まるで軽やかに舞うように、歌を口ずさみながら彼女は攻撃を避けていく。

 大の男が少女一人に悪戦苦闘するその姿に、闘技場の興奮は一気に上がっていく。


「いいぞ、悪妃!」「何してる処刑人!」

「殺せ!」「殺せ!!」「殺せ」「殺せ!!!」


 観客から声が上がる。

 一度あがりはじめた声は連鎖し、殺せ殺せと会場がどよめいていく。


「……なにも知らない愚か者共が」

「本当に悪趣味ですこと」


 その野次を聞きながら、龍煌は苛立たしげに眉間に皺を寄せる。

 そこで動きを止めた蘭華はぐるりと会場中を見回した。


「ねえ、龍煌様。私たちとあの者たち、狂っているのはどちらでしょう?」

「そんなこと聞いてなんの意味が――」


 その時、再び銅鑼が二つ鳴った。


「はぁ……まさかここまで持つ者がいるとはな。アレが放たれる前にお前を楽にしてやりたかったよ」


 龍煌が哀れみの目を向けた。

 蘭華が不思議に思いながら音がする方を向けば、客席の中央にある最も目立つ場所に座っている皇太子が立ち上がり二人を見下ろした。


「紅蘭華、李龍煌。決着がつかず、半時が経った。故に――律にならい、魔獣を解き放つ」


 高台から煌亮の声が聞こえたかと思えば、二人が出てきた場所とは違う扉が開かれた。


「ぐるるるるるるるっ……」


 ずしん。

 地を揺らすほどの足音を立てながら、現れたのは大男四人分はありそうな巨大な魔獣であった。


「これはまた……手の込んだ処刑ですこと」

「アレはここに生きている人間を食らい尽すまで止まらんぞ。俺の手に殺されるか、魔獣に喰われるかどっちがいい」

「どちらも望みません。私は死ぬ気はありませんので」

「まだいうか」

「ええ。私に二言はありません。それに……うふふ、とても刺激的で楽しそうではありませんか」


 蘭華は頬に手をあて、にこにこしながら魔獣を見据えるのであった。

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